アドルフ・ヒトラー政権下のドイツでは、ナチ党の下部組織「ヒトラー・ユーゲント」に青少年が強制加入させられて、国家共同体への奉仕とナチズムの思想教育が行われ、全体主義体制を支える基盤として機能させられていた。本書は、戦中の日本とも馴染みが深い「ヒトラー・ユーゲント」の成立から崩壊までを通観した一冊で、とても面白かった。
本書によれば「ヒトラー・ユーゲント」の成立から崩壊までの過程は五段階に分けられるという。
「第一段階では、党から無視された若者の集団が、一応『ヒトラー・ユーゲント』として存在を認められる。第二段階では党首ヒトラーが、それを自分に無条件に服する集団として公認し、自分と個人的な関係で結ばれたシーラハを指導者に指名する。第三段階ではヒトラーの政権獲得によって、党組織としての『ヒトラー・ユーゲント』への加入者が激増すると同時に、ナチの『一元化』政策を踏まえて、シーラハがさまざまな青少年組織を『ヒトラー・ユーゲント』に統合する。第四段階では『ヒトラー・ユーゲント法』制定によって、『ヒトラー・ユーゲント』は国家組織となり、ドイツの青少年が強制加入させられる。第五段階ではアクスマンがシーラハに代わって『全国青少年指導者』となったことで、『ヒトラー・ユーゲント』は軍事化して巻き込まれる。」(はしがきより)
十九世期末、ドイツの家父長主義に抵抗して徒歩旅行を行う「ワンダーフォーゲル」として始まった個人主義的な青年運動が、第一次世界大戦後の集団的組織の形成を志向するようになり集団主義に変貌、その中の右翼民族派路線の青年運動から、ヴァイマル体制下で支持を集め始めたナチ党の運動に共感した自発的な若者の集まりとして形成され、「ヒトラー・ユーゲント」へと発展した。当初、突撃隊に入れない若者たちが、将来突撃隊に入隊する前提で結集され、ミュンヘン一揆後のナチ党の衰退時、ナチ党を支持する若者たちの運動は地道な勢力拡大が図られて、1926年のナチ党大会で正式な党の青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」が誕生、やがてナチ党の有力な支持基盤となっていった。
本書ではバルドゥーア・フォン・シーラハ、一般的にはバルドゥール・フォン・シーラッハとして表記される人物の動向を中心に、ヒトラー・ユーゲントの勢力拡大の過程が描かれている。エリート層出身の彼は、ワンダーフォーゲル的な個人主義・ロマン主義の系譜の人物で、自らの中産主義的青年運動の理想をナチ党に持ち込むことで実現しようとした。彼はヒトラーの寵愛を背景に競争相手を次々と追い落として、ナチ党「全国青少年指導者」となり、ヒトラー政権下でドイツのあらゆる青少年運動を「ヒトラー・ユーゲント」下に統一させた。ヒトラーがドイツ政界で行ったように、彼の下、ナチ党の中でも熾烈な権力闘争が展開されていた一端が伺えるのが面白い。
そして、たびたび引用されるナチ宣伝相ゲッペルスの日記、ゲッペルスが党内を冷徹に観察し人物評価しているのがまた、底知れない怖さがある。ヒトラー・ユーゲントの幹部について言えば、彼がダメだと判断すれば、ヒトラーの判断に直結して失脚しているようで、ぞくっとする。
「ヒトラー・ユーゲント」への一元化・強制加入化の過程で最大の障壁となったのが、カトリック教会だった。当時、カトリックとナチ党は「大ドイツ建設、ヴェルサイユ条約反対で一致し、ナチ党員にはカトリック教徒が多かったし、双方とも『政党国家』に反発して『組合国家』を基調とした一致」(P67)があって「政教協約(コンコルダート)」を結んで宗教的組織の保護を取り結んでいた。しかし、上層部の意向に反して、ヒトラー・ユーゲントの末端構成員がカトリック団体を次々襲撃、この手綱を引きつつ、1935年ザール地方帰属問題が片付くと、段階的にカトリック団体の吸収を行い、1939年、ついにカトリック団体の解散が命じられ、一元化が完成する。
強制参加させられる「ヒトラー・ユーゲント」としての活動は、いわゆる「リア充」っぽさがすごい。みんななかよく目的にむかって、和気あいあい、ボランティアから各種イベントまで休む暇なく活動が行われ、学校をサボる口実にもよく使われていたとか。ただし、異分子の存在は許されないから、息苦しそうなこと限りない。ちょっとでも外れた者にとっては地獄だ。そして、戦局が進展すると、強権的な体制に対しヒトラー・ユーゲントたちの不満が爆発して反抗・暴動なども頻発、これに対して、政権は強権で臨み、「少年強制収容所」が設置されて反抗的な少年少女が次々と送り込まれた。自らの手足を食い始めては、将来は無いよな。
1943年のスターリングラード陥落でドイツ軍が壊滅すると、十代のヒトラー・ユーゲントたちが主力として動員され、まずはノルマンディ攻略戦に投入されると西部戦線へ、続いて東部戦線から最後のベルリン防衛戦まで、各地の最前線を転戦させられ、少年兵が次々と犠牲になっていった。
このような流れを一望したあとだと、本書で紹介されているシーラハのニュルンベルク裁判での発言は怒りしか覚えない。
「シーラハは後年ニュルンベルク裁判で、自分はヒトラーの初期の成功に目をくらまされていたと認めた。そして『何百万人もの殺し屋だった男のためにユーゲントを教育したことは、私の罪です』と発言し、ヒトラーが自分の理想主義を悪用したと責めた。『私が建設したユーゲント運動は彼の名を担っていました。私は国民とユーゲントを、偉大で、自由で、幸福にしてくれる指導者に奉仕させようと思ったのです。私と一緒に何百万という若者がそれを信じました。多くの者はそのために倒れました』と述べた。」(P11)
自分の理想主義を悪用したのはお前自身だろう。多くの若者の理想を悪用した者とは他の誰でもないお前のことじゃないか・・・と思わず断罪したくなる。ただ、確かに彼は理想に燃えてユーゲントを組織し、ナチ党に奉仕したのだろうし、当人は己が歪めた己の理想について全く気付いても居なかったのだろう。開戦とともにヒトラー・ユーゲントの指導者から退いた彼にとって、その後の総動員体制は彼のユーゲント運動の理想からかけ離れたものであったようだ。しかし、彼の行動のまっすぐ直線上にある帰結として破局があった。
人は自身の理想と行動の乖離を冷静に判断することも、正しく自己の行動を振り返って反省することもそうそう簡単には出来ないんじゃないかと思う。ヒトラーに目をくらまされたというよりは、元々物事を正しく見据えることが出来ないというごく普通の人びとが抱いた理想の帰結であり、愚かだが愚か故にありうる営みの極北としてナチスの体制があったんだろう。そんな、若者たちの理想の先に成立したナチス・ドイツという全体主義国家を眺める一つの観点を提供してくれる一冊だと思う。
ナチス関連