――これからは、楽しいことだらけの人生にしていきましょう!
乙坂有宇は6話で最愛の妹を失い、傷害事件、麻薬の摂取をするまでに追い詰められる。
当然だ。大切な人を失うと全ての事柄がどうでもよくなるし、自暴自棄になって周囲を壊すか自分を壊すしかなくなっていく。今まで育んできた倫理観なんて簡単に踏み越えられちゃう。
7話はそんな掌から大切なものが零れ落ちる悲しさが描かれていた。そして友利奈緒の差し伸べる手によって、乙坂有宇は立ち直り、今までの日常へと帰ろうと決意する。
つまり6話~7話で描かれていたのは「もう奇跡は必要ない」ということだ。乙坂有宇は不条理な現実を受け入れ、妹の死を直視し、そんな世界で生きていこうとしていたんだから。
しかしここからが面白いのだが、10話で兄である隼翼はタイムリープという《奇跡》を提示し「歩未を助けろ」と言う。有宇はそこに何の逡巡も、何の躊躇いもなく兄の能力を奪って使用した。
――奇跡が必要なかった世界で、奇跡は使用される――
そうして有宇は妹の危機を救い、最愛の妹が生存した世界を手に入れる。一見ハッピーエンドだ。
しかしどうだ? 結果から言えば、有宇は能力がなくなるまで秘密の施設にいろと兄から言われ、しぶしぶそこで生活し始めるようになる。けれど彼が欲しかった日常はこれじゃなかったはずだ。閉鎖された施設で何年間もいることじゃなかったはずだ。
星ノ海学園で友利や柚咲や高城たちと過ごし、家に帰れば歩未が待っている「ちょっと前まで」の日常を欲していたはずなのにタイムリープを使っても手に入らなかったのだ。
有宇「でこれからどうなるの? 兄さんと一緒に帰れるの」
隼翼「むしろ逆だ。お前はどんな能力でも奪い去れる最強の能力者だ。しかもタイムリープの力まで持ってしまった、それはあまりに脅威だ」
有宇「…なにが言いたいんだよ」
隼翼「お前の能力を利用しようとする組織はいくらでもある、これまで通りの暮らしは送らせられない。その能力が消えるまでここで過ごすんだ」
――Charlotte11話
そして間もなく彼はマフィアの闘争に巻き込まれ、右目を失うことになる。隼翼は病院の屋上で「俺たちはこれからどうなるか分からない」と言い、もうあの日々が戻ってくることはないことを予感させた。
乙坂有宇は歩未を生きている世界を手に入れたものの、その代わりといってはなんだが「友利たちとの学園生活」と「右目」をタイムリープ後で失っていることになる。
そして今までタイムリープを使い続けてきた隼翼は、結果から見れば「両目を失明」し「最愛の家族(有宇と歩未)から自分の記憶を消させ」「表の生活で生きられなくな」っている。さらに10話で有宇にタイムリープを使えと言った彼は、その後の世界で「親友・熊耳」さえも失った。
結果さえ見れば、タイムリープ使用者は大事なものを多く失っていることになっている。何故だろう?
《奇跡》を使った代償だからだ。
◆
8話のサラ・シェーンの言葉を覚えているだろうか。
彼女があのバスの中で語ったことは「人生は一度切りのものだ」「ズルをしたら付けを支払う時がくる。その時は上手くやれよ?」である。
サラ「人生ってやつは、一度切りのものだろう」
乙坂「もちろん」
サラ「私はバンドのフロントマンとしてステージに立つことを夢見ていたんだ」
サラ「けど、私の人生、気づいた時には手遅れで、その夢を叶えることはできなかった」
サラ「歌もギターもヘタックソで、テレビでは年の近い奴等が歌で賞賛を浴びててさ」
サラ「神を恨んだ」
乙坂「でも、今はそうなってるじゃないか」
サラ「それはズルをしたからさ」
乙坂「ズル?」
サラ「それも、自分の欲だけのためにな」
サラ「日本でもすげー売れたことがある」
サラ「社会現象、時の人、そういう成功の仕方だ」
サラ「莫大な金が動く、周りの目も変わる、もちろん悪い方にな」
サラ「結果、家族にも迷惑をかける」
サラ「金目的で弟が誘拐されたこともある」
サラ「だからそういうのはやめにしたんだ」
サラ「結果、地味なバンドのフロントマンになる決心をした」
サラ「最後にな、引き換えに視力を渡して "THE END"さ」
乙坂「誰に」
サラ「そりゃ神様だろうよ」
サラ「ま、今のあんたにゃ解らないだろうな」
サラ「けど、もしそんな時が訪れた日にゃあ、上手くやれよな」
――Charlotte8話
『Charlotte』で言われる「ズル」とは、自分の欲の為に能力を使うこと、一度きりの人生を裏切る「タイムリープ」という奇跡の力のことだろう。そしてそれらズルをすれば代価を支払う時が必ずやってくるのだ。
実際に、乙坂兄弟はタイムリープ後に「身体機能」「欲していた日常」「親友」をことごとく奪われている。それもタイムリープ使用前と使用後では「前進」している感じが全然見られないのは何故だろう。見方によってはタイムリープを使ったことで幸福から遠ざかっているようでさえあり後退しているようでもある。
そういえば乙坂有宇は1話で超能力を使いテストの点を誤魔化し、果てには学園のマドンナ的存在・白柳弓を付き合うために故意に自動車事故を引き起こし命の恩人までも演じた。
しかしそのズルで手に入れた名誉と恋人は、友利奈緒の登場によって一瞬のうちにして霧散してしまう。最後には友利ちゃんキックだ。
まだこれはせせこましい所業の範疇だからこの程度の代償で済んでるものの、これが「時間跳躍」とまでなると話は別なのだろう。先にも言ったように乙坂兄弟は大事なものばかり失っている。
それも当然かもしれない。奇跡に等しい力を使い時間を捻じ曲げ、未来を書き換え、人の理を破り、自分自身の《一度きりの人生》をぶっ壊したそのズルの代償はそれに見合うカタチなのも無理はないのかもしれない。
「なんなんだよ!僕にそんなことが出来るはずないだろ!一個人でどうこう出来るような問題じゃない!僕はズルをしていい点を取っていただけのただのカンニング魔だ!自分のことしか考えてこなかった嫌なヤツだ!皆から良い目で見られたかっただけの卑しい人間だ!……そんな僕に…何が…!!!」
――乙坂有宇,Charlotte11話
その通り。
彼はただのカンニング魔で、奇跡が要らなくなった世界で奇跡を提示されれば安易に奇跡を使ってしまう愚か者だ。
本当はあの時あの10話で彼は「タイムリープ(=奇跡)」なんて必要なかった。歩未の死で訪れた苦しみを全て無かったことにして、友利奈緒が差し伸べてくれた手を無かったことにして、ぶら下がった美味しそうな果実に口を付けてしまった大馬鹿者だ。
乙坂有宇という人間は最初から最後まで、"ズル"をして何かを成そうとする人間なのだ。
しかし13話にて、彼はそのズルと決別する。略奪で得た治癒能力で「右目を治す」かどうか迷う場面があるが、彼は「治さない」と選択するのだ。
つまりこれはもう時間跳躍で世界をやり直さないという選択であり、もう僕に奇跡は必要ないという宣言であり、これ以上自分の《一度きりの人生》を歪めないという意志の現れだったんじゃないだろうか。
「この手をいま右目に当てたら、僕はタイムリープ能力まで取り戻せるんだ。これで熊耳さんも助けられるかもしれない」
「いや違う」
「そんなことの為に能力を奪ったんじゃない、これ以上人の理を破る行為なんてしちゃいけない」
「能力者のいない世界にする。それだけが僕の使命なんだ」
――乙坂有宇.Charlotte13話
私たちが生きているこの世界は、死んだ人間は蘇らないし過去はやり直せないし、時間は止まらないし、神に懇願した所で聞き届けてくれないし、悲しいことはなくならい不条理と不合理で出来た最低で最悪で最強で最凶な場所だ。
だから、やり直せないことは本当に多いんだよ。
泣いちゃうくらいに大事なものは両手からさらさらとこぼれ落ちていくし、それを止めるようとして手の平を逆さにしようとすると全部なくなっちゃう。そういう非情さを歯を食いしばって耐えて皆生きてるんだよ。頑張って頑張って頑張ってる。
でもね、時間跳躍っつーのはそういう頑張りを無にする行為だ。人生の有限感をぶっ壊す行為だ。当然じゃないか。何度もやり直せる人生なんて「人生」じゃないんだよ。そこには豊穣な含意なんてものはない、ただやせ細った、退屈で、白黒の世界があるだけだ。
そんなものに意味はない。
ループする世界にも、世界改変する世界も本質的には無意味だ。一見それらはハッピーエンドを呼び込んでくれるように見えるかもしれない、何度も世界をやり直すことで最上の幸福を掴めるように思えるかもしれないだがそれは間違いだ。そういった《奇跡》を使った瞬間彼らの人生は確実に壊れるのだから。
一度きりの人生を大切にするのならば尚の事、奇跡なんて、時間跳躍なんて使っちゃいけない。現実がどんなに不条理でもそれを飲み干せるのが"生きる"ってことでしょ。恐怖に打ち勝ち勇気を持って前へ進んでいく。時にはそれが蛮勇になることだってあるかもしれないそのせいで失敗するかもしれない。でもそれでも過去に戻り続ける人生より、今しかない人生を前向いて歩むほうが遥かに輝いている。
奇跡という点ではサラを思い浮かべるかもしれない。なぜなら彼女は一度目は友利奈緒の兄をその歌声で一瞬にでも正気にさせたこと、二度目はZHE ENDのライブで乙坂有宇の思い出されるはずのない前世界の記憶を呼び起こしたからだ。
「本来なら起こりえないことを起こしている」
確かにそれは私たちが考える奇跡という言葉に近い。ならば彼女もまた奇跡を起こしたということでその人生が破損するのだろうか?
いいやそうじゃない。サラはあくまでも出来る限りはやるが保証はしないという立場で友利の兄へ面会しただけだし、"奇跡を使おうと思って使った"わけじゃない。おそらくここが『Charlotte』において《奇跡》の在り方においてとても重要なポイントなんじゃないかと思う。有宇の記憶を呼び起こしたことに至っては全くの偶然で、サラの意志はそこに介在していない。
偶然に、偶発的に、自然発生的に起こる奇跡は『Charlotte』において許されているんじゃないか。サラがあれから何かを「支払った」描写もないことから、勝手に起こりえる奇跡と人為的に発生させる《奇跡》(=時間跳躍)は区別されていると考えられる。
何度も繰り返すがそれはやはり時間跳躍という名の《奇跡》は生を全うすることから外れているからだろう。
生きるというのは、過去に戻ろうとするんじゃなくて今から先を歩くことだ。そしてそれは既に3話で示されていた。そう西森美砂に出会うお話だ。
ショウという少年は、西森美砂を事故で死なせてしまった事を悔み続け、それを美砂本人に告白するシーンに対応する彼女の言葉は「今を生きること」について印象的じゃないだろうか。
「ショウ、あたしのことは忘れて、明日からはお前の人生を歩め」
「いつまでも死人のことを引っ張るな」
「でないと、お前の人生狂っちまって、この先幸せになれないぜ」
――西森美砂.Charlotte3話
「俺はお前がいない、俺の道を歩む」
「お前への想いを断ち切る」
「そうして生きてく」
――ショウ.Charlotte3話
美砂「二人とも幸せな人生を送れよな!」
ショウ「ああ」
コータ「おうよ」
美砂「じゃあな!ずっとありがとな!」
美砂「最高に楽しかったぜ!!!」
――Charlotte3話
そうして過去を見ていた少年は、過去を断ち切って、前へ歩いていった。死んだ人間は、今生きている者の背中をそっと押してあげていた。
幸せにな、と。
さらに12話では、乙坂有宇は西森美砂に「今のうちに両親に会ったほうがいい」という。それは彼が死ぬような体験をし人生が限りあるものだと気付いたことからだ。人生はたった一度きりなんだと、だから今できることを今やっておくしかないのだと。
そういう人生の有限感を知っているものの言葉だった。
「あたしは柚咲と違って親不孝もんだ。まあ、死んじまったのが一番の親不孝だけどな」
「なら、親に会いに行けよ。その力が失われる前に」
――美砂、有宇.Charlotte3話
そして美砂は両親に会いに行き、その想いをそばへのレポートに滲ませる。生前の美砂は両親の料理をこんなふうに褒めることができただろうか。彼らの愛が隠し味になっているからおいしいと言えただろうか。
あの日できなかったことをするんだ―――後悔しないために。
13話の右目を治さないという決断は、乙坂有宇が「ズルをして現実を歪めよう」とする人間から、「ズルをせず現実を受け入れる」人間へと成長した証なのかもしれない。
そして彼が成長した時――奇跡を使わずこの世界を生きようとした時――同時に彼の人生は滅茶苦茶になる運命が定められることになる。
何故なら、タイムリープして過去世界へ戻らないということは友利奈緒と「約束」をしたこの世界で生きるということであり、その「約束」を守るということであり、全ての能力を略奪するということであり、全ての能力を略奪すれば全ての記憶はなくなるからだ。
この世界で生きること、それはイコールで乙坂有宇は過去記憶を失うということになる。そういう人生を彼は予期していたか分からないが、少なくともあの時、自分の意志でこの生を選択したのは間違いない。
(おそらく)妹と兄の顔も忘れて、だいすきな恋人との記憶も失って、それでも彼はこの世界で生きている。生きているのだ。
これが《奇跡》を使った者の末路であり、きっちり代価を支払った結末である。
・今を生きようとするショウや美砂達。
・「ズルをしたら代価が伴う」と言うサラ。
・隼翼と有宇が時間跳躍(=ズル)をすることで支払われる代価の数々。
・時間跳躍とは《一度きりの人生》の損失。
・ズルをし続けてきた乙坂有宇が、奇跡を否定しズルをせず今の世界で生きようとすること。
・最後の能力は勇気。前へ進むこと。
つまり『Charlotte』は《一度きりの人生》賛歌を突きつけているのである。"生きる"ってことは過去に何度も戻ることじゃないんだよと。奇跡を使うことじゃないんだよと。じゃないとたった一度の人生は損なわれてしまうだろうと。
だからこそラストは「過去」がなくなった乙坂有宇が、「これから」のお話をするんじゃないだろうか。後ろではなく前へ。絶望ではなく未来へ彼らは進んでいく。
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ずーっと撮りたくないものばかり撮ってきたビデオカメラですが、これからは皆を撮り続けます
幸せな日常をたっくさん撮っていきます
なので幸せな思い出をたっくさん残していきましょう
…………
……
…
有宇「なんて言えばいいのかな…」
高城「素直にどうぞ」
有宇「これからが楽しみだ」
柚咲「はい! 全てはこれからです!」
歩未「そうなのですー!」
友利「これからは楽しいことだらけの人生にしていきましょう!」
(ニッ)
Charlotte――それは奇跡を否定した物語。
(付録)KEY作品とCharlotteの接続
普段、他作品と関連させながらその作品について語らないんですが(語らないようにしているんですけど)、ま今回すこしそれ破りましょう。
まず『Charlotte』はアカラサマに『Angel Beats!』のキャラクターに「似た」人たちが登場してきます。高城は高松、福山は日向、サラは岩沢という具合にです。もしかしたらリトバスもちらりと入っているのかもしれませんが無視しておきましょう。さらに7話では天使ちゃんの「もろ」Angel Beats!アニメ映像が流される感じなのまいったね。(良い意味で)
Angel Beats!は「人生賛歌」をテーマにした作品で、最初から最後まで一ミリもズレなくこれが貫かれてます。
なのでAngel Beats!のアカラサマなキャラクター達・映像はなにもKeyファンへのご褒美だけではなく、Charlotteもまた(一度きりの人生という限定的な)人生賛歌だということを匂わせるファクターだと見てもいいんじゃないでしょうか。
サラなんてもろ「人生は一度きりだぜ」なんてかましてますし。
なぜこんなことを書いているかと言うと、「Angel Beats!を匂わせたキャラが出るのは使い回しうんぬん手抜きうんぬんであるからだシャーロット商業バンザーイ」という謎発言を見かけたので反抗してみようかなと思い立った次第です。
いやいやAngel Beats!っぽいキャラが出てきたのをそういう商業的な視点で捉えるのやめてーと、もっとわかりやすい視点はこっちじゃないのと言いたいわけです。いやま、別にそんな気にする必要なかったのかもしれません。
ちなみに他KEY作品の連関からの「Charlotte」というのは非常に興味深いのではないでしょうか?
つまり「奇跡いらない→でも奇跡使っちゃう→最後にやっぱ奇跡必要ない」というの―――。
2「智代アフター、リトルバスターズ、クドわふたー、Angel Beats!」
3「Rewrite」
プレイした人なら、この文脈で、このカテゴリー分けの仕方で、私が言いたいことわかるんじゃないかなと思います。『ONE』をどこにいれるか迷うところですけど。
徹底的にKEY作品を数珠つなぎにして語りたい人は、「奇跡」を起点にすればそんなふうに一本重い論考仕上げられるんじゃないですかね。私は読まないと思いますが。でもよければこのアイディア買って頂けると嬉しいかもしれません。(知らないだけでもう既にやっている人いるかもネ)
ちなみにこのCharlotte考はそういう視点で書いてはいないんですが、ん?あれ?ここ応用すれば(やりたい人がやれば)繋げて語れなくもなさそうな題材だなーと思ったので俎上にあげてみました。
こういう視点提示、好きな人は好きそうな気がします。私あんまりこうゆうの興味ないんですけどどうなんですかね。燃えてきます?
おわり
Charlotteはこういう批評書くことはないと思ってたんですけど、書いてしまった。
全話視聴後は観て満足しましたし、不満もなかったので何か書こうとすらも考えていなかったんですよね。それに本作は一本の記事にする作品でもないと思っていたので…………当時は言語化する必要性とかありませんでしたし。
ただCharlotteに不満を持っている人は少なからずいて、私はその不満をうまく理解できなくて、Twitterでつぶやきの検索をしていろんな人の感想を漁って、以下の記事を書いたことが本記事を書く契機になったのは確かでしょう。
参照→Charlotteがこんなにも文句言われるだなんてお姉さんびっくりだよ
Charlotteに不満を持っている人に読んでいただければ、その不満は僅かながらでも解消できそうな記事なのではないかと高をくくってるんですが、別段そんな効果を期待しなくても読んでいただけたのならば幸いです。 ありがとう。
ちなみに本作の好きな登場人物は「乙坂有宇」「乙坂隼翼」「西森美砂」「サラ」「高城」です。あれ友利ちゃん入ってなくないっすか? 友利ちゃん別に嫌いとかそういうわけではないんですが"好き"と宣言するとなると外れちゃう感じです。ごめんなさい。
女性キャラならば美砂さんとサラさんが圧倒的だったりします。こういう強気だったり、ガサツだったり、「ふんっ!」だったり、クール系お姉さん最高です。
男性キャラならばもちろん有宇。次点で隼翼ですかね。いや兄ちゃんまじいい人柄像だよなあ……。彼ら二人はもうその声が良すぎてしまいます。
それではまたどこかでみたらし団子を食べながらでもお会いしましょう。
Charlotte関連記事
各話感想
1話。Charlotte1話白柳さんかっこ良すぎるのではないか