仲間たち

天ぷら、季節の日本料理

葵丸進

葵丸進

金龍山浅草寺の御門前で暖簾を上げて六十年、江戸下町を色濃く残した浅草で天麩羅店として創業以来かわらぬ味を守り、天丼から季節料理・ご宴会料理まで、ご法事・お祝い・忘新年会にご用途、ご予算に応じてご予約承ります。浅草に行き付けの天麩羅屋「葵丸進」はいかがですか。

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店舗情報

電話
03-3841-0110
FAX
03-3843-8877
URL
http://www.aoi-marushin.co.jp/
住所
東京都台東区浅草1-4-4
定休日
第2・4月曜日 ※2・4月曜日が祭日の場合は翌日
営業時間
11:00〜21:00(L.O 20:00)
クレジットカード
デビットカード
不可
創業
昭和21年12月
店名由来
終戦で混乱の世の中、平和(丸)に進めるよう「丸進」の名で天麩羅店を開業、昭和34年組織変更の際、創業者が茨城水戸の出身の為、徳川様の末代まで繁栄するようにと葵をつけて葵丸進と商標登録をする。
店内のご案内
葵丸進

1階椅子席
2~4名様席50席
受付にてご予約承ります

葵丸進

階椅子席
2~8名様席100席
椅子席小上がり座敷

葵丸進

3階座敷
2~8名様席80席
8~40名様宴会席

葵丸進

15階椅子席
2~12名様席72席
30名様椅子宴会室

葵丸進

6階 個室
6~30名様個室

葵丸進

7階座敷
10~40名様宴会室

喫煙について

全館禁煙と相成ります。尚 個室貸切席については喫煙可能ございます。 大変恐縮とは存じますがご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

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おすすめメニュー

会席料理「あおい」
会席料理「あおい」 10月 5,400円
季節のおすすめ9月10日から 
(消費税は別途お預かりいたします。)
葵丸進

もどり鰹刺身

950円
葵丸進

もどり鰹にぎり寿司

600円
葵丸進

すじ子醤油漬

500円

葵丸進
松茸土瓶蒸し

880円

葵丸進
茶豆塩茹で

500円

 

 

葵丸進
子持ち鮎天麩羅

700円

 

 

葵丸進
牡蠣の天麩羅
800円
葵丸進
松茸とカマンベールチーズ天麩羅
500円
葵丸進
芝海老と無花果天麩羅 
800円

 

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葵丸進

会席「金龍」
8,000円

葵丸進

会席「しらさぎ」
6,000円

葵丸進

会席「あおい」
5,000円

葵丸進

会席「かみなりもん」
4,000円

おすすめ天麩羅
葵丸進

上天麩羅定食
3,250円

葵丸進

車海老天丼
2,860円

葵丸進

特上天丼
2,580円

海老天丼
1,800円
にぎり寿司
2,000円
かっぱ巻一本
400円
寿司と天麩羅定食
3,000円
金龍かき揚定食
2,500円
天麩羅コース「松」
5,000円
天麩羅盛り合わせ
1,720円
天麩羅定食
2,200円
鉄火巻一本
800円
金龍かき揚天麩羅
2,200円
天麩羅コース「梅」
4,000円
上天麩羅盛り合わせ
2,700円
お子様天丼
1,150円
お好み天麩羅
車海老天麩羅
1,500円
あなご天麩羅
1,150円
小海老バラ揚
900円
野菜天麩羅盛り
980円
めごち天麩羅
980円
きす天麩羅
1,150円
いか天麩羅
940円
車海老小かき揚
2,200円
Menu English (click for Large photo)
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Menu Chinese
chinese menu
天麩羅の起源

天麩羅という言葉は江戸時代、安永十年正月(1781年)豊竹東治の書いた芝居狂言「昔唄今物語」という浄瑠璃の中に天ぷらの名が出ている。これが最初ではないかと斉藤月岑氏が著書「東都歳時記」で述べています。語源は「蜘蛛の糸巻」という本に江戸時代、天明(1781~1788)の頃、大阪の素封家の次男、利介という男が、女道楽の末、歌奴と江戸表に駆け落ちをし、当時江戸で流行の戯作者「山東京伝」の弟に当たる京山の住居裏店に世帯を持ち京山の家に出入りをしていました。ある日 京伝を訪ね、大阪流に魚に小麦粉をつけて油で揚げた辻売りをしたいと相談をすると、屋台に下げる看板行灯に「天麩羅」と書いて江戸向な名前をつけてくださったそうです。京伝にその名の由来をたずねてみると、笑いながら「お前は天竺浪人でふらりと江戸へ出て売り始めたから天麩羅とつけたのだ、天は天竺浪人の天、ぷらはふらっと出てきたからだが、麩は小麦粉の意で羅は薄物すなわち薄くつけるの意である」と答えた。時に山東京伝 21歳、江戸の流行作家であります。

浅草神社裏手に山東京伝の机塚があり、京伝が愛用した文机がこの下に埋めたと弟の京山がしるしている。文化14年(1817)の建立。 もう一つの説は、伯爵山内万寿氏の随筆「かきのぞ記」にも天麩羅の名があります。年代人物不明ですが、精進料理屋で野菜ばかりではつまらないので、魚を揚げて売り出そうと、書家にたのんで看板を書いてもらいに行ったところ万葉集の中から変体かなの阿婦羅という字句を見つけこれを漢字に直して天麩羅のしたに阿希(あげ)をつけ加え天麩羅阿希(てんぷらあげ)と紙に書いてもらいました。主人はそのまま屋台に下げて商売を始めていましたが、古くなって下の阿希から破れてしまい。そのままにして使用していたのがいつしか天麩羅になった。 第三の説は、江戸時代中期、交易を求めてポルトガルやスベインの人たちが、長崎に来航していましたが、当時の日本では彼らを毛唐人とか紅毛人と言って民家に居住する事を拒み、仕方なく町はずれのお寺に一室を借りて住んでいたようであります。

そのころの日本は豚や牛は四つ足といって忌み嫌っていたので獣肉はありませんでしたので、漁師にたのみ魚を買い粉と卵をつけ胡麻油で揚げて食べておりました。そこへ来た漁師があまりに美味そうでしたので、家に帰って真似をしてみますと、油の香りにつられて近所の人たちが嗅ぎつけそれは何だと聞きましたら毛唐がお寺のことを「テンプロ」と言っていたので「テンプロだろう」と答えたのがいつしか天麩羅になったという説です。「料理名由来考」より

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会員のご紹介

葵丸進
葵丸進
葵丸進
渡邊 憲一(わたなべ けんいち)

昭和36年10月5日浅草に生まれる。高校を卒業後、銀座三笠会館、ステーキレストラン勤務を経て、葵丸進へ入店。平成11年5代目店主を継ぐ。高校卒業後、銀座三笠会館でお世話になり、数年間接客の基本を学び、その後レストランのオープンに誘いを受け調理の仕事に携わる様になります。銀座という立地と好景気に恵まれ大変忙しく厳しい経験をしました。今から思えば毎日が無我夢中で自分の将来の事など冷静に考えている時など無かったように思います。飲食業に携わって8年目にして葵丸進の調理見習いとして浅草に戻り調理・接客をする傍ら、財務建て直しと平成2年全館改修工事を行い平成11年5代目の店主と成りました。大型店舗には厳しい時代ですがお客様にご満足頂ける料理造りと店づくりをしていきます。

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