山本亮介
2015年10月14日16時07分
シベリア抑留中に死亡した日本人の名簿をまとめ、昨年88歳で亡くなった村山常雄さん。その功績をたたえ、抑留者や遺族らでつくる市民団体が、研究の裾野を広げるため若手研究者向けの奨励賞をつくった。村山さんの助言で兄の死の詳細を知った仏文学者の呼びかけがきっかけとなった。
賞を創設したのは「シベリア抑留者支援・記録センター」。センターなどによると、村山さんは敗戦で旧ソ連軍の捕虜となり、飢えと寒さのなか19歳からの4年間、シベリアで強制労働に耐えた。1949年に帰還後、故郷の新潟で中学教師を務めた。「生還者の務め」として慰霊に行くたび、土饅頭(まんじゅう)の抑留者の墓に胸が締め付けられた。「仲間の魂を弔いたい」。70歳の誕生日に買ったパソコンで名簿作りを始めた。
基礎資料は旧ソ連が旧厚生省に提供した死亡者名簿。ロシア人が抑留者から聞き書きしたロシア語の名簿を同省が片仮名にしたため、誤記が多い。村山さんは民間団体や個人の記録と突き合わせ、「コチ・カショニチ」を「幸地亀吉」などとあてはめていった。
残り:695文字/全文:1146文字
おすすめコンテンツ