柔道

柔道

 柔道は私が一番大好きだった武道。
過去にたくさんのことを柔道を通して学ばさせていただきました。
今はすでに「思い出・過去のもの」として柔道から遠ざかっていますが、
初めて息子の試合を生で応援しながら昔のことを思い出しました。

この場所にはたくさんの懐かしい思い出があります。

「自分の身体は自分の力で守れるようにさせたい」

という気持ちで息子を中学校の柔道部に入部させ2年になります。
スポ少経験の生徒がほとんどの中で、
よく頑張ってついていっていると思います。
今回の中学校新人大会では初めて団体優勝の素晴らしさを体験できました。
一緒に汗を流し活動している仲間たちのおかげです。
成功体験を与えてくださった先生方や仲間たちに心から感謝します。
11月には団体戦の県大会です。
息子はまだまだ発展途上中です。
県大会対戦相手は強いチームばかりですが
物怖じすることなく市の代表として堂々とたたかってほしいと思います。
また応援に行きたいなぁ・・(^◇^)
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神概念を変える

神概念を変える

朝晩気温が低くなり朝起きるのが辛くなる季節になってきた。
気温が低いと活動するまで時間がかかるのは人間だけでなく自然界の中で生あるもの全ての生理的な現象だ。
心と肉体は表裏一体なので身体のバランスが少しでも狂うと気持ちにも影響を与えることは当然の理でもある。


バランスのとれた栄養・運動・睡眠を心がけることが大切とよく言われるが、
私たちは身体細胞を破壊するウィルス等から身を守るために
自然界の中から漢方を薬として服用したり、
ウィルスの活動を弱める抗生物質を投与したりもする。
身体だけでよいのだろうか。
心もネガティブに支配され続けない予防が大切ではないだろうか。

考えたり信じていることは自分の世界で現実となっていく。
心から信じていることが自分の心や身体・出来事の中に現実となって現れるのなら
もっと自分の思考に気をつけていこう。
身体の健康を保つと同じように心の健康も保つことだ。

不条理や悪の中においては人生に対し不安と脅えの感情に向かうのは誰でも経験することだ。
人は生物学的にも霊的にも死というものに直面すると先が見えなくなり闇に支配されてしまう。
根源の根源に向かって叫ぶが根源なるものからの返事は聞こえず、ただそこには涙と共に悲しみだけが残る。
そのような経験を重ねていつからか自分の神概念も大きく変化していった。
神は光であり闇でもある。
一個の二律背反即ち善と悪の両方を持つヤヌスである。
神議論を交わし神の片面(光明)のみを見て不条理や悪を論じても答えは出てこない。
もう一つの面(暗闇)を見ようとすることを恐れてはいけない。
あのヨブがそうだったように勇気を持って神の暗闇をも見つめていこう。

イエスが素晴らしいのは罪のあがないのために十字架についたことではない。
それまでの神概念を変えたことだ。
神概念を変えるということは自分像を変えることでもある。
想像してみよう。
イエスが生きた時代、イエスが生を受けた国は植民地的状態におかれていた。
政治的にも経済的にも苦しい状況が一向に変わらず、
破壊的な感情ばかりが一人歩きしていた。
人権意識も医療技術も低く火花のような心の状態で多くの人が生活していた。
争いや災害等の中で人が死んでいくのも当たり前のように感じ、
見えない不条理が形となって自分に降りかかる恐怖に苦しみながら人々は生きていた。
人は祈りながら、燃えるような復讐心を自分たちの神に投影していく。
怒りや悲しみの理由がどこからくるのか考えながら・・・。
それが人間なのだ。
それが人間のありのままの姿なのだ。

しかしイエスは不条理の世界でも神を親のように感じ、
肉体・心・霊・魂等に襲いかかるあらゆる不条理を超えたところに喜びを見いだしそれと1つとなった。
彼は自分の信じている神概念を自分の生命そのものを通して表現した。
彼の神は不条理の中で自己を投影し創造した「ねたみの神」ではなかった。
明らかに上位の上位の神であった。
ゴルゴダといわれる処刑場で息を引きとった瞬間、
人間イエスとひとつであった(太陽の自我でもあるキリスト)霊は
それまで地球の自我でもあった「ねたみの神」とひとつとなった。
(私は生きとし生けるもの全てに自我意識があると感じている。
ましてや生命体なる惑星、
ガイアなる地球や母なる星である太陽にも自我意識があるのは当然だと思う。
ただ私たちがわからないだけだ。人間も惑星も同じ生き物なのだ。)

私たちの直接の造物主はおそらくヤヌスの顔を持つ
「ねたみの神(熱情の神ともいう)ヤーヴェ」
だろう。
何故なら自己を深く掘り下げれば掘り下げるほど「ヤーヴェ」とそっくりなのがわかるから・・。
それでも

「神概念を変えることで全てが変わる」

そのことをイエスは教えてくれた。
イエスの素晴らしいこの事実こそ彼が「キリスト」とよばれる理由でもあるのだと自分は確信している。


それでも彼の死は暴力的でとても無残だった。
イエスが投影した上位の上位におわします神は結果的に死に追いやられたイエスを助けることはできなかった。
おそらくイエスが復讐を望む破壊的な概念を投影しなかったからであろう。
しかしそれでも彼はあらゆる不条理を超えたところに喜びを見いだし、
上位の上位の神である父なる神とひとつとなって生きていくことにより、
公開処刑という最大の不条理を前にしても現実から逃げ出さずおびえることなく

「自身の神とともに不条理の中においても、
今という瞬間の連続を喜びを持って生きていくことができる」


という事実を示してくれた。
自分自身で神概念を変えていくことが人間にもできるのだ。
大切なのは神という鏡(あらゆる形に変化しうる過程)にどんな意識や感情を投影するかなのだ。
旧約聖書には神が人間を造ったと記されているが、
旧約聖書の神はアブラハムやモーセ等を中心としたユダヤ民族を代表する人たちの
思考によってつくられた意識そのものである。
それは絶対的なものではないのだ。
投影の中身が破壊的である限り人々はこれからも「ヤーヴェ」に支配されるだろう。
二律背反している原型なる神にどんな意識や感情を投影するかは個人一人一人の問題でもあるのだ。

月をさすゆび

月をさすゆび


  秋深くなると自分は哲学者になっていく。
哲学者になるのではなく哲学者になっていくのだ。
季節を感じながら今感じていることを思うままに言語化してみた。

俺が神など存在しない(不在)」と思えば
「神はいない」という無意識の形で俺の自我の中に現れる。
俺が神はいる(在)と思えば
「神はいる」という無意識の形で俺の自我の中に現れる。
他者の自我の中ではない。
自分の自我の中のみに現れるのだ。

神の不在と神の存在は陰と陽。
コインの裏と表。
無神論も有神論も然り、
信仰と不信仰も然りである。
大切なのは神という
「(言葉でうまく表現できない)つかめない存在」
について考察し自分学を楽しむことだ。
他者はそのような行為を時間の無駄と思うかもしれない。
しかし他者はそう感じていても俺自身はそう思わない。
悩んだり哲学したりしながら自身の中で「何か」が見えてきたとき、
それが人生の支えとなって充実感や安定感を俺自身に与えてくれるからだ。
そう、
俺は俺自身のために哲学するのだ。
俺にとって「生きることは思考していきながら学ぶこと」であり、
(逆も真なり)「学ぶことは思考しながら生きていくこと」なのだ。
それはまるで
「月をさすゆび」※
かもしれないが、
齢を重ねて、
表現できる言語が単純化しても
その気持ちは忘れないようにしていきたい。


月をさすゆび

※月をさすゆびとは
「在るけれど触れないもの」
という意味


この仏教の言葉を初めて知ったのはつい最近である。
50を過ぎても漫画が好きな俺は3ヶ月前に某コミック雑誌で
『月をさすゆび』というタイトルの漫画(劇画)を発見した。
読み進めていくと自分のフィーリングに合い面白くて味がある。
単行本も2巻まで読み終えた。
現在進行形で最新号の雑誌掲載と原作本まで読んでいる。
読むたびに(大学時代に心の師と仰いだ)武者小路実篤先生の
文学作品を味わったような懐かしさ。
この漫画には今時珍しく「エロ」も「暴力」もない。
根っからの「悪人」もほとんど登場しないのだ。
その分、
劇画で現実感を表現しているため登場人物の一瞬の表情がとても素晴らしい。


物語は夜間の仏教学院に学ぶ30代のカメラマンと20代の女子大生を中心に進んでいく。
彼らを支点とした人間模様を中心に、
人が人に対してどのようにして好意を持ち、
ぎこちないながらもお互いが大切な存在となって行く心情の流れがとても美しいのだ。


月をさすゆび

漫画も作品を通して時代を写すといわれるが、
この漫画はよくありがちなドロドロとしたものがない。
単純だが現代漫画にはない斬新な感覚を感じる。
「平成の若者たちの人生讃歌」のような内容だが、
今一番気になるおすすめの漫画でもあり、
このような漫画こそ世に広めてほしいと思う。


気がつけば
目の前にまんまるな
月が・・・・
オレは意味もなく
月に向かって
指をさした。

入学早々
授業で教わった
中国のことわざ
「指が月をさす時
愚者は指を見る」

オレの目は
しっかりと
月だけを
見つめていた。

原作 永福一成  作画 能條純一
『月をさすゆび』 第29話 冬の街 より
 

楽しかった昆虫談義

楽しかった昆虫談義


風が強い秋晴れの日曜日。
3年ぶりに県内オフ会に参加し、
ひささん・藤次郎さん・晴信さん・昭和さんにお会いできました。
晴信さんが用意してくれた七輪で焼き肉をしながらの昆虫談義。
ブログでは毎晩のように訪問するのですが、
生で会うのは久しぶりでした。

昭和さんが持参した標本の一部に
薄黄緑色のミンミンゼミがありました。
セミにもいろいろな種類があるようで、
「ミカドミンミンゼミ」
というとても珍しい種類のようです。
実物を見たのは初めてでした。


楽しかった昆虫談義

私も先月採集したノコギリクワガタを持参しました。
2日前に天寿した標本を改めて見てみると、
左の大アゴの小歯が右より1本多いのに気づきました。
ノコギリやミヤマクワガタをたくさん見ている昭和さんいわく、
「あまり見たことのない顔のノコですね」
という答え。
趣味の領域を大きく超えている方から
そのような回答をいただき嬉しかったです。


☆秋深い紅葉の中の大人の虫談義、
また来年誘ってくださいね。 


カシオペアさん、
来年こそ会いましょうね
(^^♪)

新規開拓にボウズはつきもの

新規開拓にボウズはつきもの

新規開拓にボウズはつきものです。
シルバーウィーク最終日、県内新規開拓に行きました。
地図を見ながらここにいそうだというところにアタックしました。
しかし第一ポイントは藪がすごく、
道が伐採樹木等でふさがれていて徒歩でも登れません。
予想とは全然異なり、ヤナギも見当たらず途中引き返しました。
第二ポイントは舗装道路沿いによい感じのヤナギがあるのですが、
標高がいまいち低いのか?ブナが少ないのか?
静かな良い場所なのに
何もいませんでした。
結局この二つの場所等で時間を大幅に食ってしまい、
時間は午後2時を過ぎていました。
わざわざ高速使って何も収穫なしです。
(予定では新規開拓に成功して今ごろは
ヒメオオの写真をたくさん撮っているはずだったのですが・・・。
現実はこんなものです)(´・Д・)」

でもやっぱり悔しいので、
結局いつも行く場所に向かいました。
ヤナギは少ないのですがブナもある場所です。
ここで約1時間ほど粘った結果、
♀1頭を発見。

新規開拓にボウズはつきもの

新たに購入したダイソーの補虫網をそっと近づけました。

Σ(゚д゚lll)ガーン

落としてしまいました。

・・・・( ;∀;)

気を取り直して
「ついていたヤナギには他にもついている可能性がある」
ことを思い出し、
じっくり見てみました。
すると・・・・・

いました!
♂です。

新規開拓にボウズはつきもの

今度こそは・・・
相手も粘ります。

「ふぅ・・やっと網に入った」

♂1頭の採集に成功しました。

新規開拓にボウズはつきもの

時間はすでに午後4時を過ぎていました。
秋らしい涼しい気温に下がってきました。
急いで自宅に帰りました。
自宅に帰ると、
前に採集したヒメ♂2頭が
少し大きめの♂にやられて×になっていました。
1頭の♀をめぐる争いでしょうか?

新規開拓にボウズはつきもの
やられてしまった♂の画像がこれです|д゚)

ちなみに、
ノコギリとミヤマはワンケースに1頭です。
このように飼育しています。

新規開拓にボウズはつきもの

新規開拓にボウズはつきもの

新規開拓にボウズはつきもの

新規開拓にボウズはつきもの

本日のヒメ♂ ツメが欠けていますが48mm。
新規開拓にボウズはつきもの

ヒメオオの新規開拓は難しいですね( ^)o(^ )
プロフィール

Author:ぶなちろくん
宮城県仙台市に住んでいます。50過ぎのおっさんブログです。よろしくお願いします。

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