ブクマ民だった頃0スターに毎日深く傷ついていた。大喜利のスター数が明らかにブクマ有名ユーザーとも違った。その差は明らかに互助会とは言わないまでも人の流れで作られる大河のようでもあり、僕はその大河に食い込むことすら許されず立ち尽くすしかない毎日を送っていた。自分の発言が0スターであることを見たくないためにURLごと避けるという精神状態にまで追い込まれもしたし、コメントに対してidコールで攻撃された後攻撃者に大量の星がつくというスターレイプも経験した。
ブクマ民は単なる羅列として多くの単体増田は認識していることだろう。しかし実際のところあの界隈では同じブクマ民の心理戦が展開されている。例えばスターを与えたのにスター返ししない人間がいる、ということに敏感になったり、スター返しなんざしなくても良いと考えていたらスターを貰えなくなってきたり、グリーンスターに申し訳無さを感じたりなどだ。特にカラースターは端金とはいえ一応金を支払ったいう重みが相当度のしかかってくる。あまつさえ奢られている後輩の気分にすらなる。無償で毎回カラーをばらまく人の場合その好印象はいや増しに増すのだ。
当時活躍していたブクマ民で特に分かりやすいのがダジャレ名人の某氏だった。彼は数々の深刻な記事をいじり続け、その不謹慎な大胆さで一躍ブクマ民のスターダムにのし上がることに成功した。明らかに良いポジションに乗った氏はブログにて『このダジャレが凄い』という記事を投稿した後燃え尽き症候群にかかり、豪雪の夜に斜面を滑り落ちる雪だまを思わせる速度で姿を消していった。その要因の一つが彼の承認欲求にあったらしい。彼はダジャレブログホッテントリ後にダジャレが注目されないのは辛いと心中を吐露し始め、常にダジャレによって承認を得なければ苦しくなる性格であると言い始めたのだ。頂点を維持し続けなければならない苦悩とトップレートを維持できない悲しみは、さながらが禁煙運動で世間から押し潰されるJTの様でもあると思うと、僕の胸も潰れんばかりだった。僕がやめる頃になるとfeitaと呼ばれるよく分からない人が悪目立ちを始め、直後嫌気が差した僕はしばらくはてなから姿を消さざる得なくなった。
戻ってきた僕は増田でホッテントリを連発するホッテントリメーカーとして返り咲いたが、あの殺伐とした四畳半ルームシェア的同居感は忘れようがない。あの頃の自分に比べると増田は決して修羅の国ではない。むしろidコールがいつ飛んできてもおかしくないブクマ民の方により修羅の国を感じるほどだった。
時は過ぎ僕が増田のホッテントリ入りしてしばらく経った後の事だ。ブクマを時々見守る僕の前に質素なイカやはてなボックスのアイコンが光った。それは傷だらけでいやらしく、荒くれていて救いがなく、陰湿で含みをもたせていた。そして彼とは別に視界に入るやや元気の無いダジャレタグとJTの緑文字は、以前よりも申し訳なさげにそこにいる。僕はその時思ったのだ。