日高山脈・・・ここにはカムイエクウチカウシ山という秀峰があり、毎年多くの登山者を迎えています。この山の名前はアイヌ語で(注)「ヒグマ
も転げ落ちるほどの切り立った山」と言う意味で、実際ヒグマの生息密度の高い山です。1970年、ここを縦走中の福岡大学ワンゲル部の5名がヒグマの執拗な追撃を受け、3名が命を落としています。また、1915年の
三毛別の事件は穴持たずといわれる冬眠時期をのがしてしまったヒグマが、食べるために狙って人を襲いました。ヒグマは成獣で小さいものでも150kg、大きなものでは350kg以上にもなります。春先の冬眠明けのヒグマはともかく、夏秋のヒグマは体力が充実しており、その膂力たるや牛馬の頚椎を一撃でへし折ることが出来るほどです。森の中、山の斜面を信じられないような俊敏さで移動し、まさしく神出鬼没・・・そんな猛獣に襲われたら、人が助かるはずがありません。今の時代であれば早い段階で駆除されていたでしょうが、当時は性能のよい銃も多くなく、連絡手段も人が走るというような時代でした。
一方、福岡大ワンゲル部の事件はヒグマの習性を知っていれば、防ぐことが出来るものであったと言われています。最初、キャンプサイトに現れたヒグマはリュックの食料を漁りました。ヒグマは執着心の強い動物で、これでこのリュックはヒグマのものになり、それを取り返したパーティのメンバーを次々と襲ったのです。彼らは火が自分たちを守ってくれると信じ、焚き火を絶やしませんでしたが、これも誤謬です。人間を襲うつもりになっている狂熊にとって、火など何の役にも立ちません。三毛別の時も、囲炉裏の薪を蹴散らしながら人に襲いかかりました。ヒグマのものになったリュックや道具を置き去りにし、即座に退散すれば助かったでしょう。
ヒグマが人を攻撃する時は@排除A食害B戯れの三つの目的があると考えられています。@の排除は自分の物を奪おうとしたり、自分のテリトリーに入ってくるものを除こうとすることです。福岡大ワンゲル部はこの習性で襲われました。Aの食害は三毛別のように最初から食べる目的で人に近づいてくることです。このタイプのヒグマが一番危険で、体を低くして唸りながら近づいてくるのは攻撃の前触れです。Bの戯れは2、3歳の幼いヒグマがじゃれてかかってくることです。向こうは遊びでもこっちは大迷惑ですが・・・。
しかし、すべてのヒグマが人を襲うわけではありません。闇夜や霧の中でも自由に活動できる鋭い感覚を持つヒグマは、普通人の気配を感じると、いち早く自分からその場を離れてくれます。こちらが風下で、川の曲がりで鉢合わせすることなどが一番危険なのです。人の方でも山菜採りで山に入る時や川で釣る時、風向きを考え、視界を考え、音を鳴らしながら移動するなど無用の接触を避けるように努める必要があります。自分が彼らの領域に入らせてもらっている、という気持ちを持って行動すべきです。
もし、ヒグマと対峙しなければならない状況に陥ったら・・・私は死んだ振りをする気は全くありません。死んだ振りがいいとの話は昔から流布されていますし、実際助かった人もいます。しかし、食害目的のヒグマなら、即イタダキマスの世界に入ります。相手が排除目的でも戯れ目的でも、こちらが死に物狂いで戦うことが唯一、虎口ならぬ熊口を脱する手段だと思っています。石で殴ってもOKですし、武器があればそれを顔面に叩きつける気迫を持つことです。左の画像は私のヒグマ対策グッズです。馬鈴を体につけ、音で向こうに気付いてもらうようにしています。ラジオは、もしヒグマが近くに来ても解らず、かえって危険です。馬鈴は動きを止めると音も止み、回りの気配を窺うことが出来ます。もし出会ったらカウンターアソルト(熊撃退スプレー)、それでも駄目ならハンドアックスと鉈です。ヒグマを相手に鉈を振り回し、戦う根性があるかどうか・・・私は根性試しをしなければならない状況に陥らないように、五感はもちろん、第六感をも駆使します。嫌な予感がしただけで川から上がる私は、人から見れば、さぞかし臆病者に見えることでしょう。その通り、私はヒグマを畏れています。私はヒグマを悪者にしたくありません。
オイラにゃヒグマなんて関係ね〜よ・・・これは捨てるべき考えです。20世紀の終わり頃、知床の遊歩道でヒグマに弁当を与えた観光客がいました。その様子をビデオに撮っている観光客がいました。私はこの無知を見て、怒りと悲しみを覚えました。餌はヒグマには必要のないものです。ヒグマが餌を目的に人里に下りて来ることを憶えてしまえば、たいていの場合、駆除されてしまいます。人が観光で、あるいは登山で食べ物やゴミを捨てれば、好奇心の強い動物であるヒグマはそれに興味を持ってしまいます。その食べ物やゴミにおびき寄せられ、人目に触れれば駆除される・・・私がヒグマなら「そりゃないだろ」と言いたくなります。私はヒグマに代わって、前述のような観光客が、文字通り前世紀の遺物になることを切に願っています。
何度も人里に下りて来て農作物を荒らしたり、家畜を屠ったり、ましてや人を害する性悪熊は駆除されるべきですが、こちらの無知で一方的に悪者にされている可哀想なヒグマも少なくありません。人はヒグマを恐れる気持ちばかりを持ち、畏れる気持ちを完全に忘れてしまっています。彼らは豊かな自然の象徴なのです。ヒグマの住めないような世界は、人にとってもさぞかし住みにくい世界でしょう。ヒグマの住める自然をしっかり守り、人がそこに入らせてもらうなら、きちんとしたマナーと知識を持って行動すべきです。もう一度日高の山の名前を思い出してみましょう。カムイエクウチカウシ・・・「カムイ」とは「神」という意味で「ヒグマ」と同意語なのです。
主な参考文献 | 著者 | 出版社 |
新版 ヒグマ 北海道の自然 | 門崎允昭 犬飼哲夫 | 北海道新聞社 |
ヒグマ そこが知りたい | 木村盛武 | 共同文化社 |
山でクマに会う方法 | 米田一彦 | 山と渓谷社 |
羆嵐 くまあらし | 吉村昭 | 新潮社 |
阿寒の動物記 | 桑原康影 | 東京読売サービス |
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ミニミニエッセイ集 |
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花鳥魚月 |
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