ノーベル物理学賞を予言したマンガはコレ!スーパーカミオカンデについての世界一雑な説明『決してマネしないでください。』 マネできないサイエンス・オペラ
いつもの店のカウンターで本を読みながら夕食をとっていた。その店は創作蒸し料理のお店で、今住んでいる街に引っ越した4年前からずっと通っている。このお店の内燃機関である「蒸しせいろ」に、小籠包などの“包子”系から、豚バラ叉焼もバナナも、おしぼりなんかも放り込んで、アツアツの料理にして出してくれる。産業革命からずいぶん経つが、居酒屋のカウンターから眺めると、蒸気は街場の魔術に他ならない。
“ちまき”とその日のお刺身で一杯やってると、添えられているしば漬けが妙に美味しいことに気がついた。店の信頼は、敢えて語らぬ小技にあると僕は思う。
――そういえばさ、漬物って浸透圧の原理を使った料理だよな。
店主「…すいません森さん、何言ってるのか全然分かんないっす」
大村智さん、梶田隆章さんのノーベル賞受賞で世間が湧く今ですら、店主とはこんな感じだが、僕はカウンターごしに料理人の動きを見ていると、いつも科学実験を思い出す。たとえば、つくるのがもっとも簡単で、おいしくするのが難しいとされるペペロンチーノも、味の決め手は「乳化」のメカニズムにある。
というわけで、このマンガを紹介しなければならない。『決してマネしないでください。』だ。
『決してマネしないでください。』第1巻
Q4切れた蛍光灯を灯すにはどうすればいいのか? より
一応言っておくと、決してマネしないでください。
作者は累計230万部突破の『日本人の知らない日本語』の蛇蔵さん。『モーニング』にて初となるマンガ誌連載中で、『決してマネしないでください。』単行本は現在第2巻まで発売されている。
主人公・掛田氏は、とある工科医大の理論物理学研究室に所属する。ミスコンですら「男の娘」でまかなわれる女子欠乏状態の中、彼は学食のおばさんに恋をする。ストーリーはその告白(?)シーンから始まるのだが、
「僕と貴女の収束性と総和可能性をiで解析しませんか?」
無論、撃沈。やはり人間の感情は物の理とは無縁なのか?余談だが、アニメのスペース・オペラ『カウボーイビバップ』で、世話焼きで昔の女性のことばかり思い出すのが好きな中年脇役ジェット・ブラックが「女は理屈じゃねえ」とつぶやく回がある。
このマンガは、そんな掛田氏の少々風変わりな恋愛をめぐり、またいちだんと風変わりな物理学研究室の役者たちの日常を、「科学あるある」なストーリーをふんだんに採り入れて展開する、サイエンス・オペラである。
タイトルにも敢えて「サイエンス・オペラ」という言葉を使ったのは、このマンガで描かれるストーリーは、非常に詳細で科学的に正しい事実関係の知識、さらに動的な科学史の知識の裏付けがなければ決して描くことのできない、実は見かけよりも非常に重厚に練られたエピソードに溢れているからだ。
たとえば先に引用させていただいた電子レンジで蛍光灯をつけるエピソードは、電源コードを使わずに電磁波で電気をつける行為だ。かつて、それを実際に試みた科学者がいる。彼の名前はニコラ・テスラ。19世紀〜20世紀のアメリカに生きた電気工学者だ。高圧交流発電に成功し、今世界中の電源で使われている「交流送電」の生みの親であると同時に、発明王エジソンとがっつりケンカしていたことでも知られる。
本書によれば、電気を電磁波に変え、無線化を試みたテスラは高電圧を発生させる「テスラコイル」を生み出した。この原理を使い、夢の無線送電を実用化するためにJ.P.モルガンの出資を得て、巨大な電磁波塔「ウォーデンクリフタワー」を建造する。しかし実際には多すぎる電力ロスが問題になり、出資は打ち切り、ついには本当の夢の技術となった。
それが現代の家庭では、電子レンジに蛍光灯を放り込めば実現できるというわけだ。そして今や世界中の家庭にあるこの電子レンジも、もとは軍事レーダーの開発の中で偶然生まれた調理器具だったことも本書では語られる。こうしてエピソードを一読すると、僕たちが科学史という巨人の肩に乗って生きていることがよく分かる。
もう一度言っておくと、決してマネしないでください。
『決してマネしないでください。』第1巻
Q3字も書けない青年はどうやって名医になったのか? より
また、本書のエピソードの中には、科学好きには常識だけれど、一般的にはあまり知られていない科学者も登場し、思わぬ発見がある。引用させていただいた上のページに登場する人物は、解剖医学の鬼才、ジョン・ハンターだ。
『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(ウェンディムーア著/矢野 真千子訳)というノンフィクションを読んでいる大ファンの僕としては、こうしてジョン・ハンターが動いているだけでもう手に汗が止まらなくなるものだ。
彼の生まれた18世紀のイギリスは、「瀉血」などの非科学的な医療行為(中にはほとんど殺傷行為としか思えないものも多々ある)が横行し、病気になればいろんな意味で命取りだった。その中でジョン・ハンターはブラックジャックさながらの名医として活躍する。どんな病気でも、彼はたちどころに治してしまった。評判が評判を呼び、彼の家の玄関には、名医の奇跡を求めて多くの患者が尋ねた。
その一方で、彼の家の裏口からは、夜な夜な非合法な手段で入手した数々の死体が運びこまれる。彼の名医としての活躍を支えたのは、卓越した解剖学の知識だったのだ。特殊な奇病と聞けばすぐさまその死体を調達。家には骨格や臓器の標本がズラリ。おそらくは当時、世界でもっとも多くの人間の中身を見た人物だっただろう。
今でこそ当たり前の医学的アプローチだが、当時はヘビー級のマッド・サイエンティスト。しかし科学的に病気を解明し続けた結果として、ダーウィンよりも70年も早く進化論を着想し、その弟子に天然痘ワクチン「種痘」を生んだエドワード・ジェンナーを輩出する。
『決してマネしないでください。』第1巻
Q4切れた蛍光灯を灯すにはどうすればいいのか? より
時にはこうした科学の美学も語られ、最後には大変丁寧に参考文献も掲載されており、中には科学誌『Nature』の名前もあって驚かされる。やはり店の信頼は、敢えて語らぬ小技にあると僕は思う。そういう店の味はマネできないのだ。
そういえば大学の学生が学食のおばさんに恋をする、という物語では、山下和美さんの『天才柳澤教授の生活』の第129話「Pureness」を真っ先に思い出す(という人はほとんどいないだろうが…)。こちらも本当にオススメなお話なので、学食のおばさんに恋をしている方がいればぜひ読んでいただきたい。
もはや余談を超えて完全なる雑談だが、冒頭の僕と店主のやりとりを隣の席で聞いていたカップルは、話を興味深く聞いてくれた。23歳の同い年カップル。女の子は大学生で、男の子は高校を出てすぐに就職をしたらしい。男の子は「社会に出たら勉強の連続だよ」と言い、女の子は「大学に行ってより一層何を勉強して良いか分からなくなった」と言っていた。社会に出てからも大学のいろんな先生の話を聞いて回る仕事をしている身からすると、両方ともとても鋭い指摘だと感じるし、何より二人がとても良い浸透圧で結ばれていることが微笑ましかった。
森 旭彦
【マンガHONZ編集部による追記】
実は、週刊モーニングで連載中のこの作品の最新話で、ノーベル物理学賞を予測するかのように、「加速器ってなにを加速するの」の話題を取り上げている。モーニングの発売日が10月8日(木)なので、当然、物理学賞の発表前に入稿している。おかげで単行本の1巻・2巻とも品薄になっている模様。書店で見つけたらお買い逃がしのないように。
ノーベル賞で話題の「加速器って何を加速するの?」の世界一雑な説明。『決してマネしないでください』本日発売の週刊モーニングに掲載。アインシュタインの相対性理論と超ひも理論も、なんとなくわかるように書きました。細けぇこたぁいいんだよ pic.twitter.com/IkkxrYj50Y
— 蛇蔵 (@nyorozo) 2015, 10月 8
今日発売の雑誌のモーニングに載ってるってことは、原稿はもっと前に提出しなければならず、書いたのは発表前です。予言ではないですけども。ニュートリノのニュートは、車のニュートラルなどのニュートです。たぶんパシリムのニュートも。 https://t.co/8bdRd9o1X0
— 蛇蔵 (@nyorozo) 2015, 10月 8
「加速器って何を加速するの」は下記のモーニングにて。
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