SAORI YAMAMURAオフィシャルブログ【幸せにしかならない生き方】いかなる時も自分LOVEママと年子姉妹

【幸せにしかならない生き方】【あげまん道】【サヌキとアワ】、年子姉妹の娘たちのことを書いています。
これを読んだら、幸せにしかならないんだから♡

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タイトル通りです。


私は、究極、子どもが死んでもいいと思っています。



誤解の無いように書いておきますが、


実際にそうなったら、当たり前に平常心じゃいられないし、悲しいに決まっています。



私がこう思えるようになったのは、


こちらの記事にも書いていますが、



命への信頼と、命の期限を知っているからです。



4月、ちゃみさんの広島講演会で、最も衝撃を受けた言葉が、


「私は、子どもが死んでもいいと思っています。」


でした。


これを聞いた時、私は、

「私、娘たちが死んだら気が狂う。

これは言えないし思えない。」と思ったと同時に、


こうやって、言えるちゃみさんの思考を知りたいし、この域まで行きたいと思ったんです。


【あげまん道的子育て】を、徹底的に実践しました。


ちゃみさんの発信を読んで考えました。


娘たちの姿を見て、感じて、考えました。


ずっと続けて来ました。


ちゃみさんは五男くんを叱らずに育ててきたと発信されています。



私は、それが出来ないんです。


出来ないことを無理にするのは、自己犠牲であり、【あげまん道的子育て】じゃないから、

出来ない私を認めて、叱る回数を減らす工夫をしました。


今もしています。


娘たちに対する、ムカつきや怒りも私の大切な感情だから大切に扱うことを決め、

こんなママだと降伏しました。


もちろん、叱らずに育てるのは目標です。


長女は3歳まで叱らずに育てました。


でも、これは、いかなる時も私軸じゃなかった。


次女は、ほとんど、本当にほとんど叱らずに育てています。


完全な私軸で。


3歳を過ぎても、ほとんど叱らずに育てていける自信があります。


自分勝手に怒っても、罪悪感や自己嫌悪を抱かなければいいんです。



私をママとして選んで、誕生日を選んで生まれてきたんだから、命の期限も決めてきている。


じゃあ、私が何をしようが、その期限が来たら、逆らえない。



だったら、【危ない】と言う必要がないし、

心配する必要がないの。


例えば、道路に飛び出して、

「危ない!」と叫んでも、叫ばなくても、

期限が来てないなら死なないし、

期限がその時なら、どうしようもないんだもん。



娘たちは、飛び出して行くことなんて無いけど、


私が心配してもしなくても一緒だし、叱っても叱らなくても一緒なの。



【自己肯定力】を潰さない、私を一番に置くこと。


これをぶれずに貫いたら、


ちゃみさんの言葉が、ガツンと腑に落ちたの。


好奇心旺盛で楽しむ娘たちの行動力も、行動範囲も私が制限する権利はないの。



心底、娘たちの全てを信頼しているから、1ミクロンの心配もないんです。





こうやって、振り返ることなく、

先に飛行機に乗り込むのも、娘たちがふたりで、来ること、ママの背中を見ていると知っているから。



娘たちの初体験を、私が邪魔したくないから。


ふたりだけで、搭乗口から飛行機に乗るまでの成功体験が、娘たちの自信になるんだから

私は、私のペースで楽しめばいいんです。



てゆうか、迷子になりようの無い場所で、

私が寄り添う必要がないもん。



娘たちは、出来る子だから、


出来ることの積み重ねが、絶対自己肯定力の高さに繋がると確信しているから。



娘たちの生命力も信頼しています。



ここを信頼してから、娘たちは、軽い風邪以外の病気をしていません。



入院を沢山したのが嘘みたいに元気です。


私の変わりのデトックスも、短期間で終わります。



【死んでもいいと思っている】


こう思えたら、何でもさせてあげられるの。


危ないと思わない。


本当に危ないと察知してることは、絶対にしないから。



ここまで信頼出来るとね、


娘たちの才能が、キラキラ輝いて出てくるの。



子どもを常に気にするママの子どもって、

基本的に、能力を発揮出来ないのよ。


それに、何度注意しても聞かないしね。


ママが本当に止めて欲しいことが伝わってないの。


癇癪だってそう。


構いすぎが原因の1つだと思ってる。


ママ軸の子育ては、子どもを枠に入れなくなる。


枠に入れないから、いかなる時ものびのびして、イキイキしてる。




目指してきた域に達したら、子育てが更に楽になりました。



娘たちへの信頼は私への信頼。


娘たちへの信頼は、娘たちの命の信頼。


娘たちへの信頼は、娘たちの命の尊重。



子どもだけど、1人の人間だから、


私は、対等に接しています。






一般的な母親らしいことはしていない。


だからこそ、娘たちは、すでに、


自分の人生を自分で生きています。



【あげまん道的子育て】を実践すると、決意した時の私の覚悟は、半端なかったんだわ。


今までやってきた子育てを全て捨てることって、


私の今までの生き方を捨てるより、何倍も勇気が必要だったし、本気で頑張る必要があったから。



でも、ちゃみさんが産み出したものに間違いないって自信があったから、


私はとことん、とことん、やりました。


今、ちゃみさんが再アップされてる

【お産の話】


こちらも全部何度も読んで、いっぱい考えた。


そして、やっぱり

【あげまん道的子育て】で、間違いないと確信していたから、私は、私の選んで道を進めたの。



子育ての才能は皆無だけど、


素直に丸飲みする才能はあるから、本気でやりました。



そして、


子どもが死んでもいいと思えるまでに、


完全に信頼出来ました。


私は、娘たちが幸せな自信がある。


私が幸せだからなのは勿論、


命を全面的に信頼してくれる人がいるんだから。


命の尊さに感謝やら、なんやら書いてる育児書に、一行も書いてなかったよ。



【子どもの命への信頼】

【子どもの生命力の信頼】

【子どもの命の尊重】


長女を溺愛していた頃、私はここが抜けていたの。


ここが抜けてる子育てより、


私は、ダメな母親だと言われようが、


今の子育てが幸せです。


おとなしいと言われていた長女が、活発で、人なつっこい子に変わったのは、



自分の命に自信があるから。


だから、臆することなく誰にでも話しかけられる。



私、本気でやってきて良かったし、これからも、この子育てをしていきます。



この子育てから、生まれるものが沢山で、


とっても楽しいんだよ♪






こちらに、私が子育てを変えられた、


源のお話がたっぷり入っています。



私を選んで生まれてきてくれたことより、


私は、どこまで命を信頼するか、


命を信頼する意味を学びました。
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