2015年10月15日

戦闘的自由主義(2)

自由主義は、18・19世紀の政治において決定的な役割を演じたが、19世紀半ばごろから、労働者階級に対する警戒心からその理念をブルジョワジーが裏切るにしたがって、理念と現実との間に大きな乖離が生まれ始まる。これまで自由主義の理念の推進役であったブルジョワジーは、治安の維持を優先して自由の理念を形骸化させるに至るからである。その結果、それは自由競争と経済的自由に縮減されてしまう。

より後進国になるにつれて、ブルジョワジーの力が脆弱であり、国家に依存する傾向があり、相対的に反動的な役割を果たしがちである。それゆえマルクスは、ブルジョワジーが振り捨てた自由の理念を実際に担い、最後まで遂行するのは、プロレタリアートだと考えた。

イギリスで自由の旗振り役であったブルジョワジーは、フランス大革命において同様の役割を演じたが、1848年の革命ではすでに労働者の鎮圧の方に回っており、ドイツでは48年の革命に敗れて以降は、もっぱらビスマルクの政治のもとで政治的役割を放棄してしまった。ロシアに至っては、初めからブルジョワジーの政治的出番はなかったのである。
 

他方、労働者は次第に増大する政治的発言力を背景に、階級的利益を追求した。プロレタリアートの利益と公共の利益との一致というマルクスの考えの妥当性は疑わしい。一致する場合もあれば、一致しない場合もあると言うしかないだろう。第一次大戦を前にした第2インターの破産を見れば、そのことは明らかである。

それは、彼らが政治的経験や公共的精神が十分にないまま、政治に大きな存在を占めたことを意味する。労働者階級の政治にマルクス主義が大きな役割を発揮したことは、一部分は、彼らの政治的教養の欠如から説明することができよう。というのは、政治は、マルクスが考えたように単なる上部構造によって自然に決定されるようなものではなく、むしろ一種のアートであると考えるべきだからである。それゆえ、そのリーダーシップにおいては、すぐれた創造的インスピレーションや決断力が必要であるばかりではなく、それを被治者として享受したりそれを判断するためにも、一定の教養が要求される。

マルクス主義的政治においては、リーダーシップの問題が軽視されがちであった。政治的指導力には理論上何の役割も与えられないような理論になっているからである。マルクス主義においては政治は、唯物論的解釈のもとで、上部構造として規定され、階級闘争においてブルジョワジーやさまざまの中間層が、取るに足らない教養や能力の幻想によって幻惑され、真の問題を洞察できないのに対して、そのような幻想を免れることをその実存形態そのものから運命づけられているプロレタリアートこそは、他の諸階級にない認識論的優位性を持つとされたからである。

ルカーチの階級意識論によれば、この点におけるプロレタリアートの認識論的優位は、彼らのみがブルジョワ社会の物象化をその実存の最深部において被るために、それと妥協するいかなる可能性にも期待することができない点に基礎づけられる。

このような「反知性主義」「反教養主義」ともいえるスタンスは、とりわけ知識人たちに対して、かつて強い魅力を持ったことは事実である。アメリカにもそれと似た反知性主義の文化的伝統が存在するが、マルクス主義における反知性主義の契機は、より複雑な心理に基づいている。

ここでは詳細な議論は省くが、ともかくプロレタリアートの≪貧しさ≫(財産においてのみならず、精神においても、教養においても)が彼らの認識論的優位性を保証するという理論には、ある種の逆説が持つ魅力があったのだ。

理論的には否定された政治的指導性が、スターリン主義において極端にまで強調されたのは、決して不思議ではない。実際には指導性が不可欠であるところで(つまり政治や軍事で)それを否認する理論のもとでは、それが実際上何の制約もなく跋扈することが避けがたいからである。一方では、個々具体的な政治方針は、党の公式理論から、科学法則からのように演繹されるかのように思われていた。他方で、もちろん行動の細部までそのように算出できる理論などないのだから、そのギャップを誰かが埋めなくてはならない。それは、建前上は個人の恣意的決断ではなく、理論からの演繹的算出であるとされる。そのように装う結果、理論は理解不可能なまでに神秘化され、それを体現している「指導者」の絶対性が神格化されていくのである。

しかし、政治的教養は、芸術的教養と同じような特徴を持っているのである。それは、とりわけローマ人によって認識されていたものである。それは、何より伝統についての身に着いた知恵を前提とする。芸術的創造において、その芸術の伝統を無視してはなにも為し得ないのと同様、政治的創造においても、伝統を無視してはその革命も為し得ない。いやむしろ、あらゆる革新は、見かけ以上に伝統を踏まえたものであらざるを得ないのである。

私として強調したいのは、政治のリーダーシップにおける教養ではない。それも重要ではあるが、より重要なのは、作品を判断する者の教養である。エリートの資質ではなく、人民の資質である。テミストクレスのように並外れた資質は、アテナイ人にとってむしろ危険なものと見なされた。戦争指導のためにチャーチルを必要としたイギリス人は、戦後、容赦なく彼を切り捨てた。このような人民の資質こそ、自由の政治にとって不可欠なものである。

今般の運動でも痛感されたことは、人民の政治的教養の不足が、我々の脆弱性であるということである。それは結局、自由主義の欠如ということである。

既に書いたことであるが、今般の運動には、言論の活発な開花があったとは思えない。参加者たちには、それぞれの思いがあって参加したのであろうが、運動の分裂や対立を極端に恐れる気持ちがあるようで、おとなしく「主催者」の言うことを聞くばかりで、自分の言葉で語り出そうとはしなかったように思う。したがって、共有されるスローガンを繰り返すばかりで、その口調さえ平準化されがちであった。

デモンストレーションが政党代議士にマイクを渡すことがあるのは自然なことであるが、今回のように、政党が明らかにデモ参加者の意志とは違う行動をしている場合、デモ参加者は激しく彼らを叱責して、要求をぶつけるべきではなかったか? しかし、政党の連携に亀裂を入れるのを恐れたのか、そのようなことは、おそらく「主催者」によって抑制されていた。

そもそも、ここに主催者がいるという観念がよくわからない。もちろん、運動に指導部が存在すること自体は、運動にとって一面では良いことではあろう。しかし、国会前デモにおいては、法的にはただ自然に集まった人々の勝手な発声にすぎず、あらかじめ届け出て行われる集会や請願デモではない。本来はどのようなスローガンが叫ばれても、禁止されてはならないものである。

今般の運動には、怒りの噴出と言うにはあまりにも抑制が効いたお行儀のよさが目立ったが、それ自体はもちろん悪いことではない。抑制のきいた規律の中にこそ、強い精神が表現されることもあるからである。アラバマのバスボイコットとか、インドの塩の大行進などはそうした代表例である。

しかし、今般の運動のお行儀のよさは、どうもそうしたものではなかった。むしろお仕着せの規律であり、大衆に対する恐れであり、誰かが裏であらかじめ手を打った行動抑制であると感じられた。

もちろん、誰があらかじめ予定表を決めようとも、集まった人々の実際の行動がそれを乗り越えて進むことはよくあることである。もし、予定の中に収まったなら、それは参加者自体がそれほど強い確信と情熱を持っていなかったか、あまりに未熟であったために、その情熱を表現する仕方を知らなかったかどちらかである。

憲法学者が公聴会で違憲判定を述べたことが、大きなうねりの出発点となったことは多くの人の見るとおりである。なぜであろうか?

外交・軍事をめぐるテクニカルな問題であるかのように見せかけられていた問題が、国の形を左右する憲法問題であることが明らかになったからではないか?

テレビで軍事専門家などが出てきて、尖閣問題などを論じるのを聞けば、それが素人の知識で議論できるような問題ではないような気がしてくる。テレビ芸人さながらのこうした「専門家」は、人々から政治的判断力を奪うために、専門知識によって恫喝する役割を担うべく動員されているのである。こうした「専門家」の目くらましと、チンピラたちの情動を結び付けて、敵対的外交を政府が扇動し、マスコミが追従するのである。

ところが、憲法学者は、素人でもわかるような明確な議論によって、素人を公論の場へと引き入れた。絶望的に理解不可能な「論理」を煙幕に張って、法案を「正当化」しようとした政府に対し、誰にでもわかる理屈で議論してもよいことを示して、人々に議論する勇気を与えた憲法学者たちの功績は極めて大きい。それこそ知識人の本来は果たすべき役割である。

それ以後の国会論戦が、素人対「専門家」のイデオロギー闘争の場に化したのは不思議ではない。一方が、いかにも「専門的な」議論の迷路によって、人々を公論から遠ざけようとしたのに対し、憲法学者は法の精神が人々に共有し得るものであることを示そうとして格闘した。

結果は、政府が持ち出した「論拠」が次々崩され、政府自身が何度も論点を変えるありさまであった。「専門家」や官僚の議論が、いかにまやかしのものであるかが、白日の下にさらされた。もしマスコミがそれを公正に報道していたら、政府は完全に孤立していただろう。しかし、NHKを代表として、すでにマスコミはチンピラたちの楽園になってしまっていたのである。

政治闘争は、単純に政策の理非を争うようなものではないのだ。闘争する者はそれぞれの権力と資源をかけて争うのであり、それゆえ、情報における格差や隠蔽自体が闘争の現場での主要な問題となる。金と権力で真実を隠蔽するチンピラ一味と、それを暴露しようとする人民が闘うのである。客観的事実や共有された情報に基づいて、政策の理非が公正に論議されるなどということは、金輪際ないのである。

だからこそ、我々は情報の格差や手持ちの権力の欠如を補うために、公論の場にすべてをさらすべく努めなければならない。公開の言論による以外、我々に勝ち目はないからである。

従来型の政治闘争では、国会の議論を材料に、野党を後押しするのが大衆運動の役割であった。政党が有権者の代表である以上、それは議会政治上正統化されたたてまえであろう。

しかし、当然ながら、代議士もただ支持者たちの考えを代理するばかりではない。代議士もそれ固有の利害関係を持つのだから、それに反する局面では、有権者を裏切ることもあり得ることを十分に理解せねばならない。特に与野党間で、情報と権力の格差が大きいところでは、野党代議士やその指導部はたやすく与党に買収され、政権に寄り添う形でおのれの保身を図ろうとするものである。このような例は、明治憲法の下の国会でしばしば見られたものだ。

我々は、こんなことを当然の政治学的事実と心得ておかねばならない。支持政党に支持者が裏切られるなどということは、あまりにも起こりがちなな事柄にすぎず、それを恨んでみても仕方がないし、その結果、政党政治や民主主義自体に絶望するような柔弱さを、自分に許してはならない。

むしろ、政党が我々を裏切ったということは、我々の政治運動自体の脆弱性と戦略的欠陥によることを自覚して、今後の教訓にせねばならないのである。政党も議会も場合によっては我々の役に立つこともあるのだ。

今回、何よりも民主党が、はじめから安保法制にまともに反対する意志がなかったことは、明らかである。そこに大きな期待を持つこと自体、大きな誤りである。民主党は、内部に安全保障政策に関して大きな対立を抱えていて、安保法制に内心賛成の議員が半分ほど存在するだろう。それ故、明確な態度を打ち出そうとすれば、党が分裂しかねないことは、はじめから察せられた。

岡田克也代表自身、おそらくは憲法改正にも、集団的自衛権にも、基本的には賛成だと思われる。だからこそ彼は、一貫して「安倍政権における憲法改正には反対」とか「今回の安保法制には、議論が十分に尽くされていない」などの言い方に終始していたのである。

岡田代表のような立場が個人として可能であることを、私は否定するものではない。しかし、政党の指導者としては、いかにも間抜けなものであったことは、残念ながら認めざるを得ない。個人的には誠実な人柄なのであろうが、政治指導者に必要は資質に欠けているのである。

彼が当初、党の分裂を避けるために、とりあえず議論の丁寧な進め方に強調点を置くことにした方針には、無理からぬところがあった。問題は、6月段階で急速に大衆運動が盛り上がったとき、政治闘争の潮目を呼んで、明確な安保法制反対を打ち出さなかったことである。これにはもともと民主党に幻想を持っていた者も含め、有権者を大いに失望させた。

法案反対には、憲法改正論に立つ憲法学者も存在したのであるから、岡田氏の政治的センスのなさは際立っていたというべきである。

松下政経塾出身者たちにも共通することであるが、彼らには権力闘争のセンスが欠けている。これは、小沢一郎氏の場合と際立つ点である。小沢氏自身は、岡田氏以上に集団的安保や憲法改正に積極的な持論の持ち主であるが、潮目を呼んでいち早く路線変更をしている。山本太郎議員と組んでいる点を見ても、彼の機会主義者ぶりは見て取れる。

実際、大衆運動の盛り上がりにつれて、民主党の代議士の一部は、党の方針を無視する形で積極的に反対運動に参加してゆく。蓮舫氏がその代表である。しかし岡田氏の指導力が欠けていたために、党内の右翼陣営をコントロールできず、党の分裂を露呈するに至った。

細野豪志の国会質問などは、安保法制反対陣営から見ると、耳を疑うほどひどいものであった。実際、のこのこ彼が国会前デモに顔を見せたとき、人々からヤジが飛んだのも当然である。そのヤジさえ、ごく穏やかなものであったため、彼は図々しく演説を続けられたものである。

結果的に見れば、岡田氏の目論見は崩れ、党は分裂を露呈したばかりか、民主党に対する人々の期待が裏切られ、大きく支持率を低下させた。どっちつかずの態度が信用を失わせ、法案に対する賛否どちらの陣営からも支持を失ったのである。今後とも民主党が人々から信用を取り戻すことはあるまい。

しかしいずれにしろ、我々にとって肝に銘ずべきは、彼らの行動が、我々自身の街頭闘争によって、思いのほか影響を受けるという事実である。少なくとも民主党の議員に対して、その立ち位置を動かし、維新の会を分裂に導く程度の力を持ったということに注目しなければならない。もう一歩で、民主党を分裂に追い込むこともできた。

民主党が機を見るに敏であったなら、今般の法案を廃案にすることも不可能ではなかったろう。それは、民主党の存在感を有権者に印象付け、彼らの政権に道を開いたかもしれない。もちろん、脅したりすかしたりしながらでも、党内の憲法改正論者、集団的自衛権論者をも糾合してである。権力闘争に対するセンスとはそのようなものである。

もし、党が分裂する場合でも、誰か憲法学者を党首に立てて臨時救国政府を呼びかけるくらいのことはできたはずだ。その場合は、変化を好むマスコミを味方につけて、ブームを起こすことができたであろう。それは、すぐに政権には結びつかなくとも、将来の政治勢力の核となり得たであろう。

そうなった場合と、今回の違いは明白である。今回、民主党の信用が決定的に失われたのと反対に、共産党が一定の人気をさらった。「本気で」安保法制に反対してくれる勢力が他になくなったから、それも当然である。

しかし、それは決して我が国の政治状況にとって好ましいことではない。いろんな理由から、共産党が政権与党になる可能性がほとんどないから、共産党だけをライヴァルにする場合、政権はいくらでも暴走ができる状況が続くだろう。共産党がどれほど正論を述べたところで、それが政権をとる可能性が存在しなければ、与党にとって何の脅威でもないのである。

他方、共産党自体を見ると、彼らはすでにその党勢を維持することで、既得権益に与っている。もしそれ以上に党勢を拡大した場合、必ずバランスを取ろうとして、彼らの前進にはストップがかけられる。なぜ共産党に限ってそのようなことになるかについては、ここで詳述することはしないが、充分な理由が存在することは確かである。

そして共産党自体その立場に甘んじていて、その点でその支持者とは考えが必ずしも一致していないのである。支持者たちは、滅私奉公的に身を捧げて、いつしか党指導のもとに理想が実現することを夢見ているが、党幹部はせいぜい党勢拡大によって自治体の一部を握って、そこを党利党略の拠点をすることくらいしか考えていない。それは彼ら(幹部)により大きな利権をもたらすだろう。それゆえ一般には、共産党に自治体権力でも握らせたら、公正にそれを行使しないのでは、と疑う人が多数いるのだ。

岡田克也という無能な野党指導者を持ったことは我々にとって大きな不幸ではあるが、そのおかげで、たとえば山本太郎のような政治家の力量が浮き彫りになったことや、極右政党「維新」の分裂したことは、不幸中の幸いであった。

しかしそれにしても、どこが一番いけなかったのであろうか? 無能な野党指導者が、彼らの利害に従って動かざるを得ないのだとすれば、我々はどのように行動すべきだったのか? それでも我々にどんな可能性が残さされていたのか?

これに答えるのは難しい。そのためには、政治闘争の原点に立ち返って見る必要がある。

憲法学者の登場が、人々の関心を集めたのは、公論というものが存在し、それに誰でも参画できるという可能性を現実に示したからであった。それまで、公聴会などというものを、人々は信用していなかった。どうせそこには、各党派が都合よく選んだ「専門家」が登場し、割り振られたセリフだけを言うセレモニーでしかない、と皆は思っていた。だからこそ、自民党に呼ばれた学者が、意外にも自分の持論を述べたことに衝撃を受けたのである。

おおかたの「意見」なるものは、それぞれの利害や立場の表明にすぎず、せいぜいその建前の表明であり、マスコミをはじめ買収されたものであるから、真面目に受け取る必要のないものであると思われていた。

そこに、どんな手違いのよるものか、突然公論の空間が開かれた。我々一人一人に、公論に参加する可能性があることが示された。今回の運動を通じて、もっとも大きな意義があるのは、このことを多くの人々の胸に想起させたことである。そしてそれこそが、人々を決起させたのである。

そうであるからこそ、せっかくの運動が実は国会と同じような裏取引と変わらないことが感じられると、運動が萎縮していくことは避けがたい。共産党の政治が持つ限界は、それが、このような公論に開かれていないと、多くの人が感じていることから来ている。共産党に限らず、そもそも公論を無視するシニカルな見方をする人々が軽視しがちなのが、自由な公論のこの力である。

私の考えでは、買収と脅迫によってつくりあげられた「権威筋」の恫喝が恐れるに足りず、自由な公論が驚くべき力を持つことに人々が気付いたとき、予想を超えた大衆運動の盛り上がりが見られるということ。これこそ、革命の現実性と呼ばれてきたことに他ならない。革命の現実性を信じない政治は、いつも決定的な所で政治の現実を読み違える。

しかしいったん開きかけた自由な公論が、それ自体信用できない裏取引に毒されていることが示唆されるや否や、再びいつものような裏取引とマヌーヴァの政治に席を譲ることになってしまう。急速に大衆運動が退潮するのはこうしてである。

私自身は、今般の運動にどのような指導力が発揮されたのかつまびらかにしない。しかし、当初から、大衆運動としては、かなり不自然な点が目立っていたように思う。それは、参加者の意見の多様性が極端に伏せられていたことである。今回のように立憲主義という公論自体の存立をめぐる闘争においては、イデオロギー的多様性が避けられない。むしろそれこそが闘争の力になるはずである。

しかるに今般の運動においては、そのような多様性がどこかで抑制されていたように見える。私はこの運動が参加者同士の間での議論の乏しさの点で、市民運動としてかなり未熟であると感じてきた。

さもなければ、運動の行方をかなり強力に指導している影の指導部がどこかに存在していたことになる。あるいは、運動参加者が、各人各様に自分から対立を避けるように自主規制していたのかもしれない。

いずれにしても、このような一様性への強迫は、それが自由な公論には程遠いものであると人々に感じさせることによって、結局は運動の勢いをそいでしまうものである。運動を活性化するにあたって、肝心かなめの点は、運動自体の中に自由な公論が圧倒的に保証されているということである。その点での不足が、今般の運動の敗北の根にあるのではなかろうか?(つづく)

Posted by easter1916 at 02:11│Comments(0)TrackBack(0)

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