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はてな村定点観測所

汚物を消毒します

村上龍『69』のようなフェスティバルを開催したかった

生放送は今夜20:00〜放送開始です

ニコニコ生放送は今夜20:00〜放送開始です。コミュニティ登録者が81人、20:00の生放送予約者が54人に増えました!ニコニコのアカウントを持っていれば、コミュニティに登録していなくても生放送は見ることが出来ます。

いま朝6時。さっきまで、MySQLのレプリケーション設定をやりながらカメラのテストを行いました。たぶん大丈夫そう。ニコニコ生放送の配信には「かんたん放送」(設定簡単・画質粗い)と「外部ツール配信」(設定面倒・画質良い)があるけど、今回は「かんたん放送」で良いかな。私の高画質動画が見えても、喜ぶのは埼玉のおっさんしかいないと思います。

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生放送で語る内容は色々考えていて、初回は「崇徳天皇〜慰霊の森」がちょうど良いかなと思ったのですが、本当に祟られそうなので別な話題にします。はてなは「まったり感」らしいので、今日のはてブとコミュニティで列挙したものを参照しつつディープに話題を展開していけたら良いですね。超絶コミュ障で吃り癖があるので、その辺はご容赦を。とりあえず風呂には入りました。

以下は今夜の生放送との直接の関係はないですが、まったりで思い出したこと。

パソコン通信がテーマのテレビドラマ「空と海を越えて」

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1989年、昭和が終わり、マルタで冷戦終結宣言が出され、宮崎勤事件が世間を騒がした年に、「空と海を越えて」というパソコン通信をテーマにしたテレビドラマが放映されました。

あらすじは、沖縄の離島にキャンプに出掛けた学習塾の先生と生徒が食中毒に遭い、パソコン通信で助けを求めるストーリー。電話機が壊れて助けを求める連絡が出来ず、先生がパソコンとモデムを電話線に固定してパソコン通信の様々な会議室に助けを求めるのですが相手にされず、芭蕉ネットという草の根BBSで救援活動が始まります。血清を求めてフランスも舞台になったドラマでした。

私は当時小学3年生でしたが、このドラマを見て「パソコン通信ってすごい!」と思ったのを憶えています。その頃から自宅にパソコンがほしいと思うようになったと思います(近所の友達の家にはパソコンが置いてあってよく遊びに行きました)。

村上龍『69』との出会い

中学生の時に、村上龍の『69』を読みました。これは村上龍の自伝的な小説で、1969年の佐世保の高校を舞台に、主人公が憧れの演劇部の女の子の気を引くために映画・演劇・ロックがごちゃ混ぜになった「フェスティバル」を企画するストーリー。スローガンは「楽しくなければ誰もついてこない」。

学校内で仲間(炭鉱出身の生徒とか学生運動をやっている生徒とか)を集めて学校のバリケード封鎖を実行、そしてフェスティバル・朝立ち祭を開催して、ついに念願の演劇部の女の子と付き合うことになったのでした。

その小説の最後にはフェスティバルに関わった仲間達の「その後」がさらりと書かれています。自動車関係の仕事に就いた男の子、大学を卒業して医者になった男の子、美容師になった女の子、赤軍派に入って逮捕された男の子、自殺した人。変わっていたり、変わらなかったり、その「その後」に不思議な読後感を受けました。そして主人公は大学に進学した1970年に、演劇部の子の一方的な心変わりで別れててしまうのでした。

この『69』は『帝都物語』と並んで私の中でバイブルになり、それ以降の自分の原点になります。

何か面白いことがしたかった

高校は男子校でした。部活は演劇部と出版局に入りました。教育内容はけっこう酷くて、例えば日本史の授業は教科書をみんなで音読して、その後にプリントで穴埋め問題を解いて答え合わせをする…というのを延々と繰り返す感じでした。

「バカらしい」と思った自分は、よく学校をサボるようになって、市民図書館に逃げ込むか、電車で1時間掛けて仙台に行きました。仙台で吉野家を見つけて初めて牛丼なるものを食べて「世の中にはこんなに美味しいものがあったのか!」と衝撃を受けたのを憶えています。

仙台には、人口4万人の相馬の田舎にはない沢山の本が売っていました。歴史の教科書でしか名前を聞いたことがない本も売っていました。自分はそこで古典を買い漁りました。

学校で国語の授業を受けている時に、教科書に隠れて本を読んでいるのがバレて、白髪の先生から「お前、何を読んでおるんだ?」と言われました。「ルソーの『社会契約論』です」と答えました。「そうか、お前はそれがいいんだな」と言われて、その後はお咎め無しだったので古典を読み続けました。

そして高校性雑誌創刊計画を立ち上げます。

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この辺はモロに『69』の影響を受けていますね。そしてパソコン通信の会議室でメンバーを募ったり、当時日本でも目新しかったインターネットのWebサイト作りを始めるのでした。高校性雑誌創刊計画で知り合った埼玉の子と遠距離恋愛をすることになって、その子の隣町の大学に進学。でもその数ヶ月後には彼女と別れることになります。

楽しくなければ誰もついてこない

『69』の影響は大きくて、例えばmixiでも「Web2.0コミュニティのみんなでWebサービスを作りませんか?」というトピックを立ち上げたりしました(mixiを退会したので私の名前は「mixiユーザー」になっていますが)。60人くらいメンバーが集まったのですが(当時まだ無名だったPixivの片桐社長も会議に参加してくれました)、これは途中で頓挫してしまいます。

他にも秋葉原求人サイトのプロジェクトを立ち上げて、秋葉原でメイド喫茶を運営している人や秋葉原で働いている人達30人くらいを集めてプロジェクトを立ち上げたり。これも実らずでしたが…。

そんな感じで祭りを呼びかけながら、みんなで楽しく何かを実現できたら良いなと思いながら生きてきたのでした。全く学習していないですねw

「その後」の大切さ

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色々な祭りを開催して思ったのですが、『69』のように集まったメンバーの色々なその後があったなと思いました。今も活動を続けていたり、全然違うことをやり出したり、音信不通になったり。

今にして思うのですが、『69』は「その後」が本編だったのかなと思っています。

そんなことを「まったり」思い出しました。今日は20:00からディープな生中継を頑張ります!