ユネスコ(国連教育科学文化機関)に対する批判の声がかまびすしい。自民党の二階総務会長は日本の拠出を見直すよう主張し、菅官房長官も「分担金や拠出金の支払い停止を含めた見直しを検討する」と述べた。

 きっかけは、ユネスコの「世界記憶遺産」への「南京大虐殺の記録」の登録だ。申請した中国が資料を政治的に利用する懸念はある。それがユネスコへの反発に結びついた。

 菅官房長官らの発言通りにことが進むとは限らない。強硬発言で国内の不満に応えようとする意図なのかもしれない。真意はともかく、責任ある政治家の取るべき言動ではない。

 日本政府からユネスコへの支払いは、加盟国の責務と見なされる分担金と、各国の任意による拠出金からなる。米国は政治的な理由で分担金を凍結したが、規範となる行為ではなく、先例にはなりえない。拠出金も、むやみに出し入れして良いものではない。見直し発言は、日本政府による脅しとユネスコも国際社会も受け止めるのではないか。日本外交にとって有益だろうか。

 ユネスコは日本にとって大切な国際機関である。ユネスコと協力しての途上国支援は、日本の国際的評価を高めることにつながっている。世界遺産の制度が定着し、その登録は日本でも観光振興の起爆剤となってきている。

 「世界記憶遺産」は、近年急速に関心が高まってきたユネスコの事業で、「世界遺産の妹」と呼ばれる。ただ、「世界遺産」や「無形文化遺産」が国際法に基づいて設けられた制度であるのに対し、「世界記憶遺産」はユネスコの事務局が独自に運営しているに過ぎない。

 審議が公開されない、各国の意見が反映されにくい、など制度上の問題点があり、改善の余地は多い。だからといって、ユネスコの活動全体を阻害するような発言は乱暴すぎる。

 ユネスコは1980年代にも、運営が途上国に寄りすぎているなどとして批判され、米英などが脱退した。機能不全に陥ったユネスコを立て直し、2003年に米国復帰を実現させたのが、日本の外交官出身の松浦晃一郎前事務局長である。その際、日本政府は基金創設や人材派遣で支援を惜しまなかった。

 その過程で築かれた日本とユネスコとの良好な関係を保ち、今後も関与を強めていくべきだ。そのうえで、不満があれば、言えばいい。国際貢献をうたう日本には、そのような前向きな態度こそがふさわしい。