ラノベが流行って文学が流行らんのがなぜかって、そりゃ簡単だ。
情景描写や長ったらしい心理描写を省いてやたら速い展開だけを追いたい層ばっかだから。
文学云々より地の文が映像作品に寄せてるのもメディアミックスの一助になってるし、
挿絵に図解を入れまくったりする小説もあるみたいだから(もっとも新潮の新人賞かなんかでこれやってる奴がいたけど)、
一応話はここで終わり。
文化としては別に認めていいけど、カテゴライズとして文学か否かという時々持ち上がる話題自体そもそも不適切。
地の文に情景描写から読み取れる心象風景なんて洒落たものを入れようものなら、それで笑いを取れないかと考えるのがラノベだし、
情景を含めた葛藤や心理変化自体が展開になるのが文学でもある。
でもそう捉えると文学は文章だけ使ってりゃ文学というわけでもないって言い方もある。
村上春樹が薦めるグレート・ギャツビーなんてそれこそ今では昼ドラ並の内容だし、主人公の心象風景なんて増田程度のプライドでしかない。
要するに文学そのものの間口が広くなっているような気はする。何やっても文学をなぞってることになるてこと。
これは俺の思い込みじゃない。今となっては売れっ子の某作家とチャットで話していた時にも同じことを言っていた。
ラノベも大枠で見ればそうした人間の試みの小ささやたりなさ、落差などを表現していることもある。
リアルの関係性は希薄になったが、関係性の掘り下げだけは過密化している。
でもね、部分部分だけ見るとやっぱ楽したいからラノベなんでしょ、とは思う。