一応、短期掲載
(相手次第。 さぁ貴記事でおっしゃったとおりにスルーできますか?
既にそうでなくなっていますよね?)
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とあるネットブログ。
なにやらネット世界がどうたら、と何らかの「他者批評」をおこなっておられます。
ご高説。
が、
「目くじら立てる気にもならない」
のなら、わざわざそんな記事自体、要らないよね?
。。。。。
が、問題はここ。
曰く、 『私、反響いらないから~』 …と自らのコメント欄を開かない言い訳をしている。
笑止。
「開く/開かない」 は二の次ですが、
批評する際(←ここ重要)の
伴う責任を勘違いなさっている。
あなた(minamin氏)の「反響いらないから~」なんて自分視点は、およそ関係ないと思います。
あなたが「いる」とか「いらない」の問題ではなく、
他人に言及する(この場合、ブログ村創価を評したであろうminamin氏流の主観)場合、
やはり異論やクレームを受け付ける窓口を設けるのがスジだと思うのですが、いかがでしょう?
(↑ここ加筆部分)
繰り返しになりますが、
そうやって「他者のことへ言及」しているあなた。
コメ欄は、 「あなたの満足」 (反響いらないから~、という自分視点) のために開くものではありません。
自分の出来事ではなく、
“他者”へ言及、=「批評」、 (何も、批評とは批判だけを指すものではないが)
をおこなっている時点で、 その自分への批評(コメント欄の開示)はセットです。あたり前だと思いますが。
それを、 他者、あるいは他人の行動・考えに対し、
何らかの公開上の批評をおこなっている事実があるくせに、
自分が 『反響いらない~』という「言い訳け」は、
少なくとも「コメント欄を開かない」という理由にはなりません。
広く他者へ言及しておきながら、
異論を挟む窓口(クレーム、意見の窓口)の作成を拒む----
これは、ただの卑怯者でしかありません。
いわゆる、「窓口」を閉ざすのなら、
ご自分のことだけを書くべきです。
。。。
せっかく、なかなかいいブログだと感じた当初より、半年。
いつしか、「自分」の枠を離れ、
だんだんと自分以外(=他者)に踏み込んでこられた模様。
実は当初の、あの心地いいスタイルを「さぁ貫けるかなぁ…」と見守ってきた。
が、最近変化の兆しに懸念を抱いていたのは事実で、ちょっと残念だった。
今、そのように
ネットがどうたら… と言い出すなら、
そうして 「変化」を遂げてきたご自分 に気づくことでしょう。
ネットの魔力って、その「あなたの半年」を見ればよくわかる。
それほど足を突っ込んでいない今、 今それに気付けばそれで良し。
私や、その他のいろんな事例を
あなたが「なぞる」、その前に。
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追記。
コメ欄を開いたそうです。
「ドヤ顔」と、「嫌味」に、思わず笑わせてもらいました。(失礼)
でも---
「私はネットに腹を立てない」というなら、
静かにコメ欄を開いておけばよいのではありませんか?
◇
が、この方も大河さんと同様、
話のポイントを外すのがお得意のようです。
開く/開かない の話はもとより、
コメを開かない「理由」に
あなたは何を挙げておられたか?
そこに私が、「ちょっとそれは違うんじゃない?」 と申し上げたのです。
一方、
大河さんが、しきりに公明はがんばっているだとか、先生の思想はこうだとか、そういうのばかり反論なさっているが
それもまったく論点が違う。
私が諫言したのは、
あなた(大河さん)が、安保法制に関して、
一政治課題を超え、
まるで公明党の政策を「教義」のように捉えた (これを私は「まるで公明教」と評した) 主張をなさっていたことへの抗議だった。
しかし、その後の大河さんの脱線ぶりはもうメチャクチャ(←クリック)だったのは過去記事で述べたとおり。
これらに共通することは、
大河さんと同様、
話のポイントを外して、 うだうだと並べていること。 (しかも長い)
minamin さん、
あなたは、多くのネットブロガーに共通する問題へ
いらぬケンカを売ってきたということを
ご自分の元記事から、よく読み取ることです。
なお、
私は最近、他者への「批評」をやめたつもり。
名前を挙げて申し訳ないが、あ○ひさんの路線を今後一切やるつもりはない。
(むしろ今までと真逆かもしれないが、
それぞれ皆さんが楽しく執筆しているブログライフにケチをつけることへ、対峙したい。)
したがって、今回のように
「批評をおこなっている人」に対し、「それは違うよ」ということはある。
今回のように、ご自分の主観で、自分以外のブロガーに対し(特定の人物であろうとなかろうと)、
やれ「のめりこんでいる」だの、
そうしてご自分が批評をなさっておきながら、
『他人の評価(コメ欄)いらなーい』(minamin氏)という理屈はおかしいからです。
それに、
それを言われ、カチンときたからといって ズレた話で斬りかかってきたのだから世話がない。
ご自分で言ってきたソレも、 結局は 「ご自分もあてはまっていた」 のだから
ご主張が総崩れ状態。
さて、繰り返しますが 一応「短期掲載」と考えております。
ですが相手次第。
さぁ貴記事でおっしゃったとおりに、たかがネットだからって冷静でできますか?
既にそうでなくなっていますよね?
クリック応援、ありがとうございます。
短期掲載。
※ぶっちゃけ、「普通」の記事を既に数日前から用意できている。 なかなか出せないでいる。困ったものだ。
もう少し、もう少し…
なかなか夜が明けないな(笑)
すこぶる元気は、元気。 順調。
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イプシロン 生蔵さん、こんにちは。
『広布のためにできること』というなんとも堂々としたタイトルで、「暇つぶし」をしていると仰る。人からどう見られるかばかり気にしても仕方ないのですが、真面目に信心している人からしたら、「え?……」って感じに見えますよね。
一言でいえば無自覚(無責任)。
その姿勢は、自分は言いたいことは言うけど、ご意見無用! というアンフェアであることは明白ですよね。そういうこともわからない人といつまでも関わっていても損をするだけだと思いますよ。
ネットは開かれた空間であり、公共性がある。公共の場で批判するなら反論されるのを覚悟せよ。またその窓口を設けよなどと言うのは、常識中の常識です。匿名であるから構わない。違いますね。匿名であっても批判の対象が断定できる状況であれば、匿名性すら維持されていないということもおわかりにならないのでしょうね。
それも自覚できない人と関わることは避けたほうが賢明かと思います。
ネットは仮想。そういう人も愚かですよね。文字が心であるなら、文字はその心に必ず影響するわけで、心に影響すれば、色心不二でありますから、身にも必ず影響するわけです。
結局のところ、ネットは「暇つぶし」という思想が自分の信心を自分で食い破らせるのだということに気づかれれば幸いですが、どうなんでしょうね……。
あいも変わらずネットと現実を区別する思考しかできない人達ばかりで、悲しくもなります。
ともあれ、お体に障らない程度にされてくださいまし。
あくまでも個人的な意見ですので、このコメもあまり気にしないでください。
イプシロン つまらない追伸です。
師匠って厳しいんですよね。
戦いを「逃げるな、避けるな」と仰っています。
相手と向き合う。これは本当に根気もいりますし忍耐力もいるんですよね。相手と向き合う=自分の瞋恚や善意と向き合うでもあるわけで。その辺の見極めが難しいですよね。
近頃は何でも怨嫉だと言う風潮もあるようですが、そういう短絡的見方がまず危険ですよね。
そう決めてしまったら、そうとしか見えないですからね。いつでも無色透明で。いつでもスポンジのようにやわらかく。
言うは易く……なんちゃらですけどね。
言われれば誰だってカチンとはきますよね。人間ですからね。
それは理解できるんですよ。
問題はそこからなんだと思うのです。
そこで自分と向き合って「ああ……反省すべき部分があったかも。ありがたいなぁ」そう思えたら勝ちですよね。
戸田先生も、相手のことを「天晴れだ!」と思えたら勝ちであるなんて仰っていますね。
問題はその「天晴れ」を必死に探しまくっても見つけられない相手(自分のものの捉え方)に出会ったときですよね……。
僭越ながら。
思いのままに綴ってみました。
駄文、独り言、失礼しました。
『広布のためにできること』というなんとも堂々としたタイトルで、「暇つぶし」をしていると仰る。人からどう見られるかばかり気にしても仕方ないのですが、真面目に信心している人からしたら、「え?……」って感じに見えますよね。
一言でいえば無自覚(無責任)。
その姿勢は、自分は言いたいことは言うけど、ご意見無用! というアンフェアであることは明白ですよね。そういうこともわからない人といつまでも関わっていても損をするだけだと思いますよ。
ネットは開かれた空間であり、公共性がある。公共の場で批判するなら反論されるのを覚悟せよ。またその窓口を設けよなどと言うのは、常識中の常識です。匿名であるから構わない。違いますね。匿名であっても批判の対象が断定できる状況であれば、匿名性すら維持されていないということもおわかりにならないのでしょうね。
それも自覚できない人と関わることは避けたほうが賢明かと思います。
ネットは仮想。そういう人も愚かですよね。文字が心であるなら、文字はその心に必ず影響するわけで、心に影響すれば、色心不二でありますから、身にも必ず影響するわけです。
結局のところ、ネットは「暇つぶし」という思想が自分の信心を自分で食い破らせるのだということに気づかれれば幸いですが、どうなんでしょうね……。
あいも変わらずネットと現実を区別する思考しかできない人達ばかりで、悲しくもなります。
ともあれ、お体に障らない程度にされてくださいまし。
あくまでも個人的な意見ですので、このコメもあまり気にしないでください。
師匠って厳しいんですよね。
戦いを「逃げるな、避けるな」と仰っています。
相手と向き合う。これは本当に根気もいりますし忍耐力もいるんですよね。相手と向き合う=自分の瞋恚や善意と向き合うでもあるわけで。その辺の見極めが難しいですよね。
近頃は何でも怨嫉だと言う風潮もあるようですが、そういう短絡的見方がまず危険ですよね。
そう決めてしまったら、そうとしか見えないですからね。いつでも無色透明で。いつでもスポンジのようにやわらかく。
言うは易く……なんちゃらですけどね。
言われれば誰だってカチンとはきますよね。人間ですからね。
それは理解できるんですよ。
問題はそこからなんだと思うのです。
そこで自分と向き合って「ああ……反省すべき部分があったかも。ありがたいなぁ」そう思えたら勝ちですよね。
戸田先生も、相手のことを「天晴れだ!」と思えたら勝ちであるなんて仰っていますね。
問題はその「天晴れ」を必死に探しまくっても見つけられない相手(自分のものの捉え方)に出会ったときですよね……。
僭越ながら。
思いのままに綴ってみました。
駄文、独り言、失礼しました。