持たないプログラマ
仕事で成果を挙げたいのなら、何かをオウンしろという。
たとえばモジュール。機能。ライブラリやフレームワーク。まとまったコードを書いて、あるいは引き取って、自分の持ち物にする。バクを直し、人のコードをレビューして、持ち場の面倒を見る。
何かをオウンするのが、自分はあまり好きでない。なにしろめんどくさい。
コードをオウンするのは家を買うようなものだろうか。持ち家に憧れローンを組む人はいる。コードの対価として重責を引き取る人もいる。気持ちはわかる。自分にも憧れがあった。でも今は月々の返済に追われない身軽さが勝る。我ながら気が弱い。
オーナーシップには副作用もある。自分の所有権を守りたい心理が働く。領土を壁で囲いたい誘惑に駆られる。執着と責任の磁場に包まれて正気と勇気を保てるのか。
何もオウンせず働くのは借家暮らし。あるいは居候。部屋をひとつ間借りする代わりに家主の仕事を手伝う。コードから虫を追い出す。ゴミを片付ける。詰まりを取って速くする。知り合いの部屋を転々としながら。そう悪くない気もする。エラくなれそうにはないけど。
所有にもいいところはあるだろう。肩身の狭い思いをしなくていいし、慣れたコード相手だから仕事も速い。税制が不動産持ちを助けるように、多くの仕事場もコードを持つ人のために作られている。でも持たない良さにも目を向けたい。身軽さ。手広さ。そんなものたち。
いずれにしろ、所有の是非なんてのは小市民的な悩みだ。責任感の強いリーダー肌は、責任を引き取りコードをオウンする躊躇がない。コードと責任を一つまた一つと引き取り、気がつけば領主として辺り一帯の面倒を見ている。冒険家肌のハッカーは、次々に荒れ地を開拓し家を建てていく。いつでも欲しいものを作れるから所有にこだわる理由がない。むしろ切り開いた土地の扱いに困っている始末。
そのどちらでもないその他大勢の私達は、所有の機会を前に汗ばんだ両手でコードの端を握りしめる。手放したくない。でも掴み取れない。