第三にノーベル賞は過去100年間、人類の知的資産を共同で積み上げる一つのイベントとして定着しているという点だ。強大国となって国連に巨額の分担金を拠出し、平和維持軍や医療陣を派遣することも、国として世界に貢献する素晴らしい事業であり仕事だ。しかし金と力では解決できない問題もある。芸術や文化を広く享有することや、知識の地平を切り開くことは、人間だけに可能な美と真理を追求する領域だ。商業面での技術やスポーツ、そして大衆文化において世界を引っ張るような国であれば、人類の知的領域の幅を広げることにも大きく貢献すべきだろう。
言い換えればノーベル賞を受賞することよりも、まずはノーベル賞受賞者を輩出できるような国になることがもっと重要だということだ。われわれの関心は韓国人の誰が、いつ、科学分野のノーベル賞を受賞するかという一点に集中している。しかしそれ以上に重要なことは、政府や研究者たちがいかにしてそのような人材を輩出できるような教育、そして研究の枠を新たに築き上げ、底辺を拡大できるかという点にある。一般の国民も4年ごとにオリンピックの金メダルを幾つか獲得するのと同じような感覚でノーベル賞受賞者を待つのではなく、みそやしょうゆがじっくりと熟成するのを気長に待つのと同じ感覚で、長い目で見守ってほしい。