15/10/12/: 本日の埋草/「正しい」筆順なんて早く滅びればいいのに
2007年に東京ビデオフェスで大賞を獲得した作品。以前に東京ビデオフェスティバル|アーカイブ[歴代大賞作品] のほうへのリンクで紹介したような気もするのだけれど、うーん、今確認したらはてブに登録してなかったなぁ。というような個人的事情はさておきご覧になっておく値打ちのあるものだと思う。長野県梓川高等学校放送部の作品、高校生が作ったというような限定抜きでよく出来ているんぢゃないかしら。
なぜこういうちと古いやつを引っ張りだしたかといえば、「『筆順』の話」(日本語、どうでしょう?) がTLを流れてきたから。ヴィデオでは筆順の問題にまでは踏み込んでいないのだけれど、結局行き着く処は似たようなものぢゃないかなぁ。
実際、このお話でも、
自分がかなり怪しい筆順でしか書くことができないから言うわけではないが、今教育現場で指導されている筆順は決して普遍的なものではなく、あくまでも常識的なものであると心得るべきであろう。さもないと、よく人の筆順を間違っていると指摘する人を見かけるが、言い方に気をつけないと人間関係を損ねかねない。
というほぼ異議なしとしていい結論に落ち着く。「常識的」としてしまうあたりは、ちょっとどうにかしてほしい気がしないでもないのだけれど*2。そこいらへんまで追及するのは面倒だし実際的なところどうでもいいところか。
それにしても、よくわからないのが「正しい」筆順の根拠の求め方。こういうとき登場する《1958(昭和33)年に当時の文部省から出された「筆順指導の手びき」で、これこそ国が決めた筆順の基準とも呼ぶべきもの》というのは定番的説明なのだけれど、ぢゃぁそいつが何を根拠に目安となる筆順を導き出したのかをはっきりさせてくれるテキストは滅多ない。お上のやらかすことに全幅の信頼を寄せていらっしゃる方々ばかりだということなんだろうか。うーん。
「筆順」は漢字を書くときの字画の順序のことをいうのだが、漢字に限らず仮名についていうこともある、とそんな辞書の語釈のような能書きは言えるのだが、文字ごとの正しい筆順については、もっぱら手引書に頼るしかない。
その手引書というのは、1958(昭和33)年に当時の文部省から出された「筆順指導の手びき」で、これこそ国が決めた筆順の基準とも呼ぶべきものである。以降、教科書はこれを基にして筆順を示すようになった。
しかし現行の教科書では、「漢字の筆順は、原則として一般に通用している常識的なものによ」るという検定基準に従っているため(「義務教育諸学校教科用図書検定基準及び高等学校教科用図書検定基準の一部を改正する告示」(平成26年1月17日文部科学省告示第2号))、「一般に通用している常識的な」筆順を採用しているということになっている。
ただし、そうなると今度は「一般に通用している常識的な」筆順とは何かという問題が生じてくる。そこで、ほとんどの小学校の国語の教科書は、「筆順指導の手びき」で示された筆順と、そこから推定される筆順とを今でも採用し続けている。そのへんの事情は、小学生向けの辞典もまったく同じである。
強調引用者
本当にそれは「問題」なのかどうか。問題だと考えるヒトの存在のほうが問題なんぢゃないかという気がしてくる。
俗説として「正しい」筆順で書くと美しい字が書けるというヤツをよく見かけた時期があったけれど、でも、美しく書かれた古典的な書の研究結果として筆順が定められたという話はどうも存在しないみたいだ。これは旧「与太」でも書いたことがあるような気がするが、実際そういう古典的な書を見ると同じ漢字が同じ文書の中で異なった筆順で書かれていることもことさら珍しいとはいえないし、件の「手びき」と異なる筆順で書かれた漢字なんかへっちゃらでそこいらへんに転がっている。
それって弘法筆を択ばず的な、名人ならどう書いたってうまく書けちゃうが凡人はちゃんとした筆順を守らなきゃ碌な字は書けない、みたいなのとは話の筋が違うんぢゃないかなぁ。
筆順といえば、「右」と「左」の「ナ」の部分のネタが広く知られている。水平部分を先に書くか上から下る部分を先に書くかがそれぞれ逆だというヤツだ。どちらがどうだったか正確に覚えているヒトもそれなりにいらっしゃるようだけれど、あんなのは茹で卵の尖った方から喰うか丸い方から喰うかみたいなもので、一方に決しなければならぬという議論はつくづく馬鹿げたものだ。議論したいヒトはリリパットかどこかにお出かけになってからにしていただきたいくらいのもん。
僕は気分でテケトーに書く。「右」の「ナ」、「左」の「ナ」、どっちがどうだったかしっかりと忘れているからだ\(^o^)/
。テケトーに書くけれど、「手びき」と異なる順序で書いたからといって元々汚い字が格別に汚い字になるわけでもないし、「手びき」通りに書いたからといってしみじみ実感できるほど美しくかけたかといえば、そんなメデタイためしなんぞ一度たりとて存在しない。なんと云っても汚い字を書いちゃうヒトは、まず間違いなく筆順の如何にかかわらず字が汚いし、美しく書く名人が筆順を「正しく」守っているわけではないのはすでに触れたとおりだ。そんなことなど日常的な経験を通してみなさんかなりの程度先刻ご承知なんぢゃないのか。信じてもいないそういう嘘っぱちの俗説を子どもに教えるってぇのは、あんまり感心できる話ではないと思うなぁ。
美しい字を子どもに書かせたいと本気で考えるなら、そういうバカバカしい瑣末主義によるよりも、実際に美しいとされる字に触れる環境を子どもに与えることこそ重要だろう。筆順コンフォルミズムなんぞより書道美術館の類に子どもを何度も連れて行って実際のブツを眺めさせることのほうが遥かに有益だということだ。文化の伝承という意味でも、これは動かないところではないか。
実は筆順、文字を書く上で重要なものだとも考えているのだが、コンフォルミズム的な正しさにおいて重要なのではない。そこいらへんを書くのは面倒臭い。というかそのへんを書かなくたって、これを書くのもそろそろ面倒臭くなってきた。とりあえず、唯一の正しさを求めたり押しつけたりするのは反文化的なことだというあたりを頭に入れていただければ結構かしら。
と書きながらあっちこっちググッて見ると、こんな与太よりよほどちゃんとした文章がネットにはあるもんだ。そういうちゃんとしたヤツを以下に上げておくので、皆の衆は読んでおくように。
- いわゆる「正しい筆順」の幻想
《「正しい」という形容は、筆順には馴染みません》。『筆順のはなし』(中公新書ラクレ)の著者さんでもある方の記事。「正しい筆順」を幻想としつつも、ご著書のほうでは筆順の重要性についても語っておられたはず。
- 漢字の筆順をめぐって―学校教育を批判する - あべ・やすし
- 筆順 - Wikipedia
「右」「左」の日本での「正しい」筆順も紹介されている。《日本での》ということは他所では違うことだってあるのよ、ってことだ。
- 書道美術館[ググる!]、書道博物館[ググる!]
残念ながら全国津津浦浦というわけにはいかないのだけれど、そういう専門の美術館なり博物館なりはそれなりに存在する。地元になければ、旅行・出張のついでにでも覗いてみるといい。関心が多少なりともあれば、充実した時間が過ごせるんぢゃないかと思う。なけりゃ退屈だろうけど
\(^o^)/
。それでも罷り間違って、ついうっかり書の美に目覚めてしまうことだってないとも限らないぢゃないか。そういうのに目覚めてしまいさえすれば、筆順をめぐる議論なんて瞬時に解決しちゃいそうな気がするんだが、そこまで世界はきれいに出来上がっていないかなぁ。うーん。 - 書道博物館所蔵作品 紙本など|台東区ヴァーチャル美術館
こういうの、サイズと解像度を上げたやつで公開してくれるといいのになぁ。うーん。
- 注1 林直哉氏の YouTube チャンネル
から。「about」
を読むと「30年程、長野県の高等学校放送部を指導しています」とのことなので、たぶん著作権法上の問題はないんぢゃないかと思う。
- 注2 あと、《よく人の筆順を間違っていると指摘する人を見かける》ってホントかなぁ。滅多見かけないんぢゃないかなぁ。
ハマダ さんのコメント:
「正しい」という形容は筆順には馴染みません、と本にあるのはその通りだと思いますね。言葉に関わることで「正しい」という形容はすべて追放したいですね。正しい文法なんてものも無い、という立場です。
それにしても筆順へのこだわりは面白い問題です。日本人論とか日本文化論にも繋がりそうで。