個人的に餓狼の世界ではライデン、マリー、ローレンスの三人が「三大舞ちゃんキラー」だと思っておりまして、ルール無用の一対一のデスマッチを想定した場合、舞と彼らの相性の悪さはひょっとしたら、設定上最強キャラであるはずのテリー、ギース、クラウザーあたりを相手にするよりもなお分が悪いんじゃないかな~と考えたりする訳であります。
なかでも無印RBにおけるマリーの必殺技のラインナップは、実際のゲーム内の性能はさておき、不知火流の技をことごとく封殺し、舞に完全敗北を与えるためにデザインされたのではと思えるくらい「メタ・不知火舞」な充実っぷりで、正史におけるRB(ギース最期のKOFとなったこの大会の優勝者がテリーであることはMOWのオープニングによりFA。つまりテリー以外のキャラクターはギースタワーに辿り着けずに敗退していることになる)で舞を倒し、KOFから敗退させた忌まわしき敵はマリーなんじゃないかと個人的に妄想しています。
この妄想の根拠をもう少しお話するなら、餓狼3のギース戦で受けた負傷をおしてRBに参戦した死に急ぐアンディを救おうとする舞の意志の強さと、その覚悟が生み出すであろう鬼気迫る戦闘能力(言うならばヒロイン補正)を想像すると、相性最悪のマリー以外に舞がそうそう不覚をとるとも思えず、ホンフゥ、フランコ、ボブあたりのニューフェイス勢はもちろん、ジョー、キム、ビリー、山崎、秦兄弟あたりの準最強(←設定上の話です)キャラであっても、RBの舞を打ち負かすのは容易でない気がするんですよね~。
そうなってくると、舞がトーナメントから敗退するシナリオとして有力なのは、
①アベンジャーズ・エイジ・オブ・ウルトロン(2D日本語字幕版)
②ミッションインポッシブル ローグネイション
③ジュラシックワールド(IMAX 3D)
④BORUTO~NARUTO THE MOVIE~
⑤バケモノの子
⑥ナイトクローラー
⑦アンフェア The End
⑧MAD MAX 怒りのデスロード
我ながら久しぶりに短期間で結構な数の作品を観たものだと思います。
中でも印象深かった(私にとって高評価だった、あるいは「う~ん残念」という意味でインパクト大だった)作品は以下の三つ。
④BORUTO~NARUTO THE MOVIE~
個人的に、アベ2やMI、マッドマックスを抑えてこの夏ナンバーワンの評価を与えたいのがこれ。かつて少年少女だった読者たちが父や母になる程の長い年月をかけてようやく完結に漕ぎ着けた原作漫画の魅力が土台にあるとはいえ、成長著しい新世代の躍動と新たな冒険活劇の始まりを予感させつつ、旧主人公たちを放置せず噛ませにもせず、より掘り下げ魅力的に描くことで、往年のファンを不快にさせることもなく、ここまで見事に主人公たちの世代交代を描いた作品を私は知りません。上映時間が2時間未満の劇場アニメ一本で、TVアニメ1クール分と同等以上の満足感と感動、余韻を観客に与えるという意味では、あの『逆シャア』にも負けない名作なのではと言ったら褒めすぎでしょうか。
⑤バケモノの子
宮崎駿の一つの到達点であった『千と千尋の神隠し』を彷彿させる、緻密に描き込まれた世界描写は見事としか言いようがないものの、スカスカの設定がその足を引っ張っていますね~。また、魅力的なキャラクターが大勢登場するものの、穴だらけの脚本が彼らへの感情移入を妨げる。実にもったいない作品。素人目に見ても、細田監督が「こういう画を撮りたい、見せたい」、「こんな台詞をキャラクターに喋らせたい」と強く思っていたであろういくつかのシーンばかりが監督の脳内で先行し過ぎてしまい、それらのシーンを拙い脚本でぎこちなくつなげた「点が線になっていない作品」であることは明らかで、もう少し各種設定と脚本がブラッシュアップされてさえいれば、アニメ映画史に残る細田監督の最高傑作にもなり得たと思える素晴らしい要素も少なくないだけに本当にもったいないです。
⑦アンフェア The End
俳優、佐藤浩市の存在感に救われた作品。悪く言えば、彼が演じる一条に全ての役割をおっかぶせて監督が逃げに走った佳作どまりの完結編。設定と脚本はここまで引っ張った割には竜頭蛇尾と言わざるをえません。「完結します詐欺」だった数年前のThe Answerの時点で、佐藤嗣麻子監督の脳内設定がどこまで出来上がっていたかは不明ですが、雪平父殺害の真相、村上の駒だったはずの薫の変心、一条の雪平に対する想いはおそらく、今回の映画制作の時点になって苦し紛れに捻り出した後付け設定のような気がします。このシリーズの特性上、雪平にとっての良き新相棒のまま終わる訳がないと登場時から思わせた、永山絢斗演じる津島の行動原理が、予想に反し小物であった点も残念。どうせなら、実は安藤の生き別れの弟で、兄の復讐のために雪平を狙っていたというコテコテな設定の方がまだよかったかも。
久しぶりにGIGAから楽しみな作品の制作情報が発表されましたね。一年に一回、監督様たちがセールスを競うコンペイベント、「G-1グランプリ」で、陣寺監督のエントリー作品のヒロインが火鷹舞であることが先月末に判明しました。現時点では、監督ブログに「あの忍装束」を纏った女優さんのスチルが掲載されているのみで、ストーリーも敵役も、ヒロインへの責めの方法も謎に包まれていますが、それだけに色々と妄想が膨らんで期待してしまいますね。
少なくとも、スチルの完成度は高い。舞の美しさ、色っぽさ、可愛らしさ、快活さ、小生意気さがよく再現された、いいスチルじゃないですか。
コスチュームも、KOF96準拠の尻尾二本verでかつ、足袋の装飾、扇子の大きさなどいい感じ。しかも今回は基本カラーの紅白に加え、2Pカラーとでもいうべき青い装束までなぜか用意されているみたいじゃないですか。
これはあれですかね、赤か青のどちらになるか分かりませんが、作品序盤で舞が纏う方のカラーのコスチュームが敵の攻撃によってボロボロにされ大破する、いわゆる脱衣KOを舞が喰らい、スペアの装束を纏って再起を図るも再び敗北し、そして……。という展開を期待していいんでしょうかね?ワクワク。
女優さんもダンスとフィギュアの経験者で、柔軟性と運動神経良さそうだし、スタイルいいし、舞コスが良く似合っているし、これであとはゲームや漫画等のサブカルに理解があって、二次元世界のヒロインになりきって演技できる人だったら最高ですね。
正直、十八番であるスパガとけ○こう仮面以外の版権ヒロインに対する、陣寺監督の造詣が深いのかそれとも浅いのか、元ネタ作品に対して愛着を持っているのか、いないのかは未だに未知数な部分が多く、舞をいかにして魅力的に映し、そして堕としていくのか全く想像がつかないのですが、とりあえずは続報に期待です。
先日、海外に向かう飛行機の中で『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』を観る機会がありました。まだ日本で封切りされていないタイミングだったこともあり、日本語吹替えも日本語字幕もない、英語字幕のみでの鑑賞となったため、理解できない台詞も多々あったものの、それでも十分に楽しむことが出来ました。
この作品、単体のSFアクション映画として見た場合、特に過去作品を全く観ていない一見さんにとっては、世間での話題性の高さほどには楽しめないんでしょうが、映画『アイアンマン1』から続く一連のアベンジャーズ・プロジェクトにおける、クライマックスに向けての繋ぎの作品としては、相当に計算して作られた良作だと思います。一人一人が主役を張れる、というか実際に主役を張っているヒーロー達が一同に集うオールスター作品は、どうしても焦点がブレやすく、その表面上の華やかさ、豪華さと反比例するかのように消化不良な駄作になる恐れが決して低くないはずですが、その点今回のアベ2はメインキャラの一人一人にきちんと見せ場を作りつつ頑張っていました。
美貌の凄腕エージェント、ナターシャ(ブラックウィドウ)の、暗黒の少女時代を断片的に見せてきたのは、明らかに今後の作品への伏線でしょうね。エンディングにおけるアイアンマン、ソー、ハルクのチーム離脱と、ファルコン、スカーレットウィッチらの加入、キャップを頂点に再編された新生アベンジャーズも「面白い顔ぶれだけど、チームの攻撃力、破壊力が激減してるじゃん。これで勝てるの?」という危なっかしさがあっていいですね。この危うさも、近い将来公開される『シビルウォー』で『ウィンターソルジャー』に引き続き、「本物の正義」故に再び追われる立場となり、盟友だったトニー・スタークとすらも拳を交えなければならなくなる(はずの)キャプテンアメリカの過酷な宿命を暗示する伏線なのかもしれません。
それと、今回の映画におけるウルトロンは正直、あんま強くなかったですね。スカーレットウィッチの精神攻撃&クイックシルバーの超神速に翻弄さえされていなければ、チーム総動員の必要すらおそらくなく、アイアンマン、ソー、ハルクの誰かなら単騎での撃破も十分可能だったでしょうし、ナターシャ、ホークアイあたりのサポートさえあれば、エース級ヒーローの中では攻撃面で劣るキャップでも十分に勝機がありそうな描写でしたね。
終わってみれば、アクション面、戦闘面での最大の見せ場が悪役との最終決戦ではなく、映画中盤における精神攻撃で暴走したハルクVS彼の暴走を友人として止めようとする、マーク44(ハルクバスター)で武装したトニーの重戦車級バトルという、ある意味内輪もめに過ぎない乱闘だったのは少々寂しい。
最強無敵のヒーローたちが束になっても敵わないような悪役無双と絶望感、そこからのヒーロー達の奇跡の巻き返しというカタルシスは、『インフィニティウォー』での登場がほぼ確実なサノスまでお預けなのでしょう。
しかし、他のゲームジャンルと比較した場合の格ゲキャラが内包する情報量の優位性も、家庭用ゲーム機のスペックがPS、SSあたりから飛躍的に向上し、家にいながらにしてアーケードゲームと同等以上のグラフィックが楽しめるようになった90年代後半には揺らぎ始め、2000年を越える頃には完全に逆転されてしまうんですよね。
個人的に転機だったと思うのは、PSソフトとして発売された初代『バイオハザード』や『FFⅦ』のあたりですね。あの頃から、格闘ゲーム以外のジャンル、つまりRPGやアクション、ADV、シミュレーションゲーム等のゲーム画面内におけるキャラクターの仕草の表現、感情表現が飛躍的に向上して、TVアニメや実写映画ばりに、キャラクターが身振り手振り、口の動きや、表情の変化を交えた「芝居」を出来るようになった。また、少し前までは格闘ゲームや恋愛シミュレーションゲームの専売特許に近かった「ボイスつきでしゃべりまくるキャラクター」が、他のジャンルでも当たり前になっていきました。つまり、一本のゲームをクリアするまでの間に、我々プレイヤーが得ることができるキャラクターの情報量が劇的に増加したのです。
しかも、RPGやアクションアドベンチャーは、キャラクター同士の会話や絡みが非常に多いですから、こうなってしまうと、ことキャラクターの描写という点で格闘ゲーム、特に2D格闘ゲームは非常に不利になってくる。数々の伏線を張り巡らせた本格長編ストーリーを展開しようにも、わずか数十秒~長くても数分の中間デモやエンディング、対戦前のテキストわずか数行のキャラクター同士の掛け合い、勝利画面でのこれまたわずか数行しかない勝利メッセージ等のみで描写できる情報量はたかがしれています。自分のお気に入りキャラクターの二次創作小説を書こうにも、ゲーム本編から拝借できるネタが非常に少ない。小説の中で、キャラクターを動かすのが非常に難しい。
分かりやすい例をあげるなら、仮にティファ視点で『FFⅦ』ゲーム本編の物語を完全ノベライズ化する、ユウナ視点で『FFⅩ』を完全ノベライズ化する場合、アクションシーンの臨場感を文章化する難易度は置いておくとして、ネタ不足に悩むことは絶対にないと思います。それこそ、ゲーム本編で展開する各イベントを連作短編としてそのまま文章化するだけでも軽く文庫本数冊くらいの文量になるでしょう。それくらい、膨大な数の台詞と仕草が、ゲーム内の彼女たちには与えられているからです。ゲーム本編で提供される情報が多いからこそ、本編では語られないキャラクターの内面や、イベントとイベントの間にあるいは起こっていたかもしれない幕間の出来事も想像しやすく、これもまた二次創作小説の恰好のネタとなります。
一方で格闘ゲームの場合はどうか。まず、ゲーム本編で提示されるキャラクター一人一人の情報量が他ジャンルに比べて圧倒的に少ないため、場面設定、キャラクター同士の会話、キャラクターの動作に至るほぼ全ての要素について、書き手の想像力をフル稼働させないことには、そもそも物語を作り出すことすらままならない状況です。いうならば、他ジャンルで二次創作をしようとした場合、ゲーム本編の映像を文章化すればそれがそのまま脚本として実用に耐えうる場合が多いのに対し、格闘ゲームの場合、キャストの顔写真つき履歴書とオープニング、エンディングの絵コンテを一枚ずつ渡されただけの状態から脚本を書き始めなければならないくらいの難易度の差があります。
長々と書いてきましたが、近年、格ゲキャラの二次創作小説を見かけることが少なくなってしまったのは、ゲームの進化に伴う、書き手の想像世界における格ゲキャラの相対的な動かしにくさというのが関係しているような気がしてならないわけであります。