Saho Terao
寺尾 紗穂
シンガー・ソングライター、作家。
1981年生まれ。東京都立大学卒。東京大学大学院総合文化研究科修士課程終了。中学の頃より楽曲制作を始め、大学時にバンドを結成。並行してソロ活動も行う。2007年、メジャー・デビュー。ピアノ弾き語りによるライヴやCMソング、企画アルバムのほか、エッセイストとしても活躍。
寺尾 紗穂さん(シンガー・ソングライター、作家)
「原発の日雇いで 放射能で被曝したおじさんが 虫けらみたいに弱るのを 都会の夜は黙殺する」。震災が起きる前にそう歌い、また路上生活者と元路上生活の経験者のダンスユニット「ソケリッサ」と共にライブをする。非常に意欲的な作品をつくり続ける寺尾紗穂さん。音楽活動の一方で、戦争や原発など社会問題についての本を立て続けに出版されています。寺尾さんの執筆や音楽への思いを尋ねました。
大学生のときに旅先の屋久島で、中島敦の『マリヤン』という短編を読んでいました。マリヤンとは女性の名前で、彼女はパラオの島民です。パラオと聞くといまではダイビングスポットや観光地として有名ですが、私の記憶では、10年ほど前はそれほど多くの人に知られていなかったと思います。
『マリヤン』を読み進めていくうちに、パラオはかつて「南洋群島」と呼ばれ、群島の中にはサイパンやトラック島も含まれており、かつて日本が統治していたと知りました。小説にはパラオに南洋神社があったこと。また島民が「内地」の女学校に通っていたことが描写されていました。
日本がニューギニアをはじめ太平洋のはるか南まで戦線を広げたのは知っていました。けれども、ただ戦争を行っただけでなく、島々を統治し、日本語教育を行っていた。そして日本語を話せる人たちがいたし、いまもいると知り、衝撃を受けました。これは会いに行かないといけない。そう思ったのがきっかけです。
はい。個人的な興味で行きました。ですからコーディネーターもおらず、とにかく現地を歩き、人に会う。そういう進め方で話を聞いていきました。
日本人が経営する商店では、たとえ相手が子供で、また求めた商品が安いものであっても「何をお探しでございますか」といった丁寧な態度で接してくれた。そういう体験から日本人に好印象をもっている島民は多いとは思います。
また教育が彼らに大きな影響を与えたと思います。日本式の鍛錬が導入され、教師は生徒が怠けたり、遅刻したり、宿題をしないとビンタを張るといった体罰を加えました。厳しくはあったけれど、「全部自分のためになっている」という人もいました。
しかし、だからパラオやサイパンの人たちを「親日的」と言ってしまう無邪気さにひっかかりを覚えてしまいます。私が話を聞いた中にブランコさんというチャモロ人の男性がいました。彼はサイパン実業学校というほとんど日本人しか進学しない学校で学び、卒業後は大企業の南洋興発で働くなど、日本社会に深くコミットした稀有な人です。
日本人が島民に教育を施したといっても、多くの日本人にとっての島民はといえば、公学校である程度の日本語を学び、その後は日本人家庭の使用人として働いてくれたらいい。そういう存在でした。
だからブランコさんのように成績のよい人がどうなったかというと、日本人を差し置いて優等生として実業高校を卒業することに反感をもたれました。実際、島民が政府の仕事に就くと日本人よりも低い給料しか支払われないといった差別もありました。
彼はこう言いました。「アメリカと日本が戦争して家壊したりしてわれわれを人形みたいに弄んだ。辛かったよ、涙が出るよ」。
アイデンティティを二分されたまま成長せざるを得なかった人にとって、戦争の時代や植民地的な状況というのはとりわけ過酷な経験をもたらすような気がします。ブランコさんの場合も、他の島民よりも日本人と深く関わったことで、一般的な島民とのギャップがあると感じました。
そして日本の統治時代を知る人と戦後のアメリカの統治時代との世代でもギャップがあります。先述したような店での接客を当たり前だと思っていた世代は、戦後のアメリカ的な商売の対応を無作法に感じています。しかし、もはや島民の多くがアメリカナイズされているため、そういう感じ方をする戦中世代のほうが特異な存在になっています。
特に決めていることはありませんね。私はあまり質問をできないのです。というよりも、相手の話のあいまに質問をはさめないままにとにかく聞いてしまいます。あとから「あれも聞いておけばよかった」ということもしばしばです。
他の人が既にやっていたり、あるいはやってくれそうならその人に任せてもいいかなと思います。でも、先行者のいないテーマは誰も取り上げず、話を聞かないうちに当事者が亡くなってしまいます。そういうときは自分がいま動かないといけないと思ってとりかかります。
私は見たくないことであっても直面したいです。知らなくていいことは何もない。しんどい事実であっても、そこから学ぶべきことがあります。知りたくないことほど学ぶことは多い気がします。
そうですね。振り返ると、私は届きにくい声、あるいは届いてこない声に耳を傾けたいのかなと思います。そういう人たちは、この世界で何かと何かの狭間に生きています。
最初はたんに好奇心です。たとえば川島芳子なら小学生のとき、テレビで彼女の人生が取り上げられていて、「どうして男装していたんだろう」と素朴な興味をもち、翌日から図書館へ行くなどして調べ始めました。
『原発労働者』について言えば、2010年にフォトジャーナリスト、樋口健二さんの『闇に消される原発被曝者』を読んで、なんとなく「私がこの仕事を引き継いでやらないといけない」と思ってのことでした。
話を聞くと、現場でのヒューマンエラーはしょっちゅうで、落下したりして怪我しても労災にならないように隠される。原発には、労働現場として一番ひどい状況があると思いました。「そういう働き方はひどいよね」という共通認識が世の中に広がれば、たとえ小さな積み重ねであっても変わる可能性もあるかなと思います。
本を読んだ人の中には、「もっと筆者の見解や分析が知りたい」と感じる人もいるみたいです。私としては、「ただ伝える人」でいいのです。入っていなかったマイクのスイッチを入れる。そんな感じです。見えにくくなっているところに光を当てたい。届かない声だったものを届けられるようにしたい。
いわゆる社会的なテーマを歌っていますが、なんでもかんでも社会的な問題が歌になるかというとそうではありません。自分の心が動く、衝撃を受けたものが歌になって出てくる感じです。
もともと高校1年までオペラ歌手になろうと思っていて、声楽家に習い始めたり、それに並行してミュージカルをつくったりしていたので、やりたいことをやってきたと思います。
大学に入ってからは、ジャズバンドを始め、そのために曲をつくっていたけれど、バンドだとどうもしっくりこない曲が生まれてきて、ひとりでやったほうがいいなと思ってソロに移行しました。大学では星を見るサークルに入っていたのですが、その先輩と曲をつくり、いくつかデモテープを音楽会社に送ったら返事があってデビューという流れになりました。
はい。ただ音楽を続けるか大学で研究するか迷った時期はありました。知りたいことを掘り下げる研究にも魅力を感じていました。けれども、西岡恭蔵さんの曲をカバーしてみて衝撃を受けたのと、修論を書いていて、つらかったので「この道は向かないかも」と思って音楽に決めました。
音楽はつらくはないんです。曲もやろうとしなくてもできてしまいます。曲はつくるものではなく、出てくるものが形になる。そんな感じです。
勉強にしても音楽にしても、なにかの型をやればうまくいくわけでもない。そういうやり方が合う人はいるとは思います。ただそれがすべてではない。
若いうちは気になることがあったらとりあえずやってみたらいいと思います。自分で工夫したり、型を参考にせず自己流でやっていくのもいい。自己流のほうがうまくいくこともあると思います。
[文責・尹雄大 撮影・黒澤めぐみ]
Saho Terao
寺尾 紗穂
シンガー・ソングライター、作家。
1981年生まれ。東京都立大学卒。東京大学大学院総合文化研究科修士課程終了。中学の頃より楽曲制作を始め、大学時にバンドを結成。並行してソロ活動も行う。2006年にミニ・アルバム『愛し、日々』を発表。翌年、アルバム『御身 onmi』でメジャー・デビューを果たす。ピアノ弾き語りによるライヴやCMソング、企画アルバムのほか、エッセイストとしても活躍。2014年は映画『0.5ミリ』主題歌に「残照」を提供、翌2015年には7作目となるアルバム『楕円の夢』をリリース。主な著書に『南洋と私』『原発労働者』『評伝 川島芳子』など。
オフィシャルサイト:http://www.sahoterao.com/
【寺尾 紗穂さんの本】
『南洋と私』
(リトル・モア)
『原発労働者』
(講談社)
『評伝 川島芳子:男装のエトランゼ』
(文藝春秋)