にっぽん紀行「日本一の相方や〜大阪“今いくよくるよ”を巡る旅〜」 2015.10.12


(ブザー音)笑いの町大阪。
「なんばグランド花月」です。
こんばんは。
案内人の藤井隆です。
女性芸人の先駆けとしてこの舞台に立ち続けてきた漫才師がいます。
今いくよ・くるよさんです。
お会いした時にはいつも楽しく優しい言葉をかけて下さる大好きな先輩です。
そんな優しいいくよ師匠は今年5月亡くなってしまいました。
通夜のあとくるよ師匠が「日本一の相方と漫才ができて幸せだった」といくよ師匠に叫ぶように呼びかけた言葉は今も僕の胸に残っています。
ふたりの絆はどんなに深かったのか。
そしてくるよ師匠はどのように歩き始めようとしているのか。
ふたりの友情をたどる旅ご覧下さい。
まず男性っていうのはどういう女性を好まはるか。
これはまずね女性は明るさ。
まかしといて〜!明るいやんか。
どやさ!こういうとこがやっぱね京都っぽいでしょ何かね。
どやさどやさどやさ。
どやさどやさ。
え〜サイレントどやさが始まっております。
9月。
民放のバラエティー番組の収録に臨む今くるよさんです。
どやさどやさ。
お〜!この世界に入って初めて経験するくるよさんひとりでの仕事です。
どやさ。
お疲れさまでした。
どやさどやさどやさ。
4か月前くるよさんは半世紀近く連れ添ってきた掛けがえのない相方を亡くしました。
去年9月に胃にがんが見つかったあと治療をしながら舞台に立ち続けた末の最期でした。
棺に納められたいくよさんにくるよさんは語り続けました。
(2人)どうもようこそいらっしゃいました。
今いくよです。
くるよです。
やっぱ暑い時は苦手ですか。
夏場と聞きますとねまず夏痩せね。
体がきゃしゃでしょうあきませんわ。
どこら辺がきゃしゃやねん!どこがウエストでバストでヒップや分からへん。
ウエストここや。
(笑い)何がかっこ悪いん。
今でもこんなとこから足出して。
腕やっちゅうねん!あ〜腕か。
何でこれ足やねんほんまに。
やめてほんまに。
「腕」って書かないと。
やかましいわ!1980年代の漫才ブームを担い女性漫才コンビの先駆けとして第一線に立ち続けてきた今いくよ・くるよ。
嵐の吹く時もあります。
この嵐に負けてたんでは女の幸せはつかめない。
負けまへんで負けまへんで。
負けまへんってあんた。
ファイトファイトファイト!しかし今日はご機嫌な音出ててるわほんまに。
(笑い)恋愛や仕事の悩みなど女性の等身大の気持ちを笑いに変え多くのファンに親しまれてきました。
友和さんとかジュリーさんとかさアリス千春さんとかさ違いますもんね。
ふたりが生まれ育った京都の方言を使った決めゼリフがコンビの代名詞でした。
応仁の乱みたいな顔してからに。
応仁の乱ってどんな顔?顔一体が焼け野原。
どやさ!どやさどやさ!コンビを組む芸人同士が不仲になる事も少なくないこの世界でふたりは公私にわたって大の仲良しでした。
ふたりがひとりだけの仕事を受ける事は決してありませんでした。
「日本一の相方」とお互いを信頼し合ってきたふたり。
その絆は僕たち後輩から見てもまぶしいものでした。
今から53年前ふたりは京都市内の高校で初めて出会いました。
ふたりの在籍時全国大会で準優勝した事もあるソフトボール部。
盆も正月も休みがないほどの厳しい練習を共にしました。
ソフトボール部での日々はふたりの漫才の鉄板のネタでもありました。
くるよちゃんはそんなもんねデビューどころか高校時代からこの頭ですわ。
もう女子高から一緒ですからね。
女子高からねソフトボールが一緒でした。
私がピッチャーでエース。
くるよちゃんキャッチャーでロース。
どこがやねん!
(笑い)実際にはいくよさんはキャプテンでチームの主力でしたがくるよさんは選手の夢を絶たれマネージャーを任されていました。
当時のふたりを指導した元監督の福西康雄さんです。
中心選手とそれを陰で支えるマネージャー。
お互い立場は違ってもいつもふたりでチームをもり立てようとしていた姿を覚えています。
重いやろ堪忍え。
いえとんでもないです。
いくよさんの胃にがんが見つかったのは去年9月。
コンビの結成から43年目の事でした。
病院に寝泊まりし付きっきりの看病を続けたくるよさん。
100歳までコンビを組もうと病床で語りかけました。
いくよさんが亡くなったあとどう歩んでいけばいいのか見失う事もあったといいます。
この日くるよさんは仕事の途中にある場所に立ち寄りました。
え〜?公園やん!ちょっと待って。
あら〜!ふたりにとって思い出の公園。
かつてその横には初めて舞台に立った「京都花月」がありました。
いや〜ちょっと寂しいような…。
デビューしたばかりのふたりはこの公園で来る日も来る日も漫才の練習を続けたといいます。
いくよさんをこの世界に誘ったのはくるよさんでした。
高校卒業後単調なOL生活に物足りなさを感じていたくるよさん。
同じく会社勤めをしていたいくよさんを誘い吉本興業に入ったのです。
女性の漫才コンビが珍しかった時代。
鳴かず飛ばずの日々が続きました。
周囲からは「結婚してすぐにやめるんやろ」と冷ややかに見られていました。
劇場への電車賃さえ払えない事もあったふたり。
それでも「女性でもやっていける前例になろうや」と誓い合っていました。
ふたりの長い下積み時代を支えたのは生まれ育った京都の町と人でした。
生活費を捻出するために京都の飲食店で働きながら芸を磨くふたりを周囲は温かく見守りました。
ソフトボール部の先輩本田洋子さんと上村加代さんもふたりが働く飲食店をよく訪れました。
ふたりは苦労を決して語らずいつも明るく前を見続けていたといいます。
厳しい暮らしの中で芸と向き合いそして友情を育んでいったふたり。
やがて1980年代の漫才ブームを担うまでに成長していきます。
舞台のあとよく訪れたという劇場裏の中華料理店です。
いくよさんが頼むのは決まってちゃんぽん。
くるよさんは野菜炒め。
ギョーザはふたりで分け合いました。
別々に訪れるコンビが多い中ふたりは必ず一緒でした。
そしてふたりは漫才ブームを担った仲間たちの多くが東京へ出ていく中でも地元の舞台に立つ事にこだわり続けました。
いくよさんが病に侵されてからの日々。
ふたりは最後まで「いくよ・くるよ」である事にこだわろうとしました。
(ラジオ・いくよくるよ)「『いくよくるよのどやさマンデー』!」。
自分を育んでくれた京都に恩返ししようとふたりが20年以上にわたり続けてきたラジオの番組。
(ラジオ・いくよ)「こんばんは今いくよです」。
(ラジオ)「今くるよです」。
いくよさんは亡くなる1か月前苦しい闘病生活のさなかに収録に臨みました。
(ラジオ・いくよ)「レインボー」。
(ラジオ)「レイン雨」。
(ラジオ・いくよ)「突如言われても分からんやん私は」。
(ラジオ)「何かいい歌があるやんか。
何か楽しい歌が」。
(ラジオ・いくよ)・「お〜おレインボー」
(ラジオ)「それ自作自演やろ?」。
(ラジオ・いくよ)「ハハッ!」。
(ラジオ)「せやなこういう時こそ笑って頂いて楽しんで頂いて頑張っていきましょう」。
(ラジオ・いくよ)「それでは9時20分までおつきあい下さい」。
これが最後になりました。
くるよさんには心に決めていた事がありました。
頑張りま〜す。
それはひとりになってもあくまでいくよ・くるよのくるよとして生きていくという事でした。
お願いしま〜す。
今日何かラジオの番組なのにカメラが入ってますよ。
そうですね〜。
それもねNHKさんですよ。
あら!そうなんですか?全国放送って聞いてますけど。
そうですよマック!マックこの声が流れております今。
ほんとですか?そこはどうなるか分からんけど。
(笑い声)収録のもようもそのために…。
いくよさんの死後ひとりで再開したラジオ番組。
タイトルはこれからも「いくよくるよのどやさマンデー」です。
くるよさんには今もいくよさんの声が聞こえています。
お疲れさまでした。
これです。
そのもの。
いくよ・くるよが最後までこだわり続けた舞台での芸。
年を経るごとに円熟味を増し後輩たちのよき手本となっていきました。
もう長くなりました。
でもね友達同士のコンビいうのはありがたいですわ。
リラックスでね気楽で。
ざっくばらん。
気遣わんでもええしね。
私は自分のいいとこもくるよちゃんの悪いとこもね知り尽くしてます。
くるよちゃんは私のいいとこも自分の悪いとこも。
悪いとこばっかりですやん。
(笑い)どやさどやさどやさ!どやさ!
(拍手)長い下積みを経てトップに立ったふたりは後輩の女性芸人たちの面倒を見続けてきました。
毎年3月には「ひな祭りの会」と称した女性芸人の食事会を22年にわたり開いてきました。
深く信頼し合い芸一筋に歩んできたいくよ・くるよは皆の憧れでした。
この日後輩の女性芸人たちの呼びかけでくるよさんを招いた食事会が開かれました。
ハロー!ヘーイ!集まっていたのは6人の後輩女性芸人。
東京に進出した人夢半ばの人それぞれです。
(拍手)乾杯!
(一同)乾杯!
(笑い声)いつも後輩たちの近況を気にかけているくるよさん。
ちょっと澄まさなあかん?やっぱりちょっと澄ますわこう。
いくよさんとくるよさんは後輩の女性芸人たちのよき母でありよき姉でした。
(笑い声)絶対的なものです。
いくよ・くるよに励まされ明日を夢みる女性芸人たち。
(シャッター音)
(笑い声)撮り過ぎやろ。
その夢がたとえ破れたとしてもふたりの温かなまなざしは後輩たちの中で生き続けています。
浅野ですよろしくお願いします。
岡山市に住む主婦の浅野亜由美さんです。
浅野さんは20年前「りんごあめ」という名前で芸人として活動していました。
全く芽が出ない中でいくよさんとくるよさんにいつも食事をごちそうになりラジオ番組にも呼んでもらっていました。
しかしデビューから3年目芸人としての夢を諦めふるさとに帰る事になりました。
別れの挨拶をした時の事が今も忘れられません。
「なんも力になれんやったな」と語ったふたり。
いくよさんからはふるさとに帰るための交通費5,000円。
そしてくるよさんからは再び大阪に出てくる時のためにともう5,000円を手渡されました。
ふるさとに帰ってから何かの役に立ちたいと手話通訳者の資格を取った浅野さん。
いつかふたりに見せに行きたいと練習を続けてきたものがありました。
ふたりに晴れやかな姿を見せる事はできなかった後輩たち。
いつもふたりを見つめながらそれぞれの道を歩んでいます。
この日今いくよ・くるよの新たな旅立ちとなるイベントが開かれました。
プロデュースをしたのはくるよさん自身。
デビュー以来初めての試みです。
(拍手)このイベントくるよ師匠が応援してる女性芸人のためにという事で。
今日はね東西問わず東京からもたくさん来てますしね。
吉本のこのNGKの舞台では女性ばっかりの初めてや思います。
それをくるよ師匠がプロデュースでイベントをするという事で。
ふたりがずっと目をかけてきた多くの女性芸人が出演するイベント。
ここにぐってかましたらすごいよ。
汁物をこぼさないよ私は。
何の自信やねん。
じゃこれはどうかな?私の事が見えてるよって方いらっしゃいますか?
(笑い)
(2人)少ないですね。
懸け橋をふたりが務めてくれてるような気がして。
事務所を超えて集まったたくさんの女性芸人たちがくるよさんの再出発を彩りました。
そして新しいいくよ・くるよへの模索も始まっています。
(拍手)
(礼二)塗って塗って塗って。
あんたうなぎのたれやない!誰がうなぎのたれやの。
誰がうなぎのたれやの!人気漫才コンビ中川家とユニットを組み演じる…こんなとこから足出して。
(くるよ礼二)腕やっちゅうねん!腰もギュッと締まって。
(くるよ礼二)首やっちゅうねん!
(3人)どうもありがとうございました!
(拍手)頑張ろう思いましたまた。
ありがとうございました。
ほんとにありがとうございました。
どやさ。
今かなり遅い時間ですよ言うときますけど。
ほんまに。
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ほらまだまだ大丈夫です。
長い下積みの時人気絶頂の時そして病に倒れた時いつも一緒に歩んできたいくよ師匠とくるよ師匠。
女性の後輩たちだけではなく僕たちもふたりが踏み締めてつくってきた道を今歩いています。
僕たちの目には舞台に立つくるよ師匠の傍らに日本一の相方の姿がずっと見えています。
2015/10/12(月) 18:10〜18:43
NHK総合1・神戸
にっぽん紀行「日本一の相方や〜大阪“今いくよくるよ”を巡る旅〜」[字]

女性芸人の先駆けとして誰からも慕われてきた「今いくよ・くるよ」。いくよさんの死後、新たな一歩を踏み出したくるよさんの歩みを見つめる「友情紀行」。案内人・藤井隆。

詳細情報
番組内容
女性芸人の先駆けとして第一線で活躍してきた漫才コンビ「今いくよ・くるよ」。公私ともに仲が良く面倒見が良かったふたりは、ファンや後輩の芸人たちに慕われてきた。5月に亡くなったいくよさん。通夜の後「日本一の相方や」と涙ながらに語ったくるよさんの姿に多くの人々が胸を打たれた。いま、新たな一歩を踏み出し始めたくるよさんと、それを見つめる後輩芸人や長年のファンたちを描く「友情紀行」。【案内人】藤井隆
出演者
【出演】藤井隆

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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