皆さまの最新記事を拝見しますと、目に留まった記事がありました。
HN菊川さまの「ネットでの同志誹謗」という記事に賛同したいと思います。
おや?とお思いになる方もいるかと思います。
「べき」の応酬・・・
最近、私がいくつかのネット上の「対立」に遭遇していることは、皆さまご存じかと思います。
①安保法制における、HN大河氏とのこと。
②HN「minamin」氏とのこと。
③ブログ「真実と事実」氏とのこと。
このあたりでしょうか。
よくもまぁ、なんだかんだと(笑)
たぶん、表面上はまさに生蔵はトラブルメーカーだとお感じになることでしょう。
ただ、何か「起こっていること」へ関与している状態だけをみて、『ややこしいヤツ』でくくられては、やや強引です。
とうの学会自体も『ややこしい団体』に世間には映ってきました。
屁理屈かもしれませんが、真実と事実(笑)の関係でみれば、真実は「事象」(=事実)とは異なるものも多々あるものです。
世の中、「我、関せず」でいたほうが、無難な評価を受けてしまうわけです。
「ちょっと違うんじゃない?」
世を席巻する不条理や、不正義に対し、敢然と立ち向かった大聖人のご精神(大きく出ましたね・笑)を、身近なところで発揮したり、まぁ例えば、会社の中で蔓延する惰性や官僚主義に抗することもあるでしょうし、
外側から見れば、『なんだこりゃ、争いばかりして』と見えるでしょう。残念です。
私たちの哲学の中に「仏法中道」という考え方がありますね。
これは何も保革両派の真ん中の「中立」を指すものじゃなく、
すごく乱暴な回答をすれば(笑)、「軸を仏法の視点で」ということです。
ただ、これを「教条的」に捉えてしまうから、 「①」 が起こったのだと思っております。
■①の背景
大河さんは真面目な方です。だから、どうしてもまっすぐに公明党を信じ、その意見についてゆくことを説いていらしたのです。
間違いではありません。
ただ、世の中をとりまく多くの問題に向き合うのが「政策」。 このひとつひとつの「政策」に対し、さまざまな立場で生活をしている人がいて、必ずしも受け入れられないケースも多々あります。
原発しかり、TTPしかり、沖縄基地しかり。公明党の政策にどうしても受け入れられない人もいます。
私も地元大阪の「膿」を散々見てきました。絶対に改革すべき問題があって、公明党も生ぬるいと感じています。
これまで公明党は数々の実績を上げてきました。頼もしいかぎりです。
ですが個々において、必ずしも100%合致したものではありません。
例えば、その大阪で行われた住民投票で、公明党は私からすれば「卑劣なキャンペーン」をおこないました。
政令市、大都市が抱える難題に対し、真摯に向き合うべき「まっとうな議論」があってこその「賛成/反対」の立場であるはずが、
公明党大阪府本部のPR戦略は、やれ「○○のサービスが無くなります」だの、議論を矮小化した宣伝に狂奔しました。
創価学会は「自主投票」を決めたにも関わらず、議員たちは会員宅をローラーし、会員の「公明愛」に訴えました。
自主投票ですから、賛成/反対は仕方ないですが、情けないほどの議論の矮小化と、情に訴えた戦略でした。
私の中の「改革派、公明」はガタガタに崩れたこの春の出来事でした。それでも私は学会員です。地元で険しい顔はしておりません。
あとは大昔の話です。私は化学物質アレルギーに悩まされ、当時どこへ行っても「喫煙天国」の中、苦しんでいました。
そんな折、政府の一部に(財政上の観点からでしょうが)タバコ税の引き上げが議論されまとまりかけていた頃、公明党は『庶民いじめのタバコ税引き上げに反対』と言い出しました。私は「ふざけるな」と思いました。
税の引き上げで何%かの喫煙人口は減る試算でした。ですが、コアな喫煙層に支えられ、税収は維持(向上)されるとの見方で起案されたものでした。 世の中が『完全分煙』が夢のまた夢の時代、私は絶望的で悲観にくれたのを記憶しております。
このように、十人十色と申しますか、一つ一つの政策に、必ずしも納得のゆくものではないこともあると思いますし、
そこをほんとうは同志が「個人」のフォローにまわるべきなんだと、経験上私は思うのです。
ですが、私が見たところ今回の 「①」 の問題でのHN大河さんのスタンスは、この「個人」ではなく「党」のフォローに重きを置いておられたように感じました。その大きな失態が、コメントに来られたHN「チャ○○」氏への執拗な詰問でした。
その内容は割愛いたしますが、私は詳細に触れなくとも大きな懐で包み込むべきだと考えました。
氏の「公明党は・・・」のネット上の「吐露」がどれだけ影響があるというのですか? 党はびくともしませんよ。
それよりも、氏の口には出せない何らかの「荷物」を、そっと支えて差し上げるのは、「今すぐの詰問」ではないのです。
そこを大河氏は拙速で、まもるべき優先度を勘違いなさっておられたのです。
安保法制に関わる問題ですが、私自身は「拙速な結論をするな」(結果的に「現行案反対」)です。今でもそうです。
が、しかしこれを押し付けようだとか、支持者間の対立に持ち込もうとは思いません。
が、こでもHN大河さんは「公明党を信じましょう」・・・、これはまだいい。 そして一方で「政策的見地」で安保法案の正当性を説きます。
だけれど、ここまで正当性を説いておいて、最終的にこれらを信心にからめています。
ほんとうは、政策論ですから信心とは「立訳け」ないといけないのです。
なのに、ここまで言っていきながら、信心が試されているような(そう捉えられても仕方ない会話の流れ)論調では、
いくらあとになって取り繕うが、「安保法制を進めるのは信心上正論」というロジックにならざるを得ないのです。
これを私は刺激的な言葉ですが、『こういうロジックは「まるで公明教」としか思えないよ』という主旨で申し上げました。
以後、どう説きほぐしても、「生蔵さんは公明が憎いのです」等、大河さんからアナウンス(デマ)をされ、お話が膠着してゆきました。
これらから思うに、少なくとも私が、私自身に対し認識しているのは
私と大河さんとの対立構図は、
『こうあるべき』という大河さんへの、「それは違うよ」という諫言だったのが発端だったのです。
■②の背景
【minamin氏のご高説へ。 ~「批評」記事のコメ欄は、「反響いらなーい」という視点だけでいいのでしょうか?】この記事が「発端」と捉えられがちですが、同記事のコメント欄でイプ○○ンさんがおっしゃっているように、
既にHN・minamin氏が 直接/間接的であれ、「批評」活動を始めておられた背景が伏線にあります。
したがいまして、いわゆる「べき」を記事にしたためられ、それに傷ついた方も少なくともおられるわけでして、
こうした背景もあり、一方でクレームや意見などを受ける「コメント欄」についてのHN・minamin氏のお考え(認識)が、
「反響いらなーい」で止まっていらっしゃるゆえに、「それは違うんじゃない?」 (「違うぞ!」ではない)という問いかけだったです。
ですので、私への反論記事「畑生蔵さん」で、『どうよ、コメント開いたぞ、かかってこいヘタレ」のようにスゴんでいますが(笑)、
まったくもってこの構図を理解せず、ますます事の次第をおわかりにならない醜態を晒しておられます。
いずれにしろ、「オマエも批判だろ」という短絡的なレッテルは困りますね。
■③の背景
これに関しましては、既に
【大河氏ブログコメント欄、備忘録。 ※急告、「告訴/訴訟の準備をしております。」】
で論争があり、記事として皆さまへ詳細をご報告しております。
賛否多々ございますが、それについては反省すべき点は反省、謝すべきは謝す。これには既に述べた通りです。
同記事にも記述がございますが、その「真実と事実」氏が何をおこなっていたか?については、今はその痕跡は隠蔽されており、
その隠ぺい自体、HNいまり氏が言うように「管理者の自由」の裁量と弁護なさっておられますが、
事案として提起し、事の真相をお訴えしている私とすれば、これら過去の痕跡を抹消してのブログ村登場は
明らかに「証拠隠滅」でしかありません。
「真実と事実」氏の過去、菊川さんや「ちよ」さん、福島の壮年さん、(その他多数)への批判が、「真っ当」であるかの検証も含め、それを皆さまも含め、考え、更には彼(彼女)が 『だから創価学会員は…』 と創価学会員批判の材料にしていたことをもとに、
彼(彼女)が、本当に「非学会員(自称)」であるかを知りたかったのです。
これは先の記事で私の「思いあがり」であったことは反省しております。
が、私がほんの少し、彼(彼女)に「学会員の匂い」を感じたもので、それがもし本当なら「同志誹謗」はやめたほうがいいいと、伝えたかったからです。
というのも、彼(彼女)のブログ初期段階では、僅かであっても「論理性」「社会規範からみた常識論」があったと感じていましたが、
やがて、ただの「ケチつけ」「罵倒」「難癖」に移行していました。これでは「主義主張」ではありません。
ちょうどこの頃です、私が匿名(多ハンと批判されました)で投稿したのは。 挑発めいた荒療治でしたが、奥底にあったものはこれ
であると誓ってやみません。
◇
私は、ときに「喧嘩屋」です。 反省すべき性分です。
が、正論屋ではありません。
実は、次のブログ記事を用意しております。既に数日前に完成しております。
いま、この執筆段階では投稿しておりませんが、このあと時間を置いて投稿します。
のちにリンクさせますが、紹介だけさせてください。
【とある台詞。 『正論は正しい。だが、正論を武器にする奴は正しくない。』】
意外かと思いますが、私は 「はぐれた人」 「はぐれそうになる人」 が (変な言い方ですが)大好きです(笑)
そりゃ、昔はガチガチに正論を押し通した時期もありました。
今でも頑固な部分はあります。
ただ、それだけじゃ何も解決しないし、優先度も人によって違う。
いわば、「そりゃそうだけど…」 ということは多々あります。
かえって正論がその人を苦しめることだって多々あるのです。
だから、私はあの「どら猫」騒動の際も、まずおこなったのが「破邪」ではなかった。
(菊川さんはその時の拙速な対応をご反省なさっています)
チ○○ラさんがこぼした言葉にも、大河sんへ『今は詰問すべきでない』と申し上げた。
◇
菊川さまが今回、 たいへんよい提起をなされました。
賛同致します。
私も多くの「べき」を使ってまいりました。
自分は違う、こう申し開きも多かったのは確かです。
あとは皆さまのご評価にお任せ致します。
ただ、素直に、此度の菊川さまの記事には「ああ、その通りだ」という率直な感想です。
多くの方が「生蔵はこんなヤツ」をアナウンス受けたと思います。
それはそれで構いません。
ただ、私の評価よりも、
私が 「残したいもの」 を、ご理解いただくほうがもっと幸せです。
菊川さまへ託します。
クリック応援、ありがとうございます。