2015年10月13日

(メモ)『学術書を書く』(京都大学学術出版会, 2015)を読んだメモ

 
・学術書が研究者の評価の道具として扱われるようになった結果、アメリカの大学出版部は二極化し、小規模群は母体大学の援助なしに成り立たず、黒字を出せるのは全体の1割程度で、ほとんどビジネスとしての体をなしていない。
・日本ではこの出版不況下に大学出版部の設立がむしろ活発。(既存の出版者が受け皿になれないため)
・京都大学学術出版会では1999年以来、海外の出版社と共同して、日本から英文の学術書を世界に向けて刊行する取り組みを続けている。
・(小規模の専門家コミュニティに向けた学術論文とは異なり)学術書の読者とは、多少専門は離れるが広くは関係する分野の研究者・学生(二回り、三回り外の専門家)。書かれた内容が専門の垣根を越境して拡がる可能性のあるメディア。
・学術情報のメディアが電子化・オンライン化することで、読者を規定するような物理的な制約がなくなったため、発信者が読者を意識しにくくなった。読者・読み方がかわった。にもかかわらず、学術情報メディアのカテゴリは変わらないまま、ではないか。
・学術情報のオンライン化・オープン化によって「知の民主主義」がおこるようになった。だからこそ、単に学術情報をネットに整理・評価なしに置いておくだけでは意味が無く、情報に関連性や体系性や意味づけを与える役割が必要になる。その編集者としてのキュレーション機能のあり方が、学術書を誰に向けてどう書くかと、重なる。
・共同研究等で領域を越えるような研究は、学術雑誌というメディアでは総合的・体系的に表現できない。
学術書に最も特徴的な性格は、越境性である。専門家ではない読者に内容を伝える、研究の核だけではなく必要な解説を配する、二回り、三回り外の読者に届くようにする。
・初版1000部は、学術書の目安であり、同時に学教会会員数のひとつの水準でもある。そのくらいの範囲を対象としてほしい。
・本にしたときに読んでほしい相手が、狭い専門分野よりも外の広い範囲であるなら、自分の研究を全体の中に”位置づける”必要が出てくる。
・inter-chapter integration(章と章との統合)。章同士がばらばらにならず本全体との関係がわかるように。
・専門外への無関心が問題。


posted by egamiday3 at 21:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする