■まだ、途中だけど、こちらでなんちゃって翻訳してるのでどうぞ。
私は、生まれも育ちも貧乏だから、貧乏人の歌でもある、トレイシー・チャップマンの「ファスト・カー」が、大好き。ものすごく早口で、音楽にいっぱい歌詞を詰め込んだ感じが、もう、伝えたい事がぎっしりつまっているかんじがするし、情景が目に浮かんできて、すごく好きなの。
昨日、ファスト・カーをきいていたら、無性に、みんなにもこの歌詞を伝えたいって、訳してみたくなりました。かなりの意訳になってしまいましたが、挑戦中。私は直訳よりも詩的に訳すほうが好き。
だから、文法的にどうとか、本来の意味と違うって言われちゃうと困っちゃう。映画翻訳の戸田奈津子さんなんかも、翻訳で有名どころだから色々言われやすいけれども、アメリカンジョークなんかを直訳しても日本人じゃ笑えないし、外国の映画館で映画を見たことがある私としては、欧米人は笑いのツボなんかが日本人と全く違ったりするから、特にコメディなんかは訳すのが大変だっただろうと、翻訳のご苦労をねぎらいたい気分になっちゃう。
また、話がそれましたが、ファスト・カーは、アメリカの低所得者層の生活を歌ったものなのでしょうね。女の子が車を持っているボーイフレンドにドライブに連れていってもらって、恋心を抱いているのですが、母は家を出てゆき父親はアル中という、なかなかスゴイご家庭の女の子。
アメリカは車社会ですから、車を持っていないなんて、かなり貧乏なご家庭の女の子でしょうね。アメリカは貧富の差が激しいことで有名ですし、おそらく、この歌は黒人の女の子のお話なのでしょうね。車で国境を超えられる地域だから南部かな。北の方もカナダに超えられるけど、ドラマチックに聞こうと思ったら、南部のほうがしっくりくるんですよね。南部といえば、黒人の奴隷解放を嫌がった地域で、未だに黒人差別が色濃く残っている地域のはず。だから、その南部で黒人の地位があがらないうえに、親に問題があって、生活につかれて悲観した十代の女の子が、好きな人と国境を超えたいって、国さえ変われば生活だって変わるわよ!って、夢見がちに思いにふけっている歌なところが、とっても切ない。
もし、本当にこの女の子が存在していたとしたら、恋人と国境を超えて、二人が仕事を見つけても、違う苦しみを抱えることになるって気が付かないでいる10代の女の子の初々しくも、残酷な夢に、なんていうか中年の私は、しみじみとした気持ちになるのです。
私も若い頃は、
「これさえ変えれば、きっと、人生は変わる。」
「ここさえ変えれば、きっと、人生は変わる。」
って、色んなことに取り組んで、自分のなかで考え方や行動を変えられる点は変えてみたけど、生活水準がビックリするほど上がったわけでもないし、満足してる部分と、満足できない部分の割合って、そんなには変わってはいないのね。
10代くらいだとパーフェクトな自分や、パーフェクトな人生が待っているって思える、その傲慢さが、今となっては残酷だけど美しい。
自分自信も、人生も、パーフェクトなんてことはあり得ないと知ってから聞く、ファスト・カーは、また若いころとは違った曲に聞こえたりするのです。
関係ないけど、3月か4月かに、
増田に絡み始めたときに自撮り写真の記事があって、
その時に、そういえば、私、自撮りってしたことがないなって思って、
やってみました。
一瞬だけその写真を貼っておきます。
私、実は自費出版をしたときに新聞2社とテレビ1社の取材を受けていて
丸々と太った時の写真がバーンって新聞に乗っちゃってるのよね。
でーか、でーかと。
だから、顔は探されるとバレちゃうのよ。だからファンサービスで
一瞬顔出し。キーボードを打ってるときの私の姿ってどうなんだろって
撮ったら、こんな感じにとれました。目の下のクマがすごい。
自撮りって、やってみると、なんとなく自分のなかのナルシズムが引き出される気がしました。ああ、私って、写真でとるとこんなふうなんだ。ってなんていうかむずがゆいというか、はずかしいというか。こういうところから、みんな自撮り棒とかを持つようになるのかな?って、思いました。でも、私は自撮りはこれで最後だな。やっぱり、自分の姿を写真に収めたいとは思わないタイプみたいです。
■写真公開終了■