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【お金は知っている】
「TPPで日本再生」とは笑わせる 対米追随でやせ細った日本
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルに日米独(当時は西独)英仏の5カ国(G5)の蔵相・中央銀行総裁が集まって、ドル高是正のための国際協調で合意した。筆者はその日、たまたまニューヨークに出張していて、記者会見場に駆けつけた。
壇上では、身長2メートル超のボルカー米連邦準備制度理事会(FRB)議長の脇で、議長の肩にも届かない小柄な蔵相の竹下登氏(当時、後に首相)が頭の上に手をかざして背比べのまねをしておどけている。
対米協調は表看板、内実は対米追従の日本という構図を取り繕おうとする、竹下氏特有の照れ隠しだったのだろう。実際に、合意後日本の大蔵省と日銀は米国の求めに応じて、通貨・金融政策を展開することになる。
合意前1ドル=240円前後だった円の対ドル相場は急上昇を続け、ドル下落に歯止めがかからなかった。87年2月にパリ・ルーブル宮殿で開かれたG7(G5とイタリア、カナダ)蔵相・中央銀行総裁会議で決まった為替相場安定のためのルーブル合意は不発で、同年10月19日にはニューヨーク・ダウ工業平均株価が一挙に22・6%安と、史上最大の暴落に見舞われた。
G7の中で米国に忠実なのは日本だけである。米国の意を受けて、日本の大蔵省は日銀に圧力をかけて利下げさせ、超金融緩和を続けさせた。あふれる円資金は国内の株と不動産市場に流れ込んで、バブルを膨張させた。一部は米国向けの不動産や証券投資や直接投資に振り向けられ、米市場に寄与する。