(鐘の音)それは二人の人生の新しい門出。
大勢の人から祝ってもらう幸せな瞬間ですよね。
実は今からおよそ80年前。
日本中の人々から祝福を受けた盛大な結婚式がありました。
清朝最後の皇帝ラストエンペラーの弟と日本の侯爵家のお嬢様。
それは華やかな国際結婚のはずでした。
昭和の初め中国東北部に満州国が誕生しました。
その満州国と日本の友好を深めるために用意されたのが…新郎は…新婦は…国の期待を背負って結ばれた夫婦。
待ち受けていたのは波乱万丈の日々でした。
昭和20年日本の敗戦後満州国は崩壊。
浩は夫と引き離され各地を流浪します。
内戦状態に陥った中国大陸。
身に覚えのないスパイ容疑。
私は関東軍の手先ではありません。
絶望のふちに沈み死を覚悟したその時浩にもたらされた救いとは?日本と中国離れ離れとなった浩と溥傑。
二人が7年間にわたって交わした手紙が近年発見されました。
つづられているのはどんな苦難の中でも励ましあい乗り越えようとする二人の姿。
激動の昭和。
時代に翻弄されながらも互いを信じ支え合う事で必死に生き抜いた夫婦の物語です。
おめでたいニュースが世間をにぎわします。
日本の侯爵家の令嬢と満州国皇帝一族の結婚です。
日本と満州国を結ぶ華やかな婚礼に日本中が沸きました。
新郎の国満州国はその5年前中国東北部に建国されました。
皇帝の位に就いたのは清朝最後の皇帝「ラストエンペラー」と呼ばれた…新郎は皇帝の弟溥傑。
軍事について学ぶため日本に留学していました。
溥傑を日本の女性と結婚させ日満両国の親善を深めようと計画されたのです。
しかしこの縁談新婦の方はというと最初はあまり乗り気ではなかったようです。
溥傑の結婚相手に選ばれたのは公家の名門嵯峨侯爵家の長女…当時22歳。
突然持ち込まれた見合い話。
しかも相手は日本人ではなく外国の男性。
浩はただ戸惑うばかりでした。
どうしてわざわざ風俗も習慣も違う遠い異国に嫁がなければならないの?浩の住んでいた屋敷が今も残っています。
ここが二人のお見合いの場となりました。
気持ちの整理がつかないままお見合いの席に臨んだ浩。
ところが溥傑の第一印象は想像とは随分違っていました。
一方の溥傑もまた浩の可憐な姿に心を奪われます。
浩は心を覆っていた不安が薄らぎ結婚を受け入れます。
昭和12年4月。
二人の結婚式が神式で厳かに執り行われました。
この時浩が着た婚礼衣装が残されています。
鮮やかな赤地の平安時代から伝わる伝統的な衣服。
浩はこのみやびな衣装に身を包み沿道をパレードしました。
当時小学生でパレードを間近に見た…その興奮を昨日の事のように覚えていると言います。
歓喜のうちに出迎え一心に祝福してくれる大勢の人の姿に浩は胸を打たれます。
この日浩は日本と満州国の架け橋になる事を固く決意し心に刻みました。
しかしこの結婚がきっかけで過酷な人生を歩もうとは浩はまだ知る由もありませんでした。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日は千葉市稲毛に来ております。
こちらにありますこの建物実はラストエンペラーの弟・溥傑とその妻・浩が新婚時代に半年間暮らした家です。
離れを含めて全部で7部屋。
和風の平屋で現在一般にも公開されています。
こうして開け放つと風が優しく吹き抜ける大変居心地のいいお住まいです。
やっぱり和室は落ち着きますよね。
中でもお二人のお気に入りの場所がこちらお庭です。
アンズやはっさくなど…縁側は二人の写真スポット。
溥傑の趣味がカメラだった事から楽しそうな写真が数多く残っています。
中でもお気に入りのポーズがこちら。
地元ではこうして腕を組んで散歩する二人の姿がよく見かけられたそうです。
幸せいっぱいの二人。
しかしその行く手には予想もしない困難が待ち受けていました。
広大な大地がどこまでも続く中国東北部。
かつてここに満州国がありました。
その中心に位置する長春は首都が置かれ当時「新京」と呼ばれていた街です。
街なかには皇帝・溥儀が暮らした宮殿が博物館として残されています。
玉座が置かれた宮殿の正殿。
皇帝の即位式や外国使節の謁見などが執り行われた部屋です。
こちらは溥儀の寝室。
その奥には読書や付き人との打ち合わせに使われた書斎があります。
満州国のスローガンは……が力を合わせ理想国家を築くとうたっていました。
結婚から半年後満州に渡った浩と溥傑は新京での暮らしをスタートさせます。
お待たせ。
お茶にしましょう。
どうもありがとう。
おいしい。
浩さんがいれてくれたお茶が一番おいしいです。
ありがとうございます。
新生活に胸を躍らせる二人。
しかしその期待はすぐに打ち砕かれます。
ある日浩たちが知人に会いに行こうとした時なぜか会う事を阻まれてしまいました。
その後も自由な行動は許されず出かける時は必ず見張り役がつき逐一上司に報告。
浩たちは厳しい監視下に置かれたのです。
一体なぜ?実は満州国には大きな秘密がありました。
それは満州に駐屯する日本陸軍の部隊関東軍の存在です。
これは満州国が建国された時日本との間で交わされた協定…この時満州国は「国防と治安維持を日本に委託」つまり関東軍に委ねる事が定められました。
更に「日本人を官僚に採用しその任命には関東軍司令官の同意が必要」とあります。
つまり…関東軍にとって皇帝・溥儀や浩たち一族は意のままに操る存在。
勝手な行動をしないよう見張る必要があったのです。
「日満親善」の理想とはかけ離れた現実。
更に義理の兄である溥儀までもが浩を突き放します。
溥儀の回想です。
宮殿の中にも浩の居場所はありませんでした。
日本をたつ前には想像もしなかったつらい毎日。
支えてくれたのはやはり夫の溥傑でした。
浩と溥傑が度々出かけたホテルが今も長春で営業しています。
当時レストランだった部屋がそのまま使われています。
ここは日々のつらさを忘れ二人だけでホッとできる場所でした。
結局日満親善なんていくら声高に叫んでも建て前にすぎなかったのよ。
浩さん我慢ですよ。
どんな事があっても一緒に耐えていきましょう。
溥傑もまた皇帝の弟でありながら実質的な権限は何もなく歯がゆい思いを抱いていました。
浩の気持ちを受け止め寄り添います。
やがて夫婦の絆が更に深まる事がありました。
それは子供の誕生。
・「アーマとエコちゃんエコちゃんとアーマ」・「いつも2人は仲良しだ」溥傑はすっかり子煩悩な父親となります。
一家4人水入らずで過ごす楽しい時間。
浩はささやかな幸せをかみしめていました。
しかし…浩たちを取り巻く環境は一変します。
首都・新京に迫ってきました。
皇帝一族も新京を脱出する事が決まります。
5日後浩たちは国境近くの街大栗子に移動。
そこから夫の溥傑は皇帝・溥儀に付き添い空路で浩たち女性は陸路で日本を目指す計画でした。
日本での再会を約束ししばしの別れを告げた浩と溥傑。
しかしこれが夫婦の…間もなく夫の溥傑は飛行場でソビエト軍に拘束されてしまいます。
浩たちは日本に協力した罪を問われ留置場に収容されます。
浩たちが捕らえられた国境近くの街通化。
共産党軍の厳しい取り調べが待っていました。
いくら説明しても分かってもらえない。
浩は追い詰められていきます。
更に2月の凍えるような寒い夜。
恐ろしい事件が起きました。
突然兵士たちが留置場に乱入。
(銃声)目の前で銃撃戦が始まります。
日本の敗戦後中国では国の主導権をめぐって共産党と国民党が抗争を繰り広げそこに関東軍の残存部隊も加わって激しい内戦状態となっていました。
(銃声)浩たちはその戦闘に巻き込まれたのです。
・
(悲鳴)戦闘は2時間余り続きました。
部屋のあちこちに死体が横たわっていたといいます。
一歩間違えれば浩親子も命を落とすところでした。
心の声あなた…助けに来て…。
しかしソビエト軍に拘束された夫は行方はおろかその生死すら定かではありませんでした。
その後も浩の苦難は続きます。
激しい内戦が続く中を連れ回され長春吉林などを転々と移動。
朝鮮半島に程近い延吉の街に着いた時には溥傑と別れて1年近くがたとうとしていました。
街の歴史に詳しい…満州国皇帝の一族がやって来るといううわさが広まり街は騒然となったといいます。
浩の心も体ももう限界でした。
ある晩思い詰めた浩は異様な行動をとります。
壁に爪で名前を刻み始めたのです。
自分たちが生きていた証しを残しておきたい。
そんな思いからだったのでしょうか。
終わりの見えない流浪の日々。
浩は希望を失いかけていました。
心の声私はもう駄目…。
あなたごめんなさい。
その直後の事です。
(小声で)浩さん!あなたのご主人はソ連のチタで生きておられるそうですよ。
本当ですか?浩の中で再び希望の光がさした瞬間でした。
心の声夫に会うまで決して死ねない。
4人で暮らせる日が来るまでどんな事があっても生きなければ!その後も半年間各地を転々とした浩たちはついに…1年半に及ぶ厳しい生活を耐えさせたのはもう一度夫に会いたいという強い願いでした。
帰国した浩と次女の生は進学のため日本に預けていた長女と実家の嵯峨家に身を寄せます。
流転によって浩の体重は33kgにまで落ち込み療養が必要でした。
体力が戻ると…しかし確かな情報を得る事はできませんでした。
心の声あなた一体どこにいるの?浩は中国やスイスの赤十字社にも手紙を出しますが返事はありません。
そんなある日浩は見覚えのない住所から郵便を受け取ります。
不思議に思い開けてみると…。
それはなんと夫の筆跡。
手紙は中国からでした。
中国では共産党軍が内戦に勝利し…中国政府はソビエトから捕虜を引き取ります。
撫順の戦犯管理所に収容されました。
中国政府は溥傑の真面目な生活態度を評価し日本にいる妻に手紙を書く事を許可しました。
これ以後二人はその距離を縮めるかのように手紙を交わします。
その数実に55通。
二人は手紙を通じて励ましあい再会を待ち続けました。
浩が真っ先に夫に伝えたのは2人の娘の成長ぶり。
「長女の慧生は中国の古典文学を研究し日本文に訳して紹介したいと言っております。
子供と思ったら間違いで将来あなたの片腕として活躍いたしますでしょう」。
「また次女の生はこのごろ急に美しくなり色が真っ白でえくぼがたくさん入ります。
歩き方や笑い声はあなたにそっくりと皆申します」。
夫がそばにいない今娘たちを立派に成長させる事が自分の一番の役目。
浩はそう考えていました。
これに対して溥傑も喜びの思いを返信します。
これは溥傑が管理所にあって自ら作った写真立てです。
手紙と共に送られてきた写真を貼り家族を少しでも身近に感じようとしました。
そして何よりもお互いに伝えたかった事は…。
「お目にかかれる日を一日千秋の思いで待っております。
良き知らせが来ますように…」。
「一日も早くあなたと一緒になりたいという事であります。
我が最も大切な大切な妻浩様へ」。
しかし手紙のやり取りが始まって3年。
悲劇が起こります。
友人だった男性に心中を迫られ死に至ったとも言われています。
心の声あなたごめんなさい。
私がしっかりしていなかったばっかりに…。
そんな浩に溥傑は…。
遠く離れた二人の心をつなぐ大切な手紙。
夫婦は共に悲しみを分かち合い互いをいたわり続けました。
慧生の死から2年。
中国政府は建国10年を記念して戦争犯罪人の釈放を決定します。
政府が用意した北京の住宅に住み公園を管理する仕事に就く事が条件でした。
そして明くる年。
浩は次女の生を連れ夫のもとに向かいました。
浩の手には長女の変わり果てた姿がありました。
申し訳ございません。
私の監督不行き届きで…。
さあ浩さん。
溥傑はそうひと言声をかけると新婚時代と同じように自分の腕を浩に差し出しました。
この時夫婦の長い苦難の旅がようやく終わりを告げたのです。
浩が中国に渡ってから13年後…・浩様お帰りあそばせ!おめでとうございます。
・おじいちゃんのとこへほれ。
おじいちゃまが…。
・ちょうど今ぐらいでしたもの。
生さんが…。
そして夫婦に永遠の別れが訪れます。
浩さん!浩さん!浩さん!
(泣き声)それを見た時に…つくづくその光景を見て私は思いました。
浩が亡くなったあと溥傑が訪ねた思い出の地があります。
溥傑はその時の感慨を漢詩に残しました。
浩亡きあとも愛する妻の面影を追い続けた溥傑。
浩の死から7年後86歳で亡くなりました。
幾多の困難を乗り越え最期の瞬間まで寄り添った浩と溥傑。
二人を支えたのはひたむきに互いを信じ合う揺るがぬ心でした。
2015/10/14(水) 16:05〜16:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽満州のプリンセス愛の往復書簡〜夫婦の心をつないだ55通[解][字][再]
昭和の初め、満州国皇帝の弟と結婚した日本の侯爵家令嬢・浩(ひろ)。戦争、満州国崩壊、内戦、激動の中国で、離ればなれになりながらもお互いの愛を信じた夫婦の感動物語
詳細情報
番組内容
昭和の初め、日本中が沸いたロイヤルウエディングがあった。ラストエンペラーの弟・溥傑(ふけつ)と侯爵家の令嬢・浩(ひろ)の結婚だ。しかし、その行く手には予想もしない苦難が待ち受けていた。戦争、満州国の崩壊、内戦…。夫と引き離され、中国各地を流転する浩。近年、溥傑と浩が日本と中国で離れ離れだった時代に交わした愛の往復書簡が発見された。互いを信じ続け、激動の時代を生き抜いた夫婦の愛と絆の感動物語。
出演者
【出演】原史奈,中村靖日,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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