« 2015年10月11日 | トップページ

2015年10月12日

2015年10月12日 (月)

゛バクマン゛゛ヒロイン失格゛についてもう少し。

゛バクマン゛も、全く期待していなくて、マンガってどのように描くのかだけを知れたらいいと思ったのに、まずまずストーリーができていて楽しめた。

゛ネーム゛って要は、アニメにおける絵コンテみたいなものやな、と思った。

ただ、アニメは同じ画面をどれだけの速さで動くか?の設計なところが、マンガではコマ割りになっていると思った。

アニメの原画が描ける人間でも、速度を読み手に委ねるマンガだと苦労しそうなことは容易に想像できる。

宮崎駿のマンガがやたら読みにくいのも、ジャンプとは毛色の違う作品というのもあるけど、読みやすいマンガを描くことについて、宮崎駿が不得手やったこともあると思う。

私もAKBについてしつこく言っているけど、最終的には観客や読者が気に入ってくれるかどうかで、いくらスタッフがいいとおべっか言ってくれても、現実は冷徹やねん。

AKBのスタッフ達は、そこまで認識しながら、メンバーに対しては甘いこと言う、二枚舌を使うとるところがハラタツねん。

てか、AKBメンバーはスタッフの二枚舌にこそ、オンナの第六感をフルに使えよなあ。

そう考えると、オンナの第六感も、旦那のような監視対象(w)以外に対しては発揮されん程度のもんと分かる。


この作品でいちばん衝撃的で、AKBメンバーが記憶に留めなアカンのは、2人がジャンプの王道を目指したら、既にあるからとして編集長から却下されるくだりや。

既に答えがある、既にどこかのアイドルや芸人がやっとる技を自分もやってみたところで、それはモノマネ以上に過ぎんねん。

中学生とか、やりはじめて1年以内とかならば、モノマネから覚えることは多いやろ。

゛学ぶ゛は゛真似ぶ゛から転じたと言われるくらいやし。

けど、いつまで経ってもモノマネではアカン。

自分で苦労して見つけてきた表現やないと、ヒトには伝わらん。

自分で考えることが、アドリブ力に繋がるし、アドリブ力がさらにつけば、説得力さらには演説力になるねん。

政治家なんか、最近は南京大虐殺さえなかったかのような偏向報道体制により、あんまバッシングないけど、以前は些細な発言から大勢退陣に追い込まれて来た。

偉くなればなるほど、一言一言が誰かを傷つけてないかに、めちゃくちゃ注意せなアカン。

だからと言って、アホの安倍晋三のように、台本にないことは言えんようになると、もう人間ではなくなってまうねん。


とにかく、それだけバッシングを受ける恐怖があってさえも、自分からさまざまに新しい表現を考え出していかなアカン。

伊達娘は、これだけ書いてもワカランかなあ?

ゆかるんはじめ、多くのメンバーは、多かれ少なかれ理解してくれとるんやけど、伊達娘はなんかまだ理解してない。


マンガ好きを公言してきたんやから、゛バクマン゛くらい読みこなせ。


そうせな、伊達娘に芸能人として生きていくためにできることが、ガチでなくなってまう。

こんなん、伊達娘の両親とか、原田大二郎とかは分かっとるハズなんやけどなあ。

原田大二郎の家をなんとか見つけて、怒鳴りこんだろか。(さすがにやらんけど)


それにしても、恋愛禁止やからと、恋愛の道をキッパリ諦めるくだりはツマランなあ。

禁止されて諦めてまうくらいならば、ホンマの恋ではないねん。

゛恋愛禁止条例゛という歌の歌詞にもあるやろ。

伊達娘は、そのユニットをしながら、歌詞の意味を理解してないんやからなあ。
ぶつぶつ。


゛ヒロイン失格゛は、煮えきらん恋が見ていてツマランかった。

男女の恋敵役の方が、めちゃくちゃ興味持てた。


女の子の恋敵役は、正直さして可愛くないけど、まずまず良かったんちゃう?

最後でいやらしいとこあったけど、アレが人間なんかなあ。

私のパートナーになる人間には、たとえ誰がいなくとも、陰口なんか叩いて欲しくはないけど、人間不満を溜めてまうのは理解する。


男の子の恋敵役は、坂口健太郎というんかな。
最近売り出し中っぽいなあ。

私にはどう考えても゛チャラ男゛にしか見えんかった。

演技としてはええんやろけど、やっぱオトコにはとりわけ、「何かの分野で一番になってやる」とか、「何かの分野で世界を変えてやる」みたいな野望が欲しいよなあ。

女の子は、幼馴染みかどうかよりも、オトコの芯の強さに惹かれると思う。
そして、芯の強いオトコを描けんかったのが、この作品の最大の弱点と思う。

私が女の子で、10年来の幼馴染で手堅い企業勤めと、世界を変える野望に燃えた初見のフリーランスのどっちと一緒になりたいか?を考えたならば、100%後者やもん。


ここまで書いて、私はゆかるんのダメなとこをじゃんじゃん指摘して、ゆかるんを不幸のどん底に落とすくらいでなければ、この映画のように、最後は伊達娘におさまってまうんちゃう?
と、ゆかるんも伊達娘も、その他のギャラリーも思うと思う。


ゆかるん、覚悟しとけよ。

とりあえずは、私信と思われかねないコメントには注意する(それでも私信を出したい気持ちは理解するから、完全にやめろとまでは言わん)ことと、自分のヲタには自分だけを見るようにする主張をせんことかな。

後者は、言われたヲタがドン引きして、去って行くことに繋がると思うから。

革命家も一般のオンナゴコロを仕入れるために゛ヒロイン失格゛を観て来たけど、私の感覚と違う。

私は、女の子のためになりたいと思う。

その女の子が、私の方ばかり向いていたら、私はウザいと思う。

けれども、この映画がヒットしているらしきことから、オンナは、自分に取り柄がなくても、自分が誰かと運命で結ばれていると信じたいのかなあ、と思った。

この映画は、女の子からすると、占いと同じ効果を得られるのだろうと思う。

だから、占いを信じる子には響くだろう。


私は占いなんかなくても、意思のより強い子に惹かれる。

それは、恋愛は理屈ではないのではなくて、より強い子孫を残したいという、理屈で固められたものでもある。

桐谷美玲って、大島優子をちょっとほっそりさせた感じと思った。
個人的には大島優子の方が好みやけど。

コレも゛バクマン゛と同じく、コミックスが原作で、小説とかオリジナルの企画はないんか!とも思った。

また、主たる製作は日テレで、ジブリ作品でもよく見かける、奥田誠治とか高橋望の名前も見かけた。


前から私は書いているけど、高橋望は元々徳間書店アニメージュ編集部に入って、鈴木敏夫の抜擢によりジブリの制作に移り、その後コンピュータビジネス誌゛CYBiZ゛の編集長になったけど、イマイチ売れなかったみたいで、日テレに入った。

彼もフツーのサラリーマンからしたら紆余曲折経て、ジブリを辞めると聞いた時にはなんで?と思ったけど、いまとなっては私の人生のほうが波瀾万丈や。


私の人生が波瀾万丈になった一端として、高橋望がジブリを辞めて、順風満帆な人生から敢えて外れる人生を選んだのを見て驚いたのがあるともいえる。

しかし、プロデューサーしとったら、もっと違う作品を作りたい野心はないんか?

もちろん゛バケモノの子゛が、これまでの映画とは全く異なる主張なのは理解するけど、細田守ってもう売れとるやん。

゛がんばっていきまっしょい゛はフジテレビが作って、それに関わった亀山千広はいまフジテレビ社長や。(会ったことないけど)

日立製作所で私を採用した東原敏昭は、いま日立製作所社長や。

とすると、私みたいなジブリファンはいないと言った高橋望は、10年後に日テレ社長になる可能性じゅうぶんあるわなあ。

それまでに私が日テレ潰してなければ、の話やけど。


高橋望も名前の通り、もっと高いところを望んでみろよなあ。

新しい監督引っ張ってくるとか。

私が日本政府ぶっ潰して、日テレが生き残ったら、私は自分を監督・プロデューサー・原作・脚本として売り込むかなあ。

そのときに、主演はゆかるんにする。

時間の都合で期待してないけど゛バクマン゛観た。伊達娘は私の言葉は分からずとも、゛バクマン゛くらいは理解して欲しいと思った。

たとえば、大学受験にせよ高校野球にせよ、高校生向けに大人がお膳立てしとるねん。

けど、ジャンプのマンガは違うわな。
高校生が描こうがオトナが描こうが、読者は面白いかどうかだけで判断する。

伊達娘が仮に、マンガ連載をすると考えたら、できるか?
自分には無理と思うてないか?

それと同じ気持ちで、AKBやミュージカルに臨んでないか?

カネをもらうプロたるもの、全部同じやぞ。

ちなみに、主演の佐藤健だかは、珠理奈をオトコにしたような顔しとると思った。

それと、三谷幸喜の映画に才加が出るんやな。
あんまオモロそうな感じがせんけど・・・

ゆかるんについて妄想とか言うとるのおるけど、事実やからな。後でアキブータンの2ちゃんねるでのコメント出したろ。

私の言葉でゆかるんのパフォーマンスが良くなった、と書いてある。

私に対して悪意があれば、私の言葉でパフォーマンスが変わるはずがないやろ。


そしてココで、妄想と書いてくる何人かは、AKSの工作員やろ。

伊達娘以上にリアルに伝わってまうから、危機感を感じとるということや。


別に私が恥ずかしいめに遭ったっていい。
私はこれまで、いくらでも恥ずかしいめに遭ってきた。

ゆかるんがうれしいと思ってくれれば、それでいい。

歯が抜ける夢をみた。

検索すると、全部ボロボロと抜ける夢をみるヒトは多いらしいけど、私のはどこかの臼歯1本だけ。

その1本を指でつまんで、凹凸がリアルに感じられたから、ガチなんかと思ったら夢やった。

まだドイツにいる設定で、ものすごい高く古いビル?から、急な階段を降りてきた。

そして、家に帰ってワインを飲もうとした。(ドイツではあまりワインを買った記憶ないなあ。ビールの国やし。)

午後はひさしぶりに、映画でも観るかな。

ゆかるんって、奥ゆかしい印象がある。

4年近く前に、伊達娘だけでなくいろんなメンバーに対して握手に行ったとき、多くのメンバーは私に対してガキな対応をしたけど、ゆかるんはオトナな対応やった印象ある。


ヲタ達は信じられんやろけど、私から見たらゆかるんは

゛愛されるより愛したい゛

タイプに見える。


親からの愛情をいっぱい受けているから、そのぶん余裕があるのかもや。


はじめて伊達娘に対して叱った時に、
「ゆかるんに推し変する!」
と私も言ったから、2012年1月時点で既に、私はゆかるんにかなり興味があったはず。

パフォーマンスで褒め続けていた記憶はあるけど、他にもあるかなあ?


もしかしたら、出演のチャンスがないことについてヤキモキしとったかも知れん。

ただ、ゆかるんがその時誰のポジしとったかも思い出せん。
まだシアターの女神公演しか出させてもらってなかったやろ。


とにかく。
私が伊達娘へのファンレターが多すぎるのかと思って、ゆかるんに対して握手会で聞いたら、

「私はそんなにもらったことがないから、わかりません」

と切り返してきたのは、才能の片鱗やったんやろなあ。

フツーのメンバーならば、他メンの話をすると怒って当たり前。
怒らずとも、
「そんなにたくさんもらって、迷惑に決まってます」
と言う手もあるはず。


「私はそんなにもらったことがないから、わかりません」

というのは、ウラを返せば、自分がもらったらうれしいと言うとるねん。

しかしそれを素直に言うわけでもなく、然るに、自分がもらってないことはきちんとアピールしとるねん。


つまり、私の質問に対して、最も効率的に回答しとるねん。

この切り返しひとつ見ても、ゆかるんはアドリブが極めて上手いし、女優に向いていると私は思う。


「私はそんなにもらったことがないから、わかりません」

この一言がどうしても気になって、いつかゆかるんに毎日ファンレター書いたらなと、私思い続けてきたし。

まあいまとなってはブログやけど。


それと、また事件になったらアカンから、ゆかるんと握手できるのは、AKBブッ潰してからやろけど。

そのときには、握手ではなくデートやろなあ。

演劇で代役センターの件なんて、私まさにそうやん。

日立製作所時代、2012年1月頃に、聞いてくるだけでいいと言って出された、大して専門でもない(IEC62267:都市鉄道の自動運転:AUGT の制定でかじった程度)鉄道ホームドアの国家戦略の打ち合わせで、鉄道会社とメーカーでゼンゼン違う言い分を言っていることに気づいて、


「我々は新しい路線を輸出するために、打ち合わせをしている。
そうすると、あるべき路線がある。
あるべき駅がある。
そこにはあるべきホームがある。
そこには、あるべきエレベーターとかエスカレーターがある。
そこに、あるべきホームドアがある。
我々が議論せねばならないのは、そういうホームドアだ。
だからメーカーが、自分達が作りたいホームドアについて、案を出すべきだろう」


コレを言ったとき、それまで私に興味なかった、卓で囲んだ人々の全員が私の方を向いた。


それで、ホームドアの国家戦略の大方針がアッサリ決まった。

国交省や鉄道総研の人からも、今回だけといわず今後も来て欲しいと言われた。


だから、私からしたら、たとえ主演を任せられてなくても、主演になれる訓練はしていて当たり前。

監督やプロデューサーになったつもりで、あらゆることに自分が責任を持つつもりで観察していれば、歴史あることや些細なことでも、変えるべきという意思と確信が出てくる。

ゆかるん、とりあえず少し調べたら、上から数えた方が早い順位なんやな。

ひらりーとゆあみも改めて調べよう。

しかし私が見込んだ通り、ゆかるん体力も持久力もあるやん。


マラソンは志願したのではなく、勝手にAKSから応募されとったっぽいけど。

けどそれにしても立派なタイムやん。


どうせなら、東京の近くでマラソン大会参加して欲しいよなあ。

AKSだって、それで直接儲かるワケではないけど、マラソン大会だと沿道全体で話題になる。

そういう、人々にわかりやすい地道な活動を継続することが大切やねん。


゛復興 マラソン゛で検索したら、いしのまき復興マラソンというのが、今年7月第1回で開かれたらしいなあ。


AKBもこういうのに呼ばれてないのは、震災復興支援が名ばかりで、被災者の話題に上がってないことを意味する。


来年7月にAKBがどうなっとるかワカランけど、ゆかるん、ひらりー、ゆあみらは、いしのまき復興マラソンに出てみることを検討してもいいと思う。


伊達娘だって、震災復興支援に関わるあらゆる活動に参加するくらいの意気込みでないと。

ヲタの多くが苦手なはずの、マラソンまで出たら、震災ゴリ推しとは言われんやろし。

アキブータンのコメント読んだら分かるように、運営から褒められて喜ぶくらいではアカンぞ。

私も、敵とはいえ、アキブータンのコメントは他の工作コメントと違い、的を射たものも多いために、引用してまう。

アキブータンと共闘するつもりは毛頭ないけど、AKBメンバーが正当にチャンスを掴んでモノにするためには、チカラのある言葉であることには間違いないからや。

私が見れてないメンバーを、自分の評価軸で語っとるんやから。


なぁちゃんやめぐをアキブータンが褒めたのを読むと、アキブータンは言われた通りのパフォーマンスなんて期待してない(私もやけど)。


言われた通りのパフォーマンスなんて、学校に例えると、しょせん教科書に書いてあることや。

そして、教科書に書いてあることであれば、学校に通う全員が、点数の差はあれ、それなりに知っている。

けど、じゃあ有名女優や歌手は、教科書に書いてあることをやっているか?

教科書は基礎ではあるけど、教科書と違うことを考えつくやろ?

だからこそ、そのヒトの演技は際立つねん。


それどころか、その女優自身が発見したことを集めて、これまでよりも分かりやすい教科書書いたりするやん。

女優ならば、教科書というよりも自伝本が多いとも思うけど。

女優ではないけど、夏まゆみだっていくつか本出しとるよなあ。


だから、女優になるということは、自分で見つけたことを、本などにして語れることでもある。

言い換えると、自分で発見した苦労を語れることを持っているメンバーは、それだけ女優や歌手に近い位置にいる。

教科書通りにしかやってこんかったメンバーは、語れることなんてないわなあ。


あと、伊達娘が、「クリスマス・キャロル」の精霊役はまだ自分では無理、なんて言うとったけど、この発言もめちゃくちゃ後ろ向きで、褒められたモノではないぞ。

マンガとか物語でありがちなストーリーで、

主人公は演劇が大好きで、演劇を志した。
そして、ある演劇で、大した役ではないけれども選ばれた。
初日が近づいて、主演女優が突如病気で降板するハメになった。
劇団の人々は、もうこの演劇はやめるしかない、と、決断しようとした。

そこで主人公が、
「私は演劇が大好きで、自分の演技だけでなく、全員分のセリフも演技も覚えています!
劇団を続けるために、私にやらせてください!」

と言う。

そして、主人公は主演女優よりもすごい演技をして、文字通り彗星のごとく一躍トップに出るんや。

(ありがちやんなあ?ナニで読んだか知らんけど)

それくらいのストーリーを自分の中で思い描いて、言われた通りの演技、言われた通りの役だけでなく、文字通りすべてを理解した人間が、スターになるねん。

AKBなんてポジションのスライドはありがちやし、それと変わらん。

だから想像可能やろ。


本気でスターになりたい人間は、それくらいの意気込みを持っていて当然や。

今日はアキブータンのコメントないなあ。私にめぐに注目して教育しろと言うとるんかなあ?

私最近、ゆかるんのヤル気を一段と出させるのに成功したし、なぁちゃんだって、フランス行ったの知らんかったけど、パフォーマンス劇的に伸ばすの成功したし。

ひらりーとぽんみゆも、ココに来て調子上げとるの、アキブータンは知っとるやろ。


皮肉にも、AKSよりも私の方がパフォーマンス向上に関して信用できるから、私に向けて敢えて書いた側面もあるんちゃう?


それがAKBの延命に繋がってまうんやから、皮肉なもんやけど、
私は、女の子のヤル気を、私の都合で見て見ぬフリはできんタチやしなあ。

とりわけめぐは、かなり出遅れてきて不遇をかこった分、危機感もあるやろ。


まあ今回もひと肌脱いだろか。


ひと肌どころか、全部脱いでもええんやけど、わいせつ物陳列罪とか、青少年迷惑防止条例違反とかになってまうしなあw

゛ひと肌脱ぐ゛ってどういう語源なんやろ?

そういや、朗読でなぁながスゴかったと読んだ。

なぁなは、自分がセンターに立つ決心を固めたんかなあ。
なぁなはめちゃくちゃ美人というわけではないけど、あっちゃんと同じくらいたゃうか?
舞台に立つ凛とした感は、あっちゃんよりも断然あるしなあ。


伊達娘も、アドバイスが自分に向けられていたから無視できたんやろけど、私が他メンの才能をじゃんじゃん開花させると知ったら、いままで持てんかった危機感を持てるかも知れん。

私が最初に白羽の矢を立てたメンバーやから、伊達娘にはなんとしても危機感を持って欲しいと願う。

人間やっぱ成功って、最初に思い描いたものに近づいたかどうかで判断すべきと思う。

伊達娘にどうしても、起死回生をして欲しくて、アレコレとキツいことを書いてまう。


伊達娘は褒められ慣れて、褒められんことには興味をなくしてまうんかなあと思う。


ところが、アキブータンも言うとおり、批判の矢面に立ってこそ、大きくなれる。

批判の矢面に立たずに、何事もヒトに合わせるのを第一にしていけば、それは大西弘子になってまう。


伊達娘はいまんとこ、批判の矢面に立つ気構えが全くない。

そんなんでいくらスキルを磨いたって、どれも本当のプロから見たら一段低いもので、下手の横好きで終わってまう。


さらにはそうして、自分がイイカゲンで終わってしまい、将来子供の自慢をするのを生き甲斐にして、子供の人生を蝕んでもたりする。


てか、伊達娘は私が大西弘子からさせられたように、菅原美話の自慢の奴隷になってもとる側面もあるんかなあ?


とにかく、批判の矢面に立つ。
自分を追い込む。


こういうのが欲しいんやけどなあ。

« 2015年10月11日 | トップページ

2015年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

最近のトラックバック