庵野監督の人生において『宇宙戦艦ヤマト』という作品(「2199」はリメイク版)が占める重みを考えれば、全てに優先して参加したのは当たり前のこと。「ヤマトがなければ今の自分はなかった」「ヤマトがあったから僕はアニメを見続けることができた」といった趣旨の発言を繰り返していたりする。
本書は、そんな『宇宙戦艦ヤマト』をつくったカリスマ・プロデューサー西崎義展の破天荒な一生を余すところなく伝えようとする一冊だ。
『宇宙戦艦ヤマト』は1974〜75年、全26話が放映されたテレビシリーズのSFアニメ。再編集された劇場版は1977年に公開され、興行収入21億円もの大ヒット。2作目の『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』は観客動員数400万人、興行収入43億円と前作から倍増した。『スターウォーズ(EP4)』が興行収入44億円だったのだから、いかに凄まじい勢いだったか分かる。
その製作総指揮をした西崎義展は、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督がただ一人“敵”と認めた男だ。「ヤマト」の第四話で絵コンテを発注された富野監督がシナリオを丸ごと書き換えて西崎と大喧嘩した逸話もあるが、それだけ強烈に意識していた裏返しだ。「ガンダム」の企画を立ち上げたときも【打倒西崎】を胸に、自らを奮い立たせていたと語っている。
アニメ業界でただ一人の「個人プロデューサー」
西崎をひとことで言うなら「個人プロデューサー」だ。後にも先にも、国内のアニメ業界ではたったの一人しかいない。アニメ制作には莫大な資金と人手がかかるため、まずスポンサーや広告代理店など組織のバックアップを取り付ける。今の主流である製作委員会方式も、資金リスクを分散し、出資比率に応じて利益を分配するというもの。
西崎は個人として、たった一人で「ヤマト」の制作資金を背負い込んだ。カネを出すから、現場にも口を出す。事あるごとに会議を開く会議マニアで、スタッフが作画する時間がなくなる本末転倒ぶり。キャラクターの服の色やデザインまでチェックするので、現場のスタッフには評判が悪かった。「ガンダム」を支えた作画の巨匠・安彦良和氏も、やがて「ヤマト」への参加を断ったほどだ。…