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地熱発電のあゆみ

これまでの歴史

世界中で人々の生活を永く支えてきた、地熱。 有名な古代 ローマ帝国のカラカラ大浴場をはじめ、日本では四国の道後温泉が、最初の温泉として 『日本書紀』に記述されています。地熱による「発電」が始まった20世紀初頭から現在までの歴史を見ていきましょう。

世界の歴史       日本の歴史
1990年代イタリア

世界初の地熱発電所が誕生

1904年、イタリアのラルデレロ地方で世界初となる地熱発電実験が成功しました(出力0.55kW)。それを受け1913年に世界で最初の蒸気卓越型地熱発電所が操業。その後、順調に地熱発電が進展し、1942年には総出力12万kWを超えるまでに成長しましたが、第二次世界大戦で焼失してしまいました。

       

1919年

 

地熱発電のはじまり

 

海軍中将・山内万寿治氏が大分県での掘削に成功

 

日本の地熱発電の歴史は、1919年に海軍中将・山内万寿治氏が、大分県別府市で噴気孔掘削に初めて成功したことに始まります。その後、事業を引き継いだ東京電燈(株)研究所長・太刀川平治氏が、1925年に日本最初の地熱発電(出力1.12kW)に成功しました。それから、第二次世界大戦が終わるまで大きな発展は見られませんでした。

写真/地熱利用第一発電所内におけるタービン、ストレーナーおよび排気管

地熱利用第一発電所内におけるタービン、ストレーナーおよび排気管(大正14年12月28日撮影)

 

1925年

太刀川平治氏が日本最初の地熱発電に成功

 
 
     
 

1966年

 
 

日本初となる松川地熱発電所が運転を開始

 
 

1967年

大岳発電所が運転を開始

 
1950年代ニュージーランド

“熱水卓越型”の 地熱発電が開始

大戦中にイタリア・ラルデレロに駐留していたニュージーランド兵がこの経験を持ち帰り、1956年にニュージーランドのワイラケイで世界最初の熱水卓越型地熱発電所を操業。気水分離器の開発に成功したことで、世界中に地熱発電所ができる端緒となりました。日本では1967年に大岳発電所(大分県)がこの技術を初めて取り入れました。

 

1973年

第一次石油ショック 自然公園法、 自然環境保全法の一部改正

 

日本初の地熱発電所

   

終戦後、電力の安定供給という大きな課題を抱えた日本は、水力や大型火力の建設を進めるとともに、地熱の実用化に向けた調査・研究開発にも力を注ぎました。その努力が1966年、ついに実を結びます。日本で最初の本格的地熱発電所として、蒸気卓越型の松川地熱発電所(岩手県)が運転を開始したのです。さらに翌年、熱水卓越型の大岳発電所(大分県)も操業。この2つの発電所の成功によって地熱開発は大きく進展していくことになります。

写真/松川地熱発電所

当時の松川地熱発電所

   
 

1974年

 
 

サンシャイン計画がスタート

 

1976年

資源エネルギー庁が地熱開発基礎調査を開始

 
   
   

1978年

第二次石油ショック
日本地熱学会設立

 
   
1970年代アイスランド

世界有数の 地熱大国に成長

石油ショックを契機に、政府主導で自然エネルギーへの転換を強力に推進。1977年のスヴァルスエインギ地熱発電所を皮切りに、計7ヵ所の地熱発電所を建設しました。現在、国内の電源のほぼ100%は自然エネルギーで、そのうち地熱発電が20%以上を賄うという、世界有数の地熱大国に成長しています。

       

1980年

 

地熱隆盛時代

 

財団法人新エネルギー財団設立 NEDO設立、地熱開発促進調査を開始

 

1970年代、2度にわたる石油ショックを契機とした石油代替エネルギー政策(サンシャイン計画)に後押しされる形で国内の地熱開発は大いに進展しました。東北・九州地域を中心に発電所建設が相次ぎ、1996年には地熱発電設備50万kWを達成。この間、日本の地熱発電技術は世界有数となりました。

 

1985年

地熱発電開発費補助金制度創設

 
   

1996年

 
 

地熱発電設備50万kWを達成

 
 

2000年

電気事業法改正による電力自由化

 
1990年代アメリカ

貯留層の“再生技術“が確立

1960年、世界最大の地熱地帯にガイザーズ地熱発電所を建設して以来、順調に地熱発電を行っていた同国。1980年代半ばから蒸気の減衰による発電量の低下に悩まされます。これを解決するため、1997年、生活排水の処理水を地熱貯留層に注入する「リチャージ」を実施。以降、発電能力は回復しました。

 

2003年

RPS法施行

   
   

そして現在へ

 

2005年

京都議定書発効

 

1990年代に入り、石油価格の安定化と、日本のエネルギー政策の転換等により、地熱発電の進展は再び横ばいの時代を迎えます。地熱発電の普及には発電コスト、自然公園法の規制、温泉事業者との共生など、いくつかの課題があり、2002年には国の技術開発予算が一旦の終了をみました。これ以降、現在までに建設された発電所は2006年の八丁原バイナリー発電所のみでした。しかし、東日本大震災による深刻なエネルギー危機をきっかけとして、固定価格買取制度(FIT)が開始され、再生可能エネルギーの中でも安定的に発電できる地熱発電への期待が高まっています。

写真/八丁原バイナリー発電所

八丁原バイナリー発電所

   
 

2006年

日本初のバイナリー発電所(八丁原)が運転を開始

 
   
 

2012年

固定価格買取制度(FIT)が開始