嘘吐きフィロソフィ



散華



彼女に教えた恋詩。
確か、以前の主だか誰だかが詠んでいたものを覚えていた、そのはずで、俺が彼女に伝えたものだ。
韻を踏むそれを口にすると気分が良い。
意味は分からないけれど、と、あどけなく笑った時の事は未だに色褪せず俺に染み付いている。

夕暮れの赤い色。
その赤よりも鮮烈な緋色。
彼女の――牡丹の、流した血の色。

優しい女だった。

ありのままの俺がいい、写しであるなどと関係ない。
そう言って俺そのものを受け止め、導いてくれた。

何時からか。
主だから。そんな理由でなく、牡丹だから。
彼女だからこの身を捧げるのだと誓ったのは。

腕の中でじわじわと衰弱していく感覚は何処までも愛しかった。
少しずつ死んでいく牡丹を感じ取るこの器があることに誰ともなく感謝するほど愛しかった。


この決戦が終わったら死ぬ必要があるのだ、と。
閨の中、俺の腕の中で呟いた彼女は、泣きそうな顔をしてこう言った。

『全てが終わってまだ私が生きていたのなら、その時は、お願い、山姥切国広。
 あなたの手で私を殺して。薬じゃ嫌。貴方の霊力の礎として死なせて』

拒む必要などなかった。
どうせ死ななければいけないのなら俺が殺す。
それを言おうとしていたからだ。
生まれたその時から必要とされず、ただ適合したという理由でここへ運ばれ、俺の主となった籠の鳥。
その鳥に愛された俺が、籠ごと鳥を潰して良い。
――幸せなことだ。
分かった、と、伝えた声に喜色を含ませないように必死になったことを牡丹はきっと知らないんだろうな。

 

 

装束を濡らすこの冷えた血液の伝う感触。
それすら牡丹の命なのだと思うと身が震えた。

牡丹の細い首を切り落とした時に感じた肉の、骨の、筋の感触。
先程迄生きていた牡丹の首を抱き上げた時の軽さ。
吹き上げた血潮を浴び感じた熱さ。

最後の一言まで俺の名前を呼んでいた。
腕の中で衰弱していったあの主は、死後に俺が困ることのないように気を使って断食をしてくれていたから、ここには血の匂いしかない。
本当に優しい。俺を愛して、どこまでも俺のために生きてくれた。
たった一人。俺だけの、主。

 

膝の上で安らかに目を閉じた牡丹の頭をそっと抱えあげる。
薄く血の気の引いた肌。
その中心で紅を引いて赤い、益々赤い血の滴る唇へ、俺のそれを重ねた。

死して尚、あんたは俺のものだ。

俺があんたのものになったように、あんただって俺だけのものでいてくれ。
そう願いながら閉じた瞼の下へ指を滑らせる。
自然と落ちた瞼は抵抗なく俺の指を受け入れ、眼球の下へと爪が触れた。
思ったよりも眼球、というものは潰れ難いようだ。
だが潰してはいけない。そっと、そっとだ。
予想よりも随分大きな眼球をゆっくりと引き出していく。
視神経と言うのだろうか。
何かがどこかで――ブツリ――音を立てて千切れた感触がした。
予想していたことだ。構わずに瞼の中から可愛い眼球を取り上げた。

もう一度繰り返せば俺の手元には二つの球体。


最期の一瞬まで俺を見つめた目。


それを、一つ口へ放り込む。
――怯えるなよ、牡丹。大丈夫だ。噛み潰しなどしない。
ごくり、と。
少々無茶な大きさを覚悟の上で飲み込む。
どうにか喉には詰まらなかった。どれ、もう一度。
同じように飲み込んでみたがまだ胃は十分だ。

俺を見つめたその目は今、この器に収まった。
もう二度と誰を見つめる事もなく俺の中。

(飴玉のような形の癖に甘くはない、当たり前か)

次。
女らしくふっくりとした唇。
唇の、前歯のその先へ指先を突っ込み、小さく愛らしい舌を掴む。


ああ、いつか睦言の時に触れたら驚いていたな。
すまない。
けれどもう痛まないだろう?
死ぬ時ですら微笑んでいたろ?


大きく開かせた口の中へと小さなナイフを差し込む。
これは本当に便利だ。
出陣で弦が絡んだ時も、銃の玉がめり込んだ傷を手当てした時も。
あんたの可愛い小さな舌を切り取るにも大活躍だ。

切れ味も落ちちゃいない。
簡単に切り取れた舌は口吻で触れ合わせた時に感じたよりも大きく思えたが、俺の舌よりは随分と小さい。
まだ舌に残っていたのだろう血の雫が伝う。
ああ、この小さな肉で俺を愛撫し、俺を呼んだ。俺のことを表した。
そう思うとこれも噛み切るなど出来ず、伝う雫ごと嚥下してしまった。

(これも甘くはないか。ぬるり、とはしたが)

唾液に混じる仄かな鉄の味はあの人の血の味。
生きてきた証そのものの味と思うと俺の血とは違い、甘美に思えた。
もうこれで二度と俺以外を呼ぶ事はない。
俺以外を味わう事もない。俺のものだ。

さあ、次は俺に永久を誓ったその小さな左手の薬指を貰おうか。

シロツメグサの指輪を飾り、俺を永遠に伴侶にと微笑んだあんたのここは誰にも渡さない。
この手がどれだけのものに触れたかなどどうだっていい。
この指だけは、絶対に誰にも譲るものか。
俺以外の誰にもこの永遠を譲るつもりはない。

硬直のまだ始まらぬ牡丹の左手。薬指だけを咥え。
歯が折れても構わない。この一度耐えてくれればそれでいい。

にちゅ、とも。ぎちゅ、とも。
どちらともつかぬ音を残して呆気なく細く小さな指は元の肉体から乖離し、俺の口内へと落ちて――堕ちた。

まだ詰まっていた血が口に広がった。
甘い。俺にとっては甘露。

これもまた飲み込む。
ここに飾ったシロツメグサの思い出を噛み砕くことはしない。
それにこんなに小さいんだ。飲み込めないこともない。

 

さあ、問題はこれからだ。


緋色に染まった着物をそっと剥ぎ取る。
細い腰。薄い腹。
その上から少ない知識で目当てのものがどこにあるか、それを思い出し、俺そのものである刀身、その切っ先で白い腹を割り開く。
腹圧に押し出された腸。それらは用事はない。
ああ、不恰好だと怒るか?大丈夫だ。後で元通りにするさ。
あんたは身嗜みにうるさかったからな。

もう温もりも残らない腹の中を探す。

ああ、これだな。
形もそのまんまだ。

ぐ、と引っ張ると既に抵抗の失った肉から引き離された目当てのものが俺の視界へと飛び出す。
女はここで男を受け入れ、子を育て、産むのだという。
子宮、だとか言ったか。

なあ牡丹。あんたは俺を初めての男にしたよな。
なら最後の男として俺に食われてくれよ。こんな意味でも。

でもこんな大きさじゃ俺の喉を通っちゃくれない。だから少しだけ我慢してくれ。
破瓜の時も我慢出来たんだ。もう一度だ。すぐ大丈夫になるだろう。

歯を立てて生の肉を噛み千切り、ろくに咀嚼もしないまま飲み下す。

(ザクロはこの味だというが、嘘だな)

従順ではなくにゅるりと逃げるこの肉は確かに牡丹のものだ。
あれほど俺を愛していると言いながらこの女の部分は一度俺を拒むようにぎりぎりと痛いほどに締めてきた。
それを思うとこの仕草も愛おしい。


大丈夫。俺と一つになってくれればそれでいい。優しく抱いていてやる。


どうにか噛み千切り、掌に零れた中身ごと胃に収め終わったところでそろそろ夕暮れが終わることに気付く。
ああ、じゃあ最後の大物を貰おうか。

チキリと鳴るのは俺自身で、曝け出させた白い肌のその中央。
白い胸の中央、そこを暴いていく。


そこに心がある。
あんたを思うたび疼き、痛み、喜んだのだから、ここにあるものが【心】。
ならば最後にあんたの心を喰らう。
道理だろう?


思ったよりも心は生々しい。
だがそれでこそ。
こんな薄汚れた俺に全てを愛され、殺され、奪われ、食い尽くされるあんたの心。
俺のところまで堕ちきった女の心。


なあ、俺があんたに思いを告げるまでに受けた痛み、今この時に少しだけ味わってくれ。


大振りでもある心へ噛み付いて、噛み砕いて、溢れた血潮ごと全て喰らい尽くす。
口を伝う血も、よく分からない液体も、全て俺がもらっていく。

俺の、俺だけの、俺だけを愛した主。
愛している。
愛していた。
これからも、これからがあれば、ずっとずっと、俺だけの主でいてほしかった。


「愛してる」


この緋色の部屋に眠るあんたを見て誰がどう思おうがいいさ。
愛してる。
あんただけを、これからも、これからも、この形失おうと、それだけは絶対に変わらず、変えない。

愛してる。


幾度も繰り返した言葉を俺はもう一度だけ口にして、緋色を視界から締め出した。

 

 

 

 


 


 




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