なぜか上演回数が少ない《西部の娘》《スティッフェリオ》
2013年ウィーン国立歌劇場でのシュテンメとカウフマン演ずる《西部の娘》の映像を観ながら、1970年代から90年代にかけてドミンゴがこの役をよく歌っていたのを思い出していた。なぜかこのオペラ、プッチーニの作品の中で圧倒的に上演回数が少ないのだ。しばらく前までは《つばめ》も同様であったが、アラーニャ、ゲオルギューが熱心に取り上げたことで、現在はかなり上演回数が増えてきている。《西部の娘》は1910年METで初演された作品で、初演の際の人気は異常と言ってもよいほどであった。トスカニーニ指揮、カルーソーのジョンソンという豪華な出演者、METが総力を挙げ長期にわたって前宣伝をしたため、30倍のプレミアムが付いたそうだ。その後世界各地の歌劇場での初演は成功したものの、数年でほとんど上演されなくなってしまった。
しかし、なぜかドミンゴは好んでジョンソンを歌っている。おそらく1970年代と思われるサンティ指揮のROH、1991年マゼール指揮のスカラ座、1992年スラットキン指揮のMET、と私の手元には3種の映像がある。相手役のミニーがそれぞれネブレット、ザンピエーリ、ダニエルズと異なるが、ドミンゴは世界各地でこの役を歌っていたのだ。
最近の映像では2008年ネーデルランド・オペラのウェストブルック主演、2010年METのヴォイト主演の映像を観ているがあまり印象に残らなかった。ミニーが命を懸けて愛し、守り抜いたジョンソンが、魅力的でなかったせいなのかもしれない。カウフマンのジョンソンは、久しぶりに盗賊の首領らしい野性的な魅力を感じさせるジョンソンだった。
出典:http://www.hmv.co.jp
ヴェルディにも上演回数が非常に少ない作品がある。それは《スティッフェリオ》で、この作品は牧師の妻が夫の不在中に不倫を犯すという題材のため、当時の時勢に合わず、初演後即刻上演が禁止され、ヴェルディ自身の手でスコアが放棄された。その後、1968年にナポリでスコアのコピーが発見され、それをもとに指揮者エドワード・ダウンズが集成し直し、1993年ROHで蘇演された。白血病を克服したカレーラスが熱演したこの作品は、BBCが当日の番組を急遽変更して放映したといういわく付きの名演である。しかしその後の上演は余りないようで、DVDではヴェルディ生誕200年にパルマで上演されたバッティストーニ指揮、アロニカ主演のものしか見つからない。CDではドミンゴが歌ったものがある。ホセ・クーラも歌っているがDVDは出ていないようだ。
出典:http://blog.goo.ne.jp/madokakip
出典:http://www.hmv.co.jp
この2作品はどちらも決して駄作といわれるような作品ではない。にもかかわらず上演が少ない理由は何なのだろうか。
一つにはいわゆる名アリアがない。つまりリサイタルで好んで歌われるようなアリアはジョンソンの『やがて来る自由の日に』くらいしかない。《リゴレット》の『女心の歌』や《椿姫》の『乾杯の歌』などは初演の際、劇場を出た観客が口ずさんで帰路に就いたという。そのような曲に欠けることが一つの要因かもしれない。
もう一つは、結末の曖昧さ。《西部の娘》はジョンソンの処刑によりいかにも悲劇で終わりそうなストーリーが、二人は新天地へ旅立つというハッピー・エンドになってしまう。これが、もしジョンソンが処刑され、そこへ駆けつけたミニーが泣き崩れるというエンディングだったらどうだろう。観客には徹底した悲劇の方が受け入れやすいのではないだろうか。
《スティッフェリオ》にはアリアらしいものがない。その上、不貞をはたらいた妻は夫であるスティッフェリオから許されるが、この二人に幸せな日々は二度と来ないだろう。ヴェルディにしては、何とも後味が悪い終わり方なのだ。いっそのこと、妻が自分の過ちは許されないと自害し、スティッフェリオは自分が聖職者でありながら、妻を許せなかったという激しい後悔と自責の念に苛まされるという結末だったら…。
共に勝手な私の空想だが、観客は結構主人公の不幸を期待しているのではないだろうか。
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category - オペラ