工業デザインの第一人者 栄久庵憲司さん死去
さまざまな商品のデザインやロゴマークを生み出し、工業デザインの第一人者として世界的に知られた栄久庵憲司さんが8日、東京都内の病院で亡くなりました。
85歳でした。
栄久庵憲司さんは昭和4年、広島市の寺の住職の長男として東京で生まれ、戦後、16歳のときに焼け野原となった広島の街で進駐軍の四輪駆動車の力強い形などを見て、工業デザイナーを目指すようになりました。
東京芸術大学を卒業後、工業デザインの会社「GKインダストリアルデザイン研究所」を設立して、ビジネスの世界にデザインという概念を定着させ、さまざまな商品のデザインやロゴマークを作りだしました。
このうち、昭和36年に発表したキッコーマンの卓上しょうゆ瓶は、赤いキャップになめらかな曲線を描く瓶の形が使いやすく暮らしになじむデザインとして大ヒットし、今でもこのデザインは変えられることなく海外でも親しまれています。
また、鉄道の車両やオートバイのデザインも数多く手がけました。
さらに日本中央競馬会やコスモ石油、それにコンビニエンスストアのミニストップなどのロゴマークのデザインでも知られました。
平成元年には名古屋市で開かれた世界デザイン博覧会の総合プロデューサーを務めたほか、平成10年に設立された世界デザイン機構の会長も務めました。
栄久庵さんは、こうした功績から日本だけでなくフランスやフィンランドなど海外の勲章も受章し、工業デザインの第一人者として世界で高い評価を受けてきました。
栄久庵さんは先月下旬に体調を崩し、東京都内の病院に入院していましたが、8日午前3時57分、洞不全症候群のため亡くなったということです。
投稿者:かぶん | 投稿時間:11:44
| カテゴリ:文化のニュース
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