うわ〜!
今も昔も子どもたちを夢中にさせるもの。
虫たちです
この昆虫研究の礎を築いた人がいます
虫の詩人の呼ばれた博物学者です。
はるか昔南フランスの小さな村に生まれたファーブル。
そのファーブルが亡くなってちょうど100年を迎えます
時代を超え愛される「ファーブル昆虫記」。
詩情豊かに虫たちの営みを描いたこの本は私たちを魅了し続けています。
NHKには「昆虫記」から彼の魅力に迫った番組が残されています。
ファーブルゆかりの地を画家の安野光雅さんが訪れ波乱に満ちたその人生をたどりました
「昆虫記」に記される創意工夫に満ちた研究の数々
「はっきり言える事はスカラベの間では盗みは誰でもがやるという事だけである。
このフンコロガシどもはお互いに平気な顔で略奪し合うのであって私はほかにこれほどずうずうしい虫の例を知らない」。
「昆虫記」に込められたファーブルの思いを通して私たちが失いつつある飽くなき好奇心とは何か考えます
子どもの頃私たちに昆虫の魅力を教えてくれたジャン・アンリ・ファーブル。
今日10月11日はそのファーブルが亡くなってちょうど100年にあたります。
そこで今日は東京都内にありますファーブル昆虫館からお伝えしてまいります。
早速ゲストの方をご紹介致しましょう。
この昆虫館の館長で「昆虫記」の新訳も手がけられファーブル研究の第一人者の奥本大三郎さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
こちらの昆虫館ですけれどもファーブルや昆虫の研究施設としていろいろな書籍ですとか世界のあちこちから集めてきた貴重な標本10万点以上が収められてるという事なんですが…。
今たくさんの子どもさん含めてここ見に…。
遊びに来てくれますよ。
それは楽しいですね。
そもそも奥本さんがファーブルと出会ったのはいつどんな…。
それはねもう何十年前ですね小学校1年生ぐらいのクリスマスのプレゼントにねファーブルの伝記をおやじにもらったんです。
それからですね。
ファーブルなんて人がいるんだっていう感じですか?ファーブルという変な人がいて僕と同じで虫が好きと。
変な人でもありすごい人でもありますよね。
もう本当に子どもの時から自分の目が光は何で見えるのかって…。
口を開けてみる。
目を閉じて口を開けてみるんですね。
そうすると光は見えない。
口を閉じて目を開けてみると光が見えるってそんな事を3歳4歳とかそんな時に実験する子ですからね。
そういう事を試してみようと僕ら思いませんよね。
それをずっと一生自分で見た事だけを信じるっていうそういう事を守った人ですかね。
それとやっぱりここ虫の詩人の館っていうのはファーブルの事なんですね。
ポエジーというか詩の心を持ってる人だと思います。
面白い人だな〜。
面白い人だと思いますね。
では早速番組をご覧頂きましょう。
画家の安野光雅さんがファーブルゆかりの南フランスを訪れその生涯を追った1988年の「NHK特集安野光雅ファーブル昆虫記の旅」まずは前編からご覧下さい。
山また山の南フランス。
その谷間を縫い丘を越えて遍歴の旅を続けているのは画家の安野光雅さんです。
数年前から安野さんは「昆虫記」の著者ジャン・アンリ・ファーブルの生涯をたどりそのゆかりの土地を訪ねてはスケッチをするようになりました。
南フランス。
地中海からローヌ川をおよそ140キロ北へ遡るとセリニャン村が見えてきます。
その村外れ。
広い庭に囲まれた一軒の屋敷が国立ファーブル博物館です。
この博物館はファーブルがその晩年を過ごした屋敷です。
ここでファーブルは名作「昆虫記」を書き上げました。
南フランスプロバンス地方の言葉で荒れた土地の事をアルマスといいます。
ファーブルは36年間アルマスと名付けたこの屋敷で暮らしました。
2階の研究室は今世紀初めの様子そのままに今も保存されています。
研究や実験の道具昆虫植物貝類キノコなどの膨大なコレクション。
そして70年間使った小さな机。
生前に愛用したフェルトの帽子が2つ残っています。
この帽子をファーブルは片ときも離しませんでした。
昆虫の標本はおよそ5,000点。
派手な虫は少なく大部分が甲虫やガの類いです。
ヨーロッパの天才たちレオナルド・ダビンチやフランソワ・ラブレーのように昆虫学者ファーブルも絵を描き詩を作り作曲までしています。
またファーブルは丹精込めて荒れ地を立派な庭園に造り上げました。
この庭園には日本の松や竹を含めて2,000種類もの草や木が育っています。
ファーブルはこれらの草木をフランス全土から集めました。
ファーブルは数多くの草や木を植えればそれだけ数多くの虫が自然にやって来ると考えたのでしょう。
あれから100年たってアルマスの庭は昆虫の天国になりました。
カニグモが花の裏に潜みミツバチを捕らえます。
シデムシを集めるこの装置は虫の餌を地上に置くとネコなどが荒らすのでそれを防ぐため竹で宙づりにしたものです。
「昆虫記」全10巻をファーブルは1878年ごろから30年以上書き続けました。
その第1巻第1章はスカラベ・サクレ聖タマオシコガネ俗に言うフンコロガシで始まっています。
フンコロガシは日本にはいない幻の昆虫です。
ローヌ川の西岸アビニョンの向こう岸にレ・ザングルの丘があります。
昔は陸軍の演習場で羊の放牧も盛んでした。
19世紀の半ばにはこの丘にたくさんのスカラベがいました。
最近の研究でファーブルが見たのはティフォン・タマオシコガネと分類されています。
彼は村の子どもたちに1フランずつやってスカラベの卵を探させました。
今では農業が機械化し牛や羊の放牧もなくなりその上農薬などの影響でフランスのスカラベはめっきり少なくなりました。
ポール・バレリー大学のリュマレー先生と数少なくなったスカラベを探しました。
リュマレー先生は一年中大学の冷凍庫に牛や羊の糞を蓄えています。
これは闘牛に出場する牛の糞で糞を食べる虫スカラベの研究になくてはならない大切な材料です。
スカラベが活動するのは日中で午後5時過ぎると姿を隠してしまいます。
とうとう来ました。
体長およそ3センチ。
歩いてくるとばかり思っていたのでまさか飛んでくるとは思いませんでした。
スカラベはコガネムシ科に属する甲虫の一種です。
古代エジプト時代には丸い太陽を転がすようなその姿が永遠不滅の象徴として人々にあがめられました。
彼らは動物の糞を食べて地上をきれいに清掃する大切な役目を果たしています。
この砂浜で見られるスカラベは背中に斑点のあるナカボシ・タマオシコガネです。
スカラベは世界でおよそ100種類。
フランスにはそのうちの5種類が生存しています。
餌にありつくとその場であまり食べずにおよそ10メートルぐらい離れた安全な地帯に持ち帰ります。
この時糞から玉を切り取りそれを転がすのでフンコロガシと呼ばれるようになりました。
いやすごいね。
うわ〜。
スカラベは糞を転がす前にほぼ丸い玉に仕上げるのです。
転がして丸くするのではありません。
ほとんど砂に覆われている地域なので転がした糞の玉はまるでパン粉をまぶしたコロッケのようになってしまいます。
ふだんは前向きに歩くスカラベですが玉を押す時は必ず逆立ちをして後ろ足で玉を抱きかかえ真ん中の足で体を支え前足をてこにして玉を押していくのです。
スカラベはやっと手に入れた糞の玉を一心に自分の必要な場所に運んでいきます。
不思議な事にスカラベは坂道を下っていくよりは反対に上る方が好きという習性があり重力や障害物に逆らって玉を押し上げようといたずらに苦労を重ねます。
そういう時を見計らって玉泥棒が現れます。
額に汗して働こうとはせず他人の成果を横取りしようという厚かましい連中です。
この辺りがなんとも人間の社会に似ているではありませんか。
「はっきり言える事はスカラベの間では盗みは誰でもがやるという事だけである。
このフンコロガシどもはお互いに平気な顔で略奪し合うのであって私はほかにこれほどずうずうしい虫の例を知らない」。
「追い剥ぎは恐らく大胆不敵な略奪者であり冒険好きなやつなのであろうが彼らが勝つ事が多い。
だから2度3度負かされると本来の持ち主はくたびれてしまい人生を達観したかのように新しい玉を作るために糞の山の方にまた戻っていくのである」。
ファーブルの生まれ故郷サン・レオンは地中海のほとりモンペリエから北西140キロの山の中です。
谷間に固まった小さな集落は人口80人そこそこ。
冬には30人に減るという過疎の村です。
村の誇りはもちろんファーブルです。
この銅像は第2次大戦中金属回収のためドイツに運ばれました。
輸送の最中にレジスタンスに参加していた人が発見しひそかに奪い返したものです。
ここが1823年ファーブルの生まれた家です。
村の小学校の校長だった故マリー・ガヴァルダ夫人が第2次世界大戦の前この家の保存に乗り出し自分の年金まで投じて小さな博物館を作りました。
郷土の誇る昆虫学者で詩人のファーブルを広く世の人に知らせるのが目的でした。
この村の事は「昆虫記」の第10巻「幼年時代の思い出」に詳しく出ています。
安野さんはそこが大変気に入ってサン・レオンを度々訪れるようになりました。
ファーブルがこの村で暮らしたのは10歳までです。
しかも4歳から7歳までは一家の口減らしのためもっと山奥のおじいさんの家に預けられていました。
牛や羊や小鳥や虫がおのずから少年時代のファーブルの友達となりました。
安野さんが「昆虫記」を初めて読んだのは10代の後半でした。
一度読んだだけでたちまちとりこになったそうです。
古い城。
そしてファーブルが通った寺子屋のような学校。
当時も今もほとんど変わらぬサン・レオンの風景です。
ファーブルが10歳の年一家はこの村を離れ父親は各地を転々としながら喫茶店を開いては失敗を重ねました。
ファーブルはその後亡くなるまで一度もサン・レオンに帰らなかったのです。
南フランスの古都アビニョン。
人口9万。
14世紀にはほぼ100年間ローマ法王が住んでいました。
当時の法王庁が今も残っています。
1839年。
ファーブルはアビニョンの師範学校に給費生として入学。
3年後首席で卒業しました。
一生を通じて正規の教育を受けたのはこの期間だけです。
そしてアビニョンの北東20キロカルパントラの町で小学校の先生になりました。
月給60フラン足らずという薄給でした。
しかし独学で代数や物理学をマスターするやら酸素を作る化学実験を生徒に公開するやらでたちまち有名になりました。
ファーブルは21歳で同じ学校の女の先生マリー・セザリーヌ・ヴィヤールと結婚しました。
2人の子どもが次々に生まれすぐ死にました。
ファーブルは更に独学でモンペリエ大学の検定試験を受け数学と物理学との学士号を取り今度はコルシカ島のアジャクシオの中学校の先生になりました。
この学校ではナポレオンが若い時学んだそうです。
地中海の大自然に触れてファーブルは生物学への関心をますます深めました。
コルシカ島で彼は生物学者エスプリ・ルキアンとトゥールーズ大学教授モキャン・タンドンに出会いました。
それがきっかけとなってファーブルは数学や物理学よりも昆虫学者への道を選ぶ事になるのです。
昆虫の本能と習性についてファーブルがスカラベに施した有名な実験があります。
「私は2匹の仲間を何度も次のような試練に遭わせて非常な困難に直面した時の連中の創意工夫の能力をはかってみた。
2匹のスカラベが平地にいて手伝いは玉の上にじっとしておりもう一匹が玉を押していると仮定してみよう」。
「長くて太い針で運搬している2匹が気が付かないように玉を地面にくぎづけにし突然停止させる。
スカラベは私が裏切るなどとは知らないから馬車のわだちとか芝草の根とか小石とか普通の障害物が道を塞いでいると思い込むのであろう。
彼はより一層の努力をする。
力いっぱい奮闘してみる。
玉はびくとも動かない。
一体どうしたんだろう。
見てみよう。
2度も3度も虫は玉の周りを回ってみる。
動かない理由が見つからないのでスカラベは玉の後ろにまた戻り再び押す。
玉は小揺るぎもしない。
上の方はどうなんだろう。
虫は玉の上に上る」。
あっ引き抜いてるよ棒。
引き抜いてるよ棒。
ほらほら。
あんな上げちゃったよ。
ほらほら。
新しい発見だね。
ほら切り離したよ。
「昆虫記」にはスカラベが玉の下に潜り背中で玉を押し上げてピンから外したと書いてあります。
私たちのスカラベは逆に上から玉を2つに割ってピンチを切り抜けました。
そしてやや分量の少なくなった餌で小さな玉を再び作り押していきました。
ここなら誰からも盗まれないという地点で巣を作り食糧を蓄えます。
次はブルドーザー作業です。
「掘り出された土は一抱えずつ後方に捨てられ穴はどんどん大きくなってゆく。
間もなく虫の姿は掘りかけの穴の中にすっかり消えてしまう。
掘った土を抱えて外に出てくる度に穴掘りは必ず玉の方をちらと眺め異常のない事を確かめる。
時々彼は玉を巣穴の入り口に引き寄せる。
そして触ってみる。
食糧をしまい入れてしまうとスカラベは隅に取って置いた残りの土で住まいの入り口を塞ぎ中に閉じこもる」。
「ひとたび食物を抱えて住みかに納まると昼も夜もスカラベは食べ消化し彼のお尻から一本のひもがまだ切れずに続いてロープのように乱雑にとぐろを巻いている。
大きな玉は一口ずつ虫の消化管の中を通り過ぎ養分を吸い取られ反対側からひもになって再び外に出てくるのである。
いつも紡ぎ穴にくっついている切れ目のないたった一本のこのひもはほかに何も見えなくてもスカラベの休む事のない消化作用を十分すぎるほどに物語っている」。
1853年ファーブルはコルシカ島からアビニョンに帰り中学の先生になりました。
アメリカから日本にペリーが黒船でやって来た年です。
以後15年間教壇に立ちました。
小川の水を利用する染め物屋。
その染め物屋が立ち並ぶ町内にファーブル一家は住んでいました。
アビニョンは絹織物の産地で染め物は特に重要です。
ファーブルもこれに深く関わっていました。
アビニョン市はファーブルをルキアン博物館長に任命しました。
金がないと大学教授になれないというので彼は教職のかたわらこの地方特産のアカネの研究に打ち込んでいました。
アビニョン周辺の農家ではセイヨウアカネを栽培しこれを絹の染料に使っていました。
野生のものと栽培用のものとあります。
ファーブルの研究は天然アカネからいかに効率よく染料のアリザリンを引き出すかという事でした。
当時ヨーロッパの列強は質のよい染料を作るため激しい技術競争をしていました。
アカネの研究でファーブルはレジヨン・ドヌール勲章を受賞しました。
しかし喜びもつかの間ドイツが石炭タールなどから合成染料の製造に成功したのです。
ファーブルがよく通った天然染料の工場はこの技術革新で潰れ今は廃虚です。
挫折したファーブルは「アカネの桶で求められないものをインクつぼから取り出そう。
さあ働こう」と「昆虫記」に書きました。
ここはアビニョンの目抜きにあるジャン・アンリ・ファーブル通りです。
ノーノー。
ノー。
ノー。
(取材者)ファーブルって知ってますか?昆虫の。
教科書に書いてあった。
(取材者)読んだ事ある?はい。
昆虫学者?ファーブル?ファーブル?人じゃないの?分かった!「ファーブル昆虫記」だ。
あ〜知ってるよ。
ノーベル賞もらった人でしょ?違うか。
結構僕昆虫好きだからファーブルみたいな人は非常に…。
まあ理解されなかったのかわいそうな人ですよね。
(取材者)ありがとう。
「昆虫記」が社会主義者大杉栄によって初めて日本で翻訳出版されたのは1924年大正13年です。
ファーブルの死後9年の事でした。
今もその人気は少しも衰えていません。
南フランスにある陸軍の演習場です。
ここは人間の立ち入りが少ないので大型スカラベティフォン・タマオシコガネが生き残っています。
スカラベはどこに卵を産むのだろうかとファーブルは長年この問題に悩まされてきました。
ある時羊飼いの男が洋梨の形をした玉を持ってきたのです。
あ〜梨玉だ!あ〜梨玉がある。
かつて羊飼いからもらった梨玉をファーブルは注意深く削り卵を発見しました。
長さは10ミリ幅は5ミリとファーブルは書いています。
スカラベが梨玉に使う糞は繊維の細かいもの例えば羊の糞などです。
上部に穴を開けそこに卵を産み落とします。
そのくびれた部分は空気が通りやすいように作られているのです。
母虫は卵をお尻から産み落とした後上部の穴を塞ぎます。
梨玉は完成し母親は出ていきます。
産卵から5〜6日でかえった小さな幼虫はおよそ3〜4週間梨玉の内側を食べながら大きくなります。
スカラベの幼虫の敵は乾燥です。
外界の温度が上昇すると梨玉の中は蒸し焼きになり餌もかたくなります。
壁に穴でも開くと乾燥を防ぐため幼虫は自分の糞で内側から必死に穴を塞ぎ梨玉を守ります。
1868年明治維新の年。
45歳のファーブルはアビニョンのサン・マルシャル礼拝堂の公開講座で植物は雄しべと雌しべで受粉するという原理を話しました。
講義の対象が若い女性たちであった事から市民の間に非難の声が上がりました。
これを言いがかりにして日頃ファーブルを快く思わない宗教界教育界政界の人々がファーブルを教壇から追い出しました。
独学で名を成したファーブルへのやきもちもあったといいます。
家主からも追い立てを食ったファーブル一家7人は住み慣れたアビニョンを後に30キロ北のオランジュへ立ち退きました。
勉強というものは全て独学でなくちゃ駄目なんだと。
黙って学校行ってさえおればひとりでにものが分かるんじゃなくってね自分でつかみ取っていかなきゃ本当はものは分からないんだという事が言いたいんです。
多分こうだろうなと思ってたのがそうじゃなくてこうだったというね。
本当はこうだったんだっていうのが分かった時は頭の中がくらくらっとするぐらいの感激があるものなんですけどもファーブルっていうのは朝から晩までくらくらしながらね自分でいろんな大自然の秘密をつかみ取っていった。
そういうのはね絵を描く人間にとっても全くおんなじ事なんですね。
その意味でファーブルはやっぱり人生の一人の先生だというふうな気がしているんですけど…。
人生の半ばでファーブルは大きな試練に立たされました。
しかし彼が大著「昆虫記」に30年にわたって挑んだのは実はそれからです。
今日はファーブルの100年目の命日という事で東京都内のファーブル昆虫館からお伝えしているんですがこちらはその地下にありますファーブルの生家を再現したスペースという事ですね。
ファーブルの生まれ育った地方ルエルグ地方っていうんですがそこのその時代の家具です。
それを古道具屋さんに丹念に集めてもらって作ったと。
壁もその時代の壁をフレスコ画の専門家に塗って頂いたんです。
はあ〜。
この環境の中でファーブル少年は…。
ある年齢まで大きくなった。
で弟が生まれた時点でおじいさんのうちに預けられるんですね。
そこは大きな農家だったそうです。
それで昆虫に親しむ訳ですね。
何か野原で夕方になるとズィンズィンズィンズィンと鳴いてる声がする。
何だろうっていうのをその声の主を確かめるまで追いかけるんですね。
何日も何日も。
本当にしつこい性格ですよね。
小さい子どもの頃から。
科学者として真相を究明するまでは絶対に諦めない。
日本では当たり前のようにみんながファーブルを知ってるんですけどご当地のフランスではあまりというか…。
まあ変わり者だったしそれからファーブルは科学者の主流に反抗しましたからね。
むしろ葬り去られた方じゃないでしょうか。
ほとんど知られてない。
虫というのは目に見えてないんですよね。
フランス語でMoucheというとハエだとかちっちゃい小虫だとかいっしょくたですしあんな邪魔なもの要らないもの何だか分からないものそれがもっと時代を遡ると悪魔の化身になっちゃうんです。
角が2本生えてるクワガタムシなんてまさに悪魔なんですね。
だからクワガタムシ立派なのがいるんですがヨーロッパミヤマクワガタって。
それ捕まえたら首を切って暖炉に捨てろとかね。
うわ〜。
そういう文化ですから。
片や日本ではファーブルはよく知られているし愛されていると言ってもいいくらいですよね。
どうしてそんなに?それはやっぱり日本文化の中に虫が溶け込んでるからじゃないでしょうか。
例えば俳句和歌の季語なんかに虫がたくさんありますよね。
それから絵の中にも虫がたくさん描かれてる。
ちょっとした日本画の絵描きさんはカボチャのつるにキリギリスが止まってよく見るとキリギリスが前足についた露をなめてるってそんな絵を描きますでしょ?そういう絵はヨーロッパにはないんです。
なかったんですね。
私たち日常の言葉でも「虫の知らせ」ですとか「蓼食う虫も好き好き」ですとか何か虫ってごく普通に…。
「虫が好かない」とか「腹の虫が治まらない」とかいっぱい虫という言葉はあるしそれから個々の虫もよく見てます。
日本人はね。
昆虫の研究といいますとファーブル以前にもあったと思うんですけれども。
ファーブル以前はね主として昆虫の形態の研究ですね。
どんな姿をしてるかそういう事で終始してる傾きがあるんですね。
生きた虫を飼育してどんな反応をするこんな条件を与えるとこんなふうに行動をするそしてトータルではどんな生活をしてるのかというのをず〜っと追いかけていったというのはなかったみたいですね。
それから実験も1回2回で普通観察したと思うんですが条件を変えて何べんも何べんも繰り返すのは翻訳してて嫌になるぐらいです。
つきあいきれないぐらいしつこい人ですね。
同じ事を何べんも何べんも説明しますからこれ翻訳者が下手なんじゃないかと思われますからね。
やっぱりファーブルのやった昆虫の研究というのはその後にもつながっていくものだったんでしょうね。
生き物が思いがけない行動をする。
それをずっと研究するようになりますよね。
まあそれで今では例えば日本でゴリラとかチンパンジー研究してる偉い先生がたくさんいらっしゃるじゃないですか。
そうすると人間とゴリラの違いを見てるとハッと人間の事も分かる瞬間があるんだそうですね。
それをファーブルは早くも昆虫で?昆虫でやってる訳ですね。
昆虫というものがだんだん分かってくると自分という最も難解な書物が読めるようになると。
そういう言い方をしてますね。
最終的には自分自身を知る事。
虫とは何かが分かってくると人間とは何かも分かってくるという事でしょう。
生きた昆虫を粘り強く観察してその生態を突き止めてきたファーブルなんですけれどもあの「昆虫記」を書いたのはなんと55歳になってからなんですね。
「NHK特集安野光雅ファーブル昆虫記の旅後編」。
創意工夫に満ちたその実験も併せてご覧下さい。
南フランスプロバンス地方に伝わる火祭りの踊りです。
ひなびたセリニャンの里にファーブルが古い空き家を求めたのは1879年56歳。
彼の年俸が当時の金で1,700フランぐらい。
求めた家は7,200フランでした。
「これこそ私の願いだった。
すなわち僅かばかりの土地もちろん大して広くはないけれど囲いがあってうるさい街道からは隔てられている。
太陽に焼かれたアザミとハチの好む見捨てられた僅かばかりの土地。
ここなら通行人に邪魔されるおそれもなくジガバチやアナバチにものを尋ねる事ができるだろう。
言葉の代わりに実験によって質問をし答えをうるというあのやっかいな虫との対話に没頭する事もできるだろう。
そうだこれこそ私の願いであり夢であった。
憧れ続けてきたのにいつも未来の雲の中に逃れ去っていた私の願いであり夢だったのだ」。
ファーブルはチョウやトンボよりもガや地面の下の虫に深い関心を寄せました。
集団を作り社会性を持つ昆虫をあまり好まなかった節もあります。
昆虫の世界では何とも判断のしようもない磁石のような力に導かれてオスが遠い野原からメスを求めて駆けつける現象があります。
ファーブルが特に関心を持ったオオクジャクヤママユです。
ファーブルは実験のため1匹のメスをある夏この部屋に置きました。
3日目の午後の事でした。
ふだんいくら探してもいないヤママユのオスがこの部屋のメスを求めて遠くから群れをなしてやって来たのです。
この研究室の中に60匹も乱れ飛んだといいます。
ファーブルは今の言葉で言えばフェロモンという一種の匂いにオスが引き寄せられる事を発見しました。
彼はアルマスに来て間もなく初めの妻を病で失いました。
再婚した後3人の子どもが生まれ合わせて8人の子の父となりました「40年間というもの私は人生のみじめさに対して一歩も譲らず闘ってきた。
そうしてあれほど欲しかった研究の場がとうとう手に入ったのだ。
そのためにどれほど我慢しなければならなかったか。
どれほど一生懸命働かなければならなかったか。
それは言わないようにしようと思う。
実験場が私のものになった。
そしてそれとともにこれはもっと大事な事だけれどどうやらいくらかの時間も手に入ったようである。
私の願いはかなった。
しかし美しい昆虫たちよそれは少し遅すぎたのだ。
今や私は人生のもろもろの経験に打ちひしがれこの上生きていく値打ちがあるのかどうか自問自答する年齢になっている」。
けれどもファーブルはしぶとく生き続けました。
彼がアルマスに来たのは決して遅すぎはしませんでした。
36年もの長い間このアルマスで研究と著作に励んだのです。
フランス中からたくさんの草木を取り寄せて植えた1ヘクタールの庭は何より役に立ちました。
ファーブルはイギリスの博物学者チャールズ・ロバート・ダーウィンの「進化論」に反対でした。
けれども2人は親しくダーウィンは著作「種の起源」の中でファーブルを類いない観察者と呼んでいます。
ダーウィンはもし昆虫を方向感覚を失わせた上で放したらどうなるかという実験をファーブルに依頼しました。
かねてからネコがどんな遠い道でも住み慣れた家に帰る事に注目していたファーブルはヌリハナバチを使って度々実験をしました。
私たちはミツバチで同じ事を試みました。
アルマスの庭のハチの巣から20匹のハチを捕まえました。
このハチが帰ってくるのをテオッキ館長の孫のニコルが見張ります。
ファーブルの時はこの役目は娘のアグラエでした。
捕まえたハチにはピンク色の印をつけました。
行く先はファーブルの実験同様4キロメートルも離れたエイグ川の河原です。
ハチたちにはどの道を通ってどこへ行くかは全く分かりません。
ファーブルはこの同じ河原で20匹のヌリハナバチを放したのです。
「家に入るか入らないかのうちに私はアグラエが頬をバラ色に紅潮させているのを見た。
『2匹よ。
2時40分に2匹戻ったわ。
おなかの下に花粉をいっぱいつけて』と彼女は言った。
私は2時ごろハチを放した。
そして一番早いものは2時40分に巣に戻った。
従って大体45分あれば連中が4キロの道のりを飛ぶのに十分な訳である。
驚くべき結果と言わねばならない。
明くる日あちこちに散っていた働き手たちを太陽が巣に呼び集めた時私は再び背に白い印をつけたハチの数を数えてみた。
その結果は私の期待をはるかに超えたものだった。
私は15匹をつまり前の日に遠くで放したハチを15匹も数える事ができたのである」。
私たちの実験では20匹のうち5匹が帰りました。
動物を通常行った事もない場所に方向感覚を失わせて連れていきそれでもなぜ巣に帰れるのか。
「それは記憶ではなく特別な能力である」とファーブルは述べています。
ファーブルは「昆虫記」のかなりの部分をハチに費やしています。
カルパントラの町外れにある切り通し。
機銃掃射の弾の痕のように見えるのは全てハチの巣です。
コシブトハナバチの仲間がこの辺りのように乾燥して一日中日の当たる場所に巣を作っているのです。
巣の中を開いてみると花の蜜と花粉とを練り合わせた餌の上には幼虫がいます。
同じ切り通しにエントツドロバチもいます。
このハチの巣は横穴ではなく崖に沿って垂直な縦穴です。
そしてハナバチと違い肉食で幼虫に花の蜜や花粉の代わりに生きたアオムシを餌として与えます。
真ん中で頭が白く見えるのがハチの幼虫です。
かつてフシダカバチという狩りをするハチが子どもの餌にタマムシを狩る場合タマムシがなかなか腐敗しないのはハチが防腐剤を注射したからであるという説を立てた学者がいました。
その人はフランス南部のランドに住む昆虫学者で医師のレオン・デュフールでした。
1854年31歳のファーブルはデュフールの学説が不完全であると反論しました。
私たちはファーブル説に従ってアラメジガバチの狩りを撮影しました。
夜盗虫を見つけたハチはまず頭に近い胸を刺します。
ご覧下さい。
ここです。
あとは1節ずつ刺して夜盗虫は全くまひ状態になります。
しかし死んではいません。
生きているからこそその肉が新鮮に保たれるのだとファーブルは考えました。
要するに殺して防腐剤を注射するのではなく麻酔をかけて生かしているのです。
彼は論文を1855年「自然科学年報」に発表しフランス学士院の実験生理学賞モンティヨン賞が贈られました。
反論されたレオン・デュフールは逆にファーブルを褒めたたえ励ましたといいます。
ハチはまず幼虫の頭を穴にちょっと入れてそれから自分が入って幼虫を引っ張り込みます。
その獲物に卵を産み付けます。
縦穴を犬かきのような動作で埋めていきます。
こうして麻酔をかけられた夜盗虫は生きたまま幼虫の餌になります。
幼虫は大きくなり逆に夜盗虫は体液を吸い尽くされていきます。
夜盗虫がすっかり体液を吸い取られる頃幼虫は繭を作ってサナギに変身していきます。
アルマスすなわち国立ファーブル博物館のガレージには今もいろいろなハチのためにたくさんの筒が仕掛けられてあります。
中でもスジドロバチはガの幼虫を捕らえるために活発に行動します。
ガの幼虫いわゆるアオムシはやはり麻酔をかけられてスジドロバチの幼虫の餌になるのです。
スジドロバチは土に潜るアラメジガバチと異なり獲物を抱えて巣まで飛んでいきます。
内視鏡で巣の中をのぞいてみましょう。
中にはびっしりとアオムシが詰まっています。
竹筒を2つに割ってみるとそれぞれの部屋の天井には産み付けた卵下はアオムシがいっぱいです。
ファーブルが発見したようにアオムシは確かに動いて生きています。
卵を産み終わると泥で蓋をするところからドロバチの名が付きました。
卵がかえり幼虫は運び込まれたアオムシの体液を吸って育ちます。
アオムシの体液を吸った幼虫は青く隣は赤い虫の体液を吸って幼虫は赤くなっています。
それぞれの部屋の境は泥の壁です。
同じ巣の中でも幼虫の成長は早く産み付けられたものこの場合は右の方が成長が進んでいます。
どの部屋も獲物を食べ尽くしサナギになりかかっています。
一番奥は完全にサナギで羽化したら壁を破って出ていきます。
安野さんはアリがいたりクモの巣があったりするような素直な自然が好きです。
今から100年前の1888年といえば日本にはまだ憲法も国会もない時代でした。
当時65歳のファーブルは既に自然界の秘密例えば環境生殖天敵遺伝などの今日的問題に鋭く迫っていました。
まさに先覚者でした。
だから「昆虫記」全10巻は単なる昆虫の物語ではなくて壮大な叙事詩なのだと安野さんは言います。
さて昆虫ではありませんがそれに近い一種の怪物もファーブルの興味を引きました。
その一つはナルボンヌのコモリグモといいます。
俗称ナルボンヌの毒グモです。
あっ捕まえた!このクモは脚を広げると体長10センチもある大きなクモです。
地上で網を張ったりせず穴の中で昆虫を捕らえて生きています。
このクモは昔から人に恐れられてきましたが毒グモと呼ばれるほどの毒はなくむしろ母性愛豊かな生物です。
ファーブルはこのクモをずっと植木鉢で飼っていました。
やった。
もう一つの悪役はアルマスの周辺でたくさん見つかります。
これがラングドックサソリ。
大きいもので長さ9センチぐらいあります。
ファーブルはサソリを長い間飼育しました。
一般にサソリは夜行性で小食だという事を突き止めています。
尻尾の先端の毒袋です。
通常サソリは臆病ですが飢えた時は攻撃的になりそして軟らかい体の虫を好んで食べるという習性があるようです。
お〜やってるやってる。
毒刺した?さてナルボンヌの毒グモとラングドックサソリはどちらが強いか。
サソリの攻撃は電撃的に速く勝敗は一瞬に決まるとファーブルは書いています。
あ〜刺されちゃったよ。
結果はそのとおりサソリの勝ちでした。
老齢多くの家族職業も年金もないファーブルの晩年は苦しい生活でした。
「昆虫記」の売れ行きはさっぱりでした。
85歳を越してからはファーブルは健康が衰え居間のソファ−に横たわる事が多くなりました。
「ファーブルを救え」という声が全ヨーロッパに高まり多くの文化人が救援運動に参加しました。
1913年ポアンカレ大統領がアルマスを訪れ国民を代表してその労をねぎらいました。
ファーブルは90歳でした。
政府はこれに先立ち42年ぶりに1級上のレジヨン・ドヌール勲章第5等と年2,000フランの年金を贈りました。
しかし時既に遅くファーブルは燃え尽きていました。
1914年第1次世界大戦が始まり子どもや孫はみんな出征しました。
1915年夏ファーブルは担架に乗って愛するアルマスの庭を一巡りします。
最後の野外活動でした。
その年10月92歳の生涯を終えました。
死因は老衰と尿毒症でした。
孫の一人がスペイン国境近くのペルピニャンに住んでいます。
ファーブルの家の墓はアルマスのすぐ近くでした。
なぜか十字架がありませんでした。
ファーブルが二十歳の頃に買い求め70年間使った机。
彼はその小型の机を好きな場所へ自由に持ち運んで愛用しました。
「小さなクルミの板よこれでもう半世紀以上もの間私はお前を大事にしてきた事になる。
インクの染みがつきナイフの傷がついたお前は昔私が方程式を書く時の支えになってくれたように今は文章を書く支えになってくれている。
主人がいなくなったらお前はどうなるだろう?家族の者が私の貧弱な遺品を取り合いする時お前は競売にかけられ20スーで売り払われてしまうのだろうか。
流しの隅の水がめ置きになってしまうのだろうか。
キャベツむきの台になってしまうのだろうか。
それとは反対にうちの者たちはみんなでこんな事を言うだろうか。
『これは思い出になるから取って置こう。
この机でお父さんはあんなに苦しんで勉強したり人に教える事ができるようになろうとしたんだから』」。
「本当の自然は虫がたくさんいてカビが生えるような自然を言うのだろうね」と安野さんはつぶやきました。
人間と自然が調和して共存する事の大切さをファーブルの「昆虫記」は100年も前に説いています。
「フランスの大西洋と地中海の沿岸地方にはばく大な費用をかけて研究所が設立され我々には大して関係もない海の小動物たちを解剖している。
一方で地上の小さな虫たちは我々人間と絶えざる関係を持って生きていて広い意味での心理学に計り知れぬ値打ちのある資料を提供したり収穫に大きな害をなして国庫に打撃を与えたりしているのにこっちの方は軽んじられているのである」。
「流行が変わるのを待ちながら私はアルマスに生きた昆虫の研究所を開いておこうと思う。
この研究所は納税者の懐には一文の負担もかけはしない」。
番組を見ているとファーブルの人生というのは試練の連続本当に過酷なものですけれども55歳になってようやく「昆虫記」を書き始める事ができる。
それがどうしてこれほど多くの人たちを引き付けるんでしょうね。
それは単なる研究論文ではなくてその研究をしてる観察をしてる自分の心境自分の時代そのものをその中に書いてあるからじゃないでしょうかね。
虫があってそれを観察してる人間があってそれ全部が広角レンズみたいにずっと大きく写っていくんですね。
我々それを読む度にどっちにも入り込めるんですよ。
そこに思想があって詩があってそこに生きた虫と生きた人間がいるんですよ。
奥本さんはこの「ファーブル昆虫記」を通してファーブルっていうのはどんな人物だというふうにお感じですか?子どもの時からの飢えが非常に強かった。
それは胃袋の飢えだけじゃなくて知識欲という点では非常に飢えが知りたいという気持ちがあった。
夕方になると野原で虫なんかが鳴いてると毎日毎日ちょっとずつ近づいていってツユムシだっていう事を発見する子どもですよね。
それはやってる事そのものは単純ですけどすごい精神だと思いますね。
私たちが感じない事を感じたり疑問に思わない事を疑問に思ったりというのは?自分で疑問を作り出す訳ですね。
その自分で問題を作り出すっていうのはそれはちょっと凡人じゃできない事のように僕は思うんですけど地球があってそれが動いてるとかですねそういう事を全部ず〜っと疑問に持ち続けてちょっとずつ知っていくのが楽しいんでしょうね。
科学の地平線の先にクエスチョンマークが立ってるっていうんですね。
それは決してなくなる事はない。
分け入っても分け入ってもクエスチョンマークだと。
それから美しいものを美しいと感じる…美意識ですかね。
それが人一倍優れてるんじゃないでしょうかね。
我々言葉を覚えて花の概念があって花が咲いてたよユリが咲いてたよって言うんですけど見てない事が多いですよ。
実際には。
今そんな事を奥本さんは子どもたちにも伝えていると。
言ったり言わなかったりですけど。
でもとにかく子どもがいると何となく昆虫採集の事を教えたくなる性分なもんですから集めて一緒に採集に行くと。
そうするとつまんながってた子どもが急に生き生きし始めるんですよ。
やっぱり網持たして虫がいるとダ〜ッと走っていきますからね。
あれって人間の本能に結び付いてると思う。
女の子でもそうですよ。
初めはね触れないって言ってるのがね黙ってると「やらせて」って来ます。
そんな表情を奥本さんは楽しくご覧になってるんですね。
自分と同じだなと思って。
子どもの時の自分とね。
何だかいつもネットを見て学校の勉強に追われてっていうイメージがありますけどその子たちが一たび虫を見たり虫の声を聞いたりすると…。
山の中へ入って冷たい空気自然の植物の香りを嗅いだ途端にやっぱりまだ大丈夫じゃないんでしょうかね。
100年以上前に書かれた「昆虫記」ですけれども改めて手に取って開いていきますと一つ一つ謎を解き明かしていく過程っていうんですか?それはもう本当に最初から答えを与えられる…正解を与えられるんじゃなくてそれを暗記するんじゃなくて本当に何だろう何だろうとずっと思ってて答え解明する喜びっていうのが「昆虫記」の随所にあるんですよね。
それを本当を言うと今の子どもたちに知ってほしい味わってほしいですね。
今日はどうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
2015/10/11(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「“虫の詩人”が伝えること〜ファーブル没後100年〜」[字]
没後100年を迎える「昆虫記」の作者ファーブル。あくなき好奇心から執ように昆虫を観察、常識を覆す研究成果を次々生み出した彼の生涯から現代へのメッセージを考える。
詳細情報
番組内容
今年10月11日フランスの博物学者ファーブルが没後100年を迎える。本国では無名だが日本では古くから愛され続ける「昆虫記」の作者ファーブル。生きた虫を忍耐強く観察しあらゆる可能性を想定し実験するという当時ほとんど行われなかった「昆虫の行動研究」で定説を覆す新たな事実を次々と解明した。貧困など苦難を乗り越え偉業を達成した彼の生涯をひも解きながら私たちが失った「あくなき好奇心」の力を改めて見つめ直す。
出演者
【出演】仏文学者、大阪芸術大学教授、埼玉大学…奥本大三郎,【キャスター】森田美由紀
キーワード1
ファーブル
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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