アーティストマネジメントの現場において、「悩み」の相談、「クレーム」処理の対応はつきものだ。
それをおろそかにしたり、ないがしろにすることは、お互いの信用を損ねる原因となる。
ただのアーティストの「わがまま」「気まぐれ」「エゴ」といった簡単な言葉では片付けられない。
それこそアーティストが、マネジメントに求めたい仕事である。
ところが、ときに私たちはその問題を置き去りにしたり、迂回することで計画を先に進めようとしてしまう。
問題の解決よりも、言葉のトリックやごまかしで、その場を切り抜けようとする。
ときにアーティストを騙すように、もしくはその「問題」に触れないように論点をすり替えて話を進めていく。
しかし、置き去りにされた問題はたとえ小さなことであっても、いずれ積み重なって「大きな問題」に発展する。
アーティストとマネジメント、各メンバー間の不和、それらは本質的な問題を放置することによって発生する金属疲労のようなもなのである。
彼らが何を求め、どのような結果を望んでいるのか、我々マネジメントはあらゆる問題を整理する能力が求められているのだ。
一つの問題がときに幾重にも絡まり、もはやその悩みの本質が見えなくなるほど様々なものがまとわりつき複雑化することがある。
その絡み合い、硬く固まった問題を紐解き、整理することが必要なのだ。
そのような作業において、その問題が生じたプロセスを、機能的に整理することができたら、どれほど心強いだろうか?
ニューロロジカル・レベルという考え方が、問題を整理するときに役に立つ。
ニューロロジカル・レベルとは、人間の意識を以下の6つの階層に分けて分類する考え方だ。
「環境」「行動」「能力」「信念・価値観」「自己認識(自己一致)」「スピリチュアル」の6つの階層に分類され、最も上位の概念が「スピリチュアル」で最も下位の概念が「環境」に位置する。
下位概念は意識的であるのに対し、上位概念にいくほど無意識化され心の中に保存されている。
そして、上位の概念が下位の概念に影響を与える。
つまり、「環境」レベルの問題は「行動」という上位概念のによって変化を与えることができる。
たとえば「掃除」という行動をとることで、部屋が綺麗になり「環境」が整い気分良い空間が手に入る。
それでは6つのレベルについてそれぞれ説明をしよう。
①環境レベル
五感を通して知ることができる、周囲の状況。
つまり、「見る」もの、「聞く」もの、「感じる」ものすべて、自分が収集している外界の情報そのもので、100%意識的なものである。
その名の通り、私たちの周囲の状況のことに関する認識である。
人や時間といった概念もこのレベルに入る。
「今日は◯月◯日月曜日◯◯さんと◯◯にいる」という状況はこの環境レベルである。
たとえば、「スタジオの設備が悪い」「ギターの音が悪い」「時間に余裕がない」「お金が足りない」という状況はこの「環境」レベルの問題である。
「いつ~」「どこで~」「誰が~」に関する問題はこの「環境」レベルの問題である。
②行動レベル
「~をする」「~をしない」私たちが何をするか、何を考えるか、行動だけでなく思考もこのレベルに入る。
自分から起こす行動以外に、外からの刺激に対する反応も含む。
「環境」レベルの問題の解決は、この「行動」を変えることで影響を与えることができる。
「自宅にいる」という「環境」は、「移動する」という「行動」によって「スタジオにいる」という「環境」に変化を与えることができる。
「曲作りをしない」「コミュニケーションをとらない」「ライブをしない」という、「行動」レベルの問題の解決には、この上位概念である「能力」もしくは「信念・価値観」レベルでの変化が影響する。
「曲作りをしない」という問題は、「曲作りができない」という「能力」レベルに問題があるのか、「曲作りをしたくない」という「信念・価値観」のレベルに問題があるのかを確認する必要がある。
③能力レベル
「~できない」「~できる」という発言、「どのように」にあたる問題。
特定の「行動」を行うためのスキル、技術、資質に関する問題。
たとえば、ギターを弾くためには「ギターが弾ける」という「能力」が必要になる。
この「能力」レベルの質「どのように」が、「行動」の質を左右し、「環境」のあり方にも影響を及ぼす。
楽器を弾ける「能力」の差が、楽曲の難度や表現力に影響をあたえる。
「能力」は、その人の内部にあるため、行動の結果として外部にあらわれ評価される。
④信念・価値観レベル
「なぜそれを行うのか?」という基本原則。
私たちが信じていることではなく、その人の行動の原則になっていること。
人間の「行動」には必ず理由があるが、今までの経験や学習によって無意識レベルで判断される行動原則のプログラムである。
「信念」は、人間の行動に意味を付け、「価値観」は「なぜ」の答えにあたる重要な要素となる。
「信念」と「価値観」は、ほとんど無意識レベルでその人の人生の方向性を示し、その人の判断基準となっている。
その「信念・価値観」は本人の力付けになることもあれば、時にそれが足枷となって本人の人生に制限をあたえることもある。
⑤自己認識(自己一致)レベル
個人のアイデンティティー、自分はなにものか、役割、使命をあらわす。
「自分は○○である。」と認識している部分。
「私はギタリストである。」「私はいいマネジャーである。」「わたしは優れたディレクターである。」など、自分のことをどのように認識しているかという、自己存在感覚であり、人生の使命を定義する中心的信念である。
経験によって築かれ、変化に適応する柔軟性がある。
「信念」を生み出し、「価値観」を変え、「能力」を身につけ、「行動」を起こし、「環境」を変える。
つまり、その人の個人に内胞されるすべての要素に影響を与える、最も重要なレベルである。
人間の悩みの多くは、なりたい自分になれないジレンマから起こる。
人間は、今の自分となりたい自分の自己一致を目指して生きる生き物である。
⑥スピリチュアル・レベル
個人を超越した存在。
個人としてのレベルを超えて、自分は自分を超えた大きなシステムの一部であるという感覚。
社会の一員であるという感覚、バンドの一員であるという感覚、会社の一員であるという感覚、家族の一員であるという感覚。
アドラーの言うところの共同体感覚である。
このような共同体感覚は、自分は社会や組織、環境の中において重要な役割を担っているという幸福感を得ることができる。
自己の存在が「For Whom? (誰のために)」「For What?(何のために)」あるのかの回答となる。
スピリチュアルレベルが変わると、「自己認識」レベルが変わる。
たとえば、バンドと自己を切り離すのではなく、自分はバンドの重要なメンバーだと感じることにより、自己認識が「ドラマー」から「他のメンバーはもちろん、他のバンドやファンにまで良い影響をあたえるドラマー」に変容する。
たとえば、あるメンバーから「メンバーとうまくいかないからバンドをやめたい」という相談があったとしよう。
「バンドをやめたい」理由は、「メンバーとうまくいかない」という状況から生じた彼の気持ちの表れだ。
この時、我々は「なんでうまくいかないのか?」という問題に焦点を当てがちだ。
そして、「今度一緒にみんなでゆっくり飲みに行って話をしよう」などといってその問題点について話し合う。
そこでは、責任の転化、問題のすり替え、ごまかし、権力闘争の駆け引きが行われた後、「とりあえずこれからもがんばろう」などというところに落ち着く。
一見問題は解決したかのように思われるが、根本的な問題の解決には至っていない。
なぜなら「メンバーとうまくいかない」というのは、「環境」に対する認識の問題であるが、「人間関係」という「環境」レベルだけに焦点をあてても本質は改善されないからだ。
そこで、このニューロロジカル・レベルによって以下のように整理することがでできる。
人間関係という「環境」を改善しようとするならば、お互いの「行動」レベルに対しての問題点にも目を向ける。
そこでお互いを思いやるような「行動」を「とるかとらないか」ということになる。
そしてその「行動」をとるためには、そのための「能力」が備わっているかどうかということも問題になる。
相手を尊重することができるかということだ。
そのためには、お互いをメンバーとして「信念・価値観」レベルではどのように思っているかということのチェックも必要だ。
お互いの「価値観」にずれはないのか、それにまつわる「信念」はどうか。
この領域は、日頃意識して認識していない部分である。
それを、意識化することが重要となる。
そして、その人自身が「自己認識」レベルでどのように思っているかの検証も必要である。
もし「私はメンバーとうまくいかない人間だ」という「自己認識」レベルの問題があったとしたら、その人の上位概念である「スピリチュアルレベル」における変化が必要となる。
つまり、バンドにおける「共同体感覚」をその人が感じていないことに問題がある。
細かい不満が積み重なったり、日頃の行動の積み重ねで、この「共同体感覚」が損なわれたことが原因である。
「私はこのバンドにおいて重要な役割を果たしている」という「共同体感覚」は、「わたしはバンドの重要メンバーだ」という自己認識を生み出し、「自分にとってメンバーは重要だ」という「信念・価値観」を生みだす。
そして、メンバーを理解し尊重するという「能力」が身につき、他のメンバーを気遣う「行動」をとるようになる。
すると「人間関係」という「環境」は大きく変容する。
日頃から、ひとりひとりの細かい声に気を配って、大切に思う「こころ」配りが、おたがいの「自己重要感」を育て、「共同体感覚」を育むことになる。
だから、我々マネジメントは、アーティストひとりひとりを重要なメンバーであると認識し、細かいクレームや相談の一つ一つの対応に気を配らなければいけない。
エンタテインメント・ビジネス成功のセオリー⑱ちいさなことからコツコツと…
蛇足であるが、同じような構造で、我々をとりまく社会を見てみよう。
福島第一原発からは今でも、放射性物質が放出されている。
そして、多くの人が未だに避難先で不自由な暮らしを続けている。
「環境」が大きく汚されてしまった。
除染という「行動」により、この汚染を除去しようとしているが、我々は線量を下げることも、事故を収束させる能力もない。
なぜなら、この国の指導的立場にある人にとって、「原発」は「価値」のあるものだから。
自分たちには、「原発を推進する立場の人」という「自己認識」があるからである。
もし我々の指導的立場にある人物が、個人の損得や存在を超えて、地球の一部であるという意識を持つことができたとしたら、「原子力」などというデメリットだらけの過去の遺物を手放すことができるようになるはずだ。
確かに、科学は人間に大きな一歩を与えたが、それは使い方によっては破滅への一歩でもあるのだ。
科学や経済に支配されるのではなく、それを正しくコントロールするには、自分もこの世界のシステムの一つであるという意識のなかで、環境に配慮するという「共同体感覚」を身につけることが不可欠だ。
そして、「自分たちは、自然の一部である」という進歩的な「自己認識」が生まれれば、「原発」は生命を脅かす不要なものであるという「信念・価値観」が手に入る。
それにより、我々は原子力を封じ込めるための「能力」を手に入れようと初めて前向きに考える。
そして過去の遺物であり、負の遺産である「原子力」を廃絶するための「行動」を一丸となって起こすであろう。
そして、その時本当の意味で私たちに必要な「環境」が手に入る。
戦争が無くならないのも、貧困が無くならないのも、指導的立場の人間が個人の利益を優先しているからである。