ノンストップで二十分以上泣きつづけた。涙とともに鼻水はでてくるしティッシュで鼻をかんで声を押し殺すようにして泣いた。こんなに泣いたのは何年振りだろう。悔しかったから泣いたのではなく悲しいことがあったから泣いたのではない。ほら、犬がでてくる物語があるでしょ? パトラッシュと言う名前のさぁ。そうなのだ。アニメ「フランダースの犬」の最終回を見て泣いていたのだ。
アニメ版フランダースの犬との出会い
元気をなくしていた時だったので心が童心に戻るような、癒されたい気分になっていた。心が病んでいる人の傷をイルカが癒すように、ほんの少しの元気をフランダースの犬に求めていた。さっそく観てみたのだが何か妙な感覚におそわれた。内容が何だか違う、明らかに別の角度で見ている自分がいたからだ。
フランダースの犬の内容は、主人公ネロとおじいさんが牛乳配達で生計を立てて暮らしている。 ある日、金物屋に鞭で打たれていた犬を、ネロは救いたいと考えはじめる。金物屋は犬に水もやらないでこき使い、犬はばてて倒れてしまう。見かねたネロは、自らの靴を脱いで靴の中に水を入れて犬に飲ませる。それが犬のパトラッシュとネロの出会いだった。
村一番の金持ちの娘、アロアと仲良く遊ぶネロは絵を描くことが大好きだった。のどかな毎日を送っていたのだが、さまざまな悲劇がネロとパトラッシュの身に降りかかる! これ以上内容を言うとネタばらしになってしまうので書かないが、とにかく感動の物語なのだ。
心理学的に見てもアロアは男心をつかむのがうまい
「フランダースの犬」でネロがアロアにいちご飴を買ってくる話があるんだけど、そのいちご飴がめちゃくちゃ美味しそうで小さな頃から憧れ(*´ω`*) pic.twitter.com/ofWr3IIyCy
— ゆりもち (@yurimochi_0515) 2015, 4月 20
大人の私がフランダースの犬を観てしまうと、やたらとアロアの台詞に男心をくすぐる言葉が隠されているなぁと強く感じてしまう。アロアはネロと話す時、かなりの確率で最後に「きっとよ」と言い放つ。
「私の絵を書いてね、きっとよ」とか、「また会いましょうね、きっとよ」と言う風に「きっとよ」を連発するのだ。 曖昧な日本人ならば、「機会があれば会いましょう」であやふやな表現で終わりがちだが、アロアは「きっとよ」と希望に満ちた言葉の終わり方を巧みに使う。
今時、「きっとよ」と最後に言う人になかなか出会ったことのない私は、その言葉の響きに妙に男心をくすぐられた。何気ないことにネロとアロアはゲラゲラと笑ったりするのだが、それが微笑ましく見えたのだ。考えてみれば、言葉は不思議な効力を持つ
「いつかやりましょう!」と言われるよりも「やりましょう! きっと」と言われた方がいい。 そんなことを考えながら観ていたのだが、最後はすっかり「フランダースの犬」の世界に入りこみ泣き崩れた。この物語の結末を知っていたので、いくつもの分岐点でネロがこんな展開に進んだらいいだろうなぁと想像しながら観ていたのだけれど、最終回を観て、この最終回でよかったんだと納得する自分がいた。 だって、最終回であんなに泣きつづけたんだ。そりゃそうだろう。
劇場版フランダースの犬
アニメ版を全部観る時間がないあなたは、劇場版のフランダースの犬をさくっと観るのはどうでしょうか。私は劇場版も観ましたが、いい話ですね。うるうる~。 将来、結婚して子供ができたらフランダースの犬をいっしょにまた観たいなぁ。
実写版フランダースの犬
もちろん、実写版も観ましたよ。けっこう実写版はアニメ版と劇場版と比べると暗い印象がありましたね。大人の味って奴ですか。
原作のフランダースの犬
もちろん、小説も読みましたよ。無料でダウンロードできますので、気になる方は是非!
天才バカヴォン〜蘇るフランダースの犬〜
映画「天才バカヴォン~蘇るフランダースの犬~」の公式サイトはこちらなのだ ⇒http://t.co/N0HhSDeUBD #天才バカヴォン pic.twitter.com/ckFTrVAmKS
— 映画『天才バカヴォン』5.23公開なのだ (@bakavon2015) 2015, 6月 2
赤塚不二夫生誕80周年企画としてフランダースの犬のパロディ版も映画になったんだよ。私はフランダースの犬は、アニメ版、劇場版、実写版を制覇したので、パロディ版も観なくてはと思っています。