日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

初代 團十郎?!

先日 年2回開催される会社のOB会の二次会で、退職したのに現役の若者を相手にして、自分の時代の仕事のやり方を時折 講義しているという元役員がいるという話しを聞いたのですが 「う~ん、老害」 だと思ってしまいましたよー

江戸の隠居大名の柳沢信鴻は、花見・月見・菊見・蛍狩りや芝居見物と、年に80回も外出して江戸の町や近郊散策を楽しんだと 『宴遊日記』 に書いています。

        出雲の阿国 阿国

江戸の芝居 歌舞伎の起源といわれている出雲の阿国がはじめた 「カブキ踊り」 は、女が男装し男が女装をして、舞踏に寸劇が加わったものだったといわれています。

女歌舞伎が完全に江戸から消えたのは、寛永16年(1639)とされ、その後若い男性が演じる 「若衆歌舞伎」 が流行し、慶安4年(1651)に若衆歌舞伎も禁止されます。

女歌舞伎は遊女歌舞伎ともいわれ、売春に結びついたため幕府が取り締まりますが、若衆歌舞伎も男色の売春に結び付き禁止されたのです。そこで大人の男が演じる 「野郎歌舞伎」 に転換し現代の歌舞伎に繋がりますねぇ。

上方は 「和事」 江戸は 「荒事」 といわれ、和事は初代 坂田藤十郎が近松門左衛門と組み創始したといわれています。

延宝6年(1678)の 『夕霧名残の正月』 に於いて、遊郭遊びで身を持ち崩した若旦那の落ちぶれた 「やつし」 を確立し、男女のやりとりの話術 「口説」 と情事の 「濡れ場」 の三要素を柱とする芝居を和事として、上方歌舞伎の売りとなりますよ。

近松門左衛門が出て来たので 近松が書いた 『出世景清』 以前が古浄瑠璃であることは、過去に江戸検で出題されていますので覚えておいて下さいね。

   初代團十郎不破     初代團十郎竹抜き五郎図 
     團十郎「遊女論」の不破伴左衛門         竹抜き五郎図

初代團十郎が創始したといわれる 「荒事」 は、團十郎が登場する前から荒々しい武者が活躍するアクションもので 「荒武者事」というジャンルが江戸歌舞伎に確立されており、この荒武者事と金平浄瑠璃のヒーローものという要素を掛け合わせたのが、團十郎の 「荒事」 だとの説もあります。

元禄16年(1703)11月の地震による大火で、江戸四座(この頃は山村座は健在)は焼失し、翌年正月から次々再建され、最後に市村座が2月に開場し、初代 團十郎と初代 生嶋新五郎が出演しました。

開場から7日目の2月19日観客の前で、團十郎は新五郎の門人で端役の生嶋半六に刺殺されます。

舞台上、舞台から楽屋に向かう途中の廊下、花道に入る処、楽屋と刺された場所は判然としていません。

更に、動機も團十郎が半六の不倫を注意したとか、半六が養子の嫁に横恋慕したのを注意されたとか、お金が絡んでいるとか、團十郎の態度が横柄で不遜であったからとか、これもはっきりとは判らないそうですよ。

初代の俳号は才牛、三升屋兵庫の名前で戯曲も50作ほど書いたといわれています。

因みに5代目 團十郎の狂歌名は 「花道つらね」 も江戸検の過去問に出ています。








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小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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