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「お母さんや子供の心から湧き出る笑顔がスラブチッチにあった」
廃墟を残すか、夢のニュータウンを造るのか福島は岐路に立っている

 1986年4月26日にソビエト連邦(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で世界を震えさせた原発事故が起きました。それから27年が経過した今年9月、福島第一原発事故で避難をしている福島浜通りの人々が、チェルノブイリがどのように変わったか、ウクライナの人々はどんな体験をしたのか、その体験から何を学べばよいかを考えるためにチェルノブイリを訪れました。リーダーを務めたのは福島のNPO法人ハッピーロードネット理事長の西本由美子さんです。西本さんは、3月に放送された新世代原子炉安全技術の第1人者である奈良林直北大教授の出演した言論テレビを見て、ウクライナにある「夢の町」スラブチッチの存在を知りました。西本さんは直ちに奈良林教授と連絡を取り、今回の企画が誕生しました。この番組の狙いは、西本さんたちはウクライナ視察で何を考え、何を学んだか、そして復興のための新しい町作りを進めて行く構想に役に立ったのかお聞きすることです。

 対談の中頃で、福島の除染目標になっている1㍉SVについて奈良林教授は「ウクライナでは住める基準は20㍉SV以下、福島では大部分の人が戻れます。最初から1㍉SVにしてしまったら戻れない。厳しすぎる基準を作ったことが、福島を不幸にしてしまっている」と指摘しました。櫻井キャスターも「良かれと思って厳しくしたところが逆の結果になっている、ウクライナの例から学び、科学的な情報を重視し、耳を傾けることが大事だ」と応じました。対談の最後で、西本さんは「7年後のオリンピックでは、新しく造った町の桜並木の下で子供たちと聖火リレーしたい」と締めくくりました。

≪動画インデックス≫
1.夢の国スラブチッチを知ったのは、言論テレビがきっかけだった
2.チェルノブイリは通常レベルで誰も防護服など着ていない
3.住める放射能の水準に戻っても、プリピャチ住民は移住して廃墟となった
4.事故後1年8ヶ月の早さで、人々は夢の町スラブチッチに移住できた
5.福島にはないお母さんや子供たちの心から湧き出る笑顔がスラブチッチにあった
6.事故後、原発凍結したウクライナに現在原発15基が稼働している理由とは
7.ウクライナでも放射能汚染よりもマスコミの情報汚染の方が怖かった
8.「被爆者手帳」を「安心カード」に変更する提言
9.「1㍉SVですって!そんなの問題ない、私たちは300㍉SVが基準」
10.福島は民主党政権が最初から厳しすぎる1㍉SVをしたために戻れない現実
11.福島は廃墟の町を残すか、夢のニュータウンか造るか岐路に立っている

ゲスト

西本 由美子(にしもと ゆみこ)NPO法人ハッピーロードネット理事長

1954年福島県生まれ。3人の息子さんの母親。福島県民に、まち・みち・地域づくりなどの推進活動などに関する事業を行い、楽しく住みやすい地域社会の実現などに寄与するNPO法人ハッピーロードネットのリーダー。昨年から福島第一原発からの復興を目指して、国道6号沿いなどに2万本の桜並木を整備しよ¬うとしている「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」のリーダーも務める。『中学・高校生による東日本大震災体験文集出版』を企画し、災害の真実を後世につなぐため、櫻井よしこ氏監修による作文集を発行する予定。

奈良林 直(ならばやし ただし)北海道大学教授

1952年東京都生まれ。1978年東京工業大学大学院理工学研究科原子核工学専攻修士課程修了、(株)東芝入社後、原子力事業本部原子力技術研究所に配属され、原子炉の安全性について研究を行う。2005年に北海道大学大学院工学研究科助教授に就任し、2007年から現職。内閣府原子力安全委員会専門委員、原子力安全保安院安全性総合評価意見聴取会委員など歴任。第4世代など新世代原子力発電所の安全技術に関する第1人者。

※ プロフィールは放送日2013.11.01時点の情報です