2015年-10月-12日
「難民なのにスマホを持ってるのはおかしい」本当に?
前回の中途半端な記事のついでで、今更なのですが掲題の件について書こうと思います。
その前に話の枕をひとつ。
鉄血のオルフェンズ普通に面白いんですけども - はてな匿名ダイアリー
僕はこのゼノグラシアガンダムをまだ見ておりませんので、この増田さんの脚本評価については判断しませんが、脚本家の限界でキャラクターの行動や理路に不自然さが生じるのではないかという問題意識はあります(僕は別に創作者ではありませんけれども)。
「作中で“IQ180の天才”という評価のわりにものすごい頭悪そう」とか「西暦2300年代の未来人のわりに考え方が20世紀人」とか「シドニーは夏とか冬とか雪で真っ白とか言う以前に大穴だろ」といったようなキャラクター造形を見るにつけ、それにより物語への没入感が削がれてしまうことを感じたことも1ガンダムや2ガンダムではありません。コロニー落としって情報統制されてたんですかね?(それこそ隠しおおせるものでもないと思うんですけど…)
そのようなわけで、自分には及びもつかない知見を求めて日々Yahoo!ニュースのコメント欄やアメーバブログのコメント欄や発言小町などを遠巻きに眺めている次第であります。
以上枕終わり。
ここから本題。
(誤解があったので追記:Yahoo!コメントなどで)「難民なのにスマホ」というようなフレーズを幾度となく目にしました。例のイラストのひねくれた視線のように「よりよい生活を求める怠け者」の象徴に見られているフシがあります。
本来なら、危険を感じて故郷を追われた難民がスマートフォンを持つ「べきではない」、などとはおそらく誰も言わないでしょう。いかにWebが残念と言われるとしても、現に情報収集手段として様々な役に立ってもいるようですし(あとカメラもくっついているのだから写真ぐらいとってもいいと思いますね)。
それを、「難民“なのに”スマホ」と。
これってどこかの首相と同じく「難民」と「(経済的苦境からの脱出を目指す)移民」をごっちゃにしているのかなという感じがありますね。もし仮にある日 突然この国が人の住めない環境になって我々が漂泊の民族と化したら、大体の人はiPhoneとなけなしの預貯金を手に世界を彷徨することになるんじゃないですかね。
今の御時世スマートフォンはそんなに珍しいものでもないでしょう(Apple Watchを付けてたらずいぶん物好きだと思うかもしれませんけど、そうしたウェアラブル機器だって数年後はわかりません)。日本だとスマホ料金が高いし、先日出た新型のiPhoneは10万円を超えるのでクレジットカードの信用調査ではねられる人が…みたいなイメージで話をしているのかなーと思います。
そして、そもそも難民が経済的に苦境にある人々だったとして、「にもかかわらずスマホは持っている」という場合、それってそれほどおかしいでしょうか。
「生産性以後の経済」 - 七左衛門のメモ帳
(著者:ケヴィン・ケリー 訳:堺屋七左衛門)
上記の記事では、水道、電気、水洗便所はない「にもかかわらず」携帯電話を持ち、太陽光発電で充電し、微博でやりとりをするという中国南部の田舎の話題を取り上げています。
このようなことは、実は日本でもあります。まさに前回の記事で書いた僕の母方の田舎がそうです。くくりとしては「農村部」などではなく「地方都市」です。スゴイ・シツレイを書くことになりそうなので名指しはしませんが、この町は21世紀にもなって都市ガスと下水道がありません(というか、僕は東京生まれの東京育ちなので、むしろ僕の認識が誤りだったようなのですが、日本でも都市ガスや下水道がない地域は結構あるんですね)。いやさすがに電気はありますよ。
あのあたりは自民王国とか言われているそうですが、自民党は60年間何をやってたんでしょうか。なければないでまあなんとかなるから余計なコストはかけないようにした、ということでしょうか。
携帯電話や衛星放送は、インフラとしての水道管・ガス管といった「敷設のコスト」や「維持・管理のコスト」が重くのしかかる「物理的な延長」と違って、比較的低廉で導入でき、高い効果が得られるであろうと想像がつきます。この母の田舎はジャスコどころかコンビニすらありませんが*1、携帯ショップは各社そろっています。なにをおいても優先されるデバイス。もはやそういうものなのでしょう。
僕が子供のころは、携帯電話というものが(一般的なものでは)ありませんでした。ある年代以上の人は、そのような、ある事柄に対しての“感覚”が一生ついてまわります。「小中学生に携帯電話?」「家にカラーテレビがあるなんて?」「学校にエアコンだなんて?」「生活保護世帯なのに大学に進学するの?」
自分がそれらを享受するようになっても、それらがない不便な生活を知っていたり、あるいは登場当初の高価さゆえに指を咥えて見ているだけの状態を強いられていたりした経験が、そうさせるのかもしれません。おそらく今の子供であれば、「スマートフォンを持った難民」になんの違和感も覚えないのではないかと思うのですが、どうでしょうね。
もう一度考えてみましょう。
「難民がスマートフォンを持っている」
それ本当にそんなにおかしいでしょうか?
まあ、そんなことを言っておきながら、僕は通話とEメールしか使えない(そしてカメラもない)PHSをずっと使ってるんですけども。