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アラサーOLクソ日誌。

広告会社勤務、28歳。モラトリアム過ぎて怒られそうなクソ日誌。

未完成なふたり~元彼との再会に未来はあるか~

ある元彼と約一年ぶりに会う機会があった(このブログ、どんだけ元彼たちが出てくるんだよ、「つか何回失敗してんだよ」という呆れとツッコミが聞こえてきそう…甘んじて受け入れます、すみません)。

 

三ヶ月ともたなかったわたし達だが、別れた理由は明確だった。

その頃わたしは彼と出会うちょっと前に作ってしまった「心の借金」が返済できてない状態で、絶賛リボ払い中ではあったが、我ながら心身ともに若干不安定な状態にあった。

そんなわたしの感情のコントロールの効かなさが彼には重たく、わたしはと言うと、彼の頑なさに不満を募らせ、幼稚な感情のアウトプットに拍車をかけてしまったのだ。

 

両手を超えると数の計算も怪しいド文系(文系の人たちから怒られそうだしそれ以前の問題な気もするけど)のわたしと、言葉の繊細さや文脈を求められることが果てしなくめんどくさいド理系の彼。互いの凸凹は、いつしかさらに相手をヘコませるだけだった。

 

一年前、彼からの電話で取りつく島もなく別れを告げられてから、わたしの方は二ケ月程は未練タラタラだった。

もちろんその後も未練を引きずっていたわけではないが、自分のあまりの至らなさによる別れと自覚していたから、後悔というか、悔しさのようなものは心にしこりとして残っていた。別れた時のことをふと思い出すと、心がちくっとする痛みがあった。

「どちらかだけが悪い」なんて恋愛には当てはまらないけれども、自分が彼に与えてしまった感情を思うと、彼とはもう二度と会えないのだろうとも思っていた。


だから彼から突然「飲みに行こう」と言われた時は、結婚破談になったかご両親に何かあったか、彼にどれほど辛いことがあったのかと勘ぐった程だ。

 

そんな『未完成』な二人が、互いに未完成な状態を許容できず、その壁を越えることなくパッと手を放してしまった本件。

再会したふたりは、ともに傷つき、そしてその傷を癒す中で成長を感じ合えるのだろうか。

時計のネジをどれだけ逆回しにしたって、もうあの頃の感情には戻れない。ドーパミンエストロゲンも分泌期限切れ、ビタイチも出ないはずなのに、心の奥で何かを期待してしまっているこの矛盾・・・!

「わたしも成長したのよ。あの時はメンヘラだったの。だってあぁいう状況だったし。今は違うわ、むしろあわよくばイイ女と思われたい・・・!」(にゃんきちったー心の声)。

 

・・・結論から言うと、人間の性質・相性は、やはり一年やそこらで変わるものじゃないんだと分かった。

「仕事の環境が変わってラクになったよ、ゆとりが出来た。」「あの頃は様子がおかしかったよね、ごめんね(笑)。」なんてお互い上っ面の環境・心境の変化を口にし合ったものの、その実ほとんど何の成長もしていなかったのである。

 

もちろん、デリカシーのある頭の良い彼だったので、終始和やかで懐かしい会話が弾んだ。

ただ一瞬、(酔いも手伝って)わたしは彼の言葉にまた傷つき、(笑い飛ばしゃあいいのに)わたしの表情が曇り、目に水膜が張られた(つまり泣きそうになった)瞬間があった。そしてそんなわたしに彼はトラウマフラッシュバック・再びめんどくささを感じているのが見て取れた。慌ててフォローしようとしたが時すでに遅し、後悔のスコップでわっせわっせと墓穴を掘りまくる始末。

 

彼が、どんなつもりでわたしを呼び出したのか知る由もないが(いわゆるヤリ目的で呼び出すような人ではなかったので)、二人の再会にもしも今後・・・の可能性があったとしたならば、完全にその可能性が断たれた瞬間だった。お疲れ様でした。

 

わたしは自身の成長の無さに対し失望し、悔しくて悔しくてその翌日は引きこもった。ショックのあまり、ポテチを3袋も開けた(何もする気が起きず、せめてドーパミンを出そうとしたのだ)。

なんであの時、笑いとばしゃあいいのに笑顔でスルー出来なかったんだろう。昔の二の舞じゃないか。

彼から言われた「一見サッパリしてるのになんでそんなに繊細なんだろうね?感情のコントロールが出来るとイイ女になるのに・・・」という言葉が脳裏をよぎった時、うす塩味のポテチの塩分は三倍になった。

「仕事とプライベートは違うから、たまにはそういう時もあるよ云々…」なんて無駄に言い訳をしてしまったけれど、本当は、プライドが高いくせに自己肯定出来てないからなんだよ。


わたしはあと何度同じことを繰り返せば、この性分が治るのだろうか・・・と途方に暮れた。

 

・・・しかしおそらく、その性分が治る、変わることは無いのだろうとも思う。少なくとも短中期で見れば。アウトプットを多少コントロールは出来るだろうが、面倒なこの性分はきっと本質的には一生変わらない。

そしてそんなわたしと彼は、やっぱりパートナーとしてそばには居られない相性なんだ。


ほとんど成長が見られなかったはずの一年半だったが、そんな自己認識と諦めは徐々に出来るようになってきた。そして一年半前別れた時のように、自己反省の闇に自分を追い込んで悲劇のヒロインぶるのはやめようとも思った。それだけはこの一年の収穫である。

 

わたしも彼もお互い、まだだいぶ未完成だった。だけど、完成された人同士でしか一緒に居られない、パートナーになれないわけじゃない。そもそも、「完成された人(もの)」しか受け入れられないのであれば、人生の選択はかなり偏狭なものになる。

未完成でもお互いを受け入れ、歩み寄る柔軟性を持ち、言葉・言葉以外の方法で伝え合うことが出来る。それらが「この人となら出来る」と思えるのが「相性」というものなのだろう(もちろん彼にそう思ってもらえなかった、わたしの魅力不足はあるけれども)。

 

思えば、自分にも他人にも要望値が高く、厳しい傾向にある二人だった。そういうところはよく似ていて、彼の悩みや生き辛さを思って、共感し惹かれたという背景もあった。

 

わたしも彼も、まずは自分に対して受容と柔軟性を持ち、そして自分以外の誰かとお互いに受け容れ合うことが出来たらいいなと思う。

彼自身はどう思っているかはわからないけど、わたしはそうするよ。

 

そしてもう少しマシになったら、いつかまた一緒に美味しいお酒を飲もう。


その時は、どんな自分も笑い飛ばせるような、あっけらかんとした自信をもう少し身に付けていたいと思う。

 

 

 

【ご紹介】

<以前、@zuiji_zuishoさんがとても素敵なtweetをされていたので、ご紹介したいと思います(この記事に転載させていただくことがtweetの趣旨にそぐわない可能性が有ると思います、申し訳ないです・・・。)>

 

 

 

 

 

ズイショさん、大人だなぁ・・・。