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ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

【寄稿】140文字の秘めたる能力

寄稿 インターネット

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せまひろかん」というブログを運営しているさよたまと申す者です。

 今回、寄稿させていただくにあたり話題の140文字について書かせていただきます。

 

 私は立派なTwitter中毒者だと自負している。誇るようなことではないけれど、Twitterが無ければ情報を得る速度が極端に遅くなっていたことは確かだろう。

 通勤通学時、仕事や授業の合間に、寝る前までタイムラインに張り付ている中毒者は多いと思う。第一の情報源がTwitterという人も増えているのでは?


 Twitterが140文字制限を撤廃するという情報が出回り始めている。140文字は少ないようで、多い絶妙な文字数だと考えている。


 なぜこれほどTwitterが定着したのか個人的に考えたが、やはり「手軽」なのが理由だろう。

 140文字で気楽に自分の考えをいつでも、どこからでも投稿できる。メール、LINEとも違い数十、数百、果てには数万の人間が見て、そして反応してくれるのだ。

 反応が多ければ多いほど、ちょっぴりだが有名人になれた気分を味わえる。こんなサービスは他にないだろう。ニコ生やYoutubeで動画を配信しても地道にファンを増やさないと再生数も伸びない(最初から炎上覚悟であれば話は別だけど)。

 これらのサービスとは違い、一気に拡散する可能性を秘めている。そんな夢にも悪夢にもなる魅力を秘めているのがTwitterだ。

 

 

140文字という呪縛

 140文字という制限には魔物が潜んでいる。巧みに使えば起承転結を盛り込むことが出来るし、それで相手を納得させることすらできてしまう。

 140字で出来るわけがねえよ! とお思いかもしれないが、Twitterを見ていて感心するつぶやきを目にする経験はあると思う。言葉を巧みに操る人なら、140文字は十分な分量なのだろう。

 140文字を必ず記入する必要はないので、100文字ほどで相手を納得させるテクニシャンも存在する。簡潔に自分の考えを伝え、それが納得できる内容だと「この人頭いいな」って思えるわけです。

 

 皆が短文を操れるわけではない。文字の取捨選択に囚われすぎた挙句に訳の分からない文章が完成することもある。自分では「してやったり」のつもりでも、相手には全然伝わらなくて弁明する羽目に陥る人も稀にいるしね。

 140文字というのは情報や考えを「伝えられるようで伝えられない」

 同時に「伝えられないようで伝えられる」絶妙な位置づけなのだと考える。

 

 そして140文字への慣れというのが存在している。これが140文字における最大最強の魔物かもしれない。

 140文字。人によっては相手を納得させるだけの文章を執筆することができる文字数。だから、短文でも物事を理解した気分になれてしまう危険性をはらんでいる。

 

 ネットのニュースやブログを見て「うわ、くそなげー・・・。読む気無くした」という経験は無いだろうか。 タイトルやでか文字くんだけを見て満足してしまうことは、少なからずあると思う。Twitterを見た後なら尚更だ。140文字で満足していた、納得していたのに、1000文字の文章が現れたら踵を返してしまいたくなるだろう。

 この記事のような長文が目に飛び込んでくると、ブラウザを閉じてしまいたくなる病を患ってしまうのだ。

 140文字の呪縛は恐ろしい。140文字に慣れすぎると「長文」を読むことが億劫になる。

「もっと短く簡潔にできねーのかよ!」と言いたくなるのだ。それほど、140文字は手軽で、そして人によっては納得させられる文章を記してくるから尚更である。

 

 書籍や新聞に目を通す習慣が無ければ、長文って本当に辛いものだよ。Twitterばかりにハマっていると、大げさな表現だけど脳がやられてしまうんじゃないのかなと。

 絶妙な文字数だからこそ「思考」を矮小化させるにはぴったりなのだろう。

 

140文字の魅力

 小学校の課題で頻出した感想文を思い出してほしい。

 感想文の執筆には200か400字詰めの原稿用紙が使用される。最低限、一枚分は書き上げる規定を課されることが多い。

 書き上げるために何分も、何十分も考え抜き「血反吐を吐く思い」でようやく完成させた経験を持つ人は多いはず。

 おかげで「感想文なんか書きたくねーんだよ!」と感想文恐怖症に陥る人もいたんじゃないのかな?

 

 でも冷静に考えてみようぜ。原稿用紙はたった200文字か400文字のマスしかないんだぜ? Twitterは140文字だぜ? あれ? おかしくね?Twitterで140文字書くのは苦にならないのに、感想文一枚でなんであれほど苦労していたんだよ。 あれ? あれ?

 

 200字詰め原稿用紙はTwitterを2回投稿した分量の文字しかない。400字詰めなら2回と少しの分量になる。

 そう考えるとTwitterがどれほど異様なのかがわかる。常日頃からつぶやきを連投している人も多いはずだ。頭に浮かんだ考えをなんとなく投稿しただけで、400や500文字に膨れてしまう人もいるだろう。

 かつてあれほど頭を悩ませた感想文。

 今では「たった200か400文字しかねーのかよ!ペッ!」と余裕で書き上げられる人も多いのでは。

 Twitterを3回投稿すれば400文字を簡単に達成できる。その事実を踏まえると、それほど多い文字数には思えなくなるのだ。不思議ですね。

 感想文とTwitterは別物だろ! と言われるかもしれないが、映画や漫画を見た後って、200文字ぐらいの感想を(内容の良し悪しは別として)無自覚の内に書いている人は多いはず。

 そもそも感想文というのは「やりたくない」のに強制的に書かされるから悩むわけ。それでも200文字だったら、余裕で討伐できそうな気はしませんか?

 

 かつてあれほど恐れた原稿用紙という存在。今なら魔人ブウを片足で弄んだベジット並の余裕さでやっつけられるはずだ。

 だって200か400文字しかないんだよ! Twitterに3回呟くのと同じ分量なんだよ! そう考えたら余裕でしょ!?

 

 Twitterは物事を簡潔に記す訓練に向いていると思う。

 140文字で相手を納得させうるだけの文章を記すことが出来れば、討論の場で生かすこともできるはず。

 会議や討論の場で、意見を長々と垂れ流されたら辟易するし、最悪眠気が襲ってくる。

 簡潔に物事を伝えられれば、時間の有効活用にも繋がり、相手から「あ、こいつ頭いいな」と思わせることが出来る

 普段から意識して思考を140文字にまとめていけば、適切な言葉を選ぶ能力が向上するだろう。意識をすれば語彙力だって向上する可能性もある。

 日ごろから訓練をしておけば、就活で志望動機を記すときに活きてくるだろうし、社会においても会議やプレゼンなどで大いに活躍してくれるだろう。

 

 140文字というのは非常に優れた絶妙な分量なんですよ。

 

文字を記そう!

 活字離れが叫ばれているけれど(個人的な推論として)文字に触れる、記す頻度は昔に比べると増えていると思う。ネットなんて基本的に映像(画像)か文章のどちらかだ。SNSサービスというのは文字でのやりとりが基本となっている。LINEやTwitterの利用率は高いし、そもそもSNS以前からメールで文字のやりとりを行ってきた。パソコンや携帯(スマホ)に親しんでいる若者が文字に触れる頻度はかなり高いと思うよ。

 

 それなのに、文章が上手くならない、長文が読めなくなるといった現象が起きるのは「意識」していないからだと思う。

 頭に浮かんだ言葉を推敲せずに書き記すだけでは、文章力を高める訓練にはならない。

 短文でのやり取りが当たり前になると、長文が読みづらくなる。

 意識しないと悪手ばかりが自分を襲ってしまうのだ。

 

 だから意識するべきだと思う。意識高い系ではないけれど。

 140文字で相手を納得させるだけの文章を記す訓練をしつつ、同時にブログなどで長文を書く訓練もしておくといいかもしれない。社会で生きていくには簡潔に記す能力と、長文で読みやすい文章を記す能力の両方が必要になるしね。報告書が140文字で収まることはないし、140文字で収まったら記した人を神のようにあがめるだろう。

 

 意識的にTwitterやLINEの短文以外に目を通すことも忘れない方がいい。ニュースサイトや新聞、書籍に目を通すのでもいいだろう。長文を読んでいれば、どこかで長文を読まなければならない場合にもすぐに読み取れるようになっているし、長文を組み立てるための道筋をなんとなくでも理解できるだろうしね。

 

 Twitterは情報取集にうってつけのツール。でも思考を「短絡化」させる作用を持ち合せている。同時に「簡略化」を訓練できる側面を持つ。

 その短絡化を避けるために、日夜意識して文章に触れて、記していくことが大事だと思う。

 このように長文を記す理由も思考を短絡にさせないため。

 思考力を鍛える意味合いもある。

 

 文章っていうのは本当に素敵ですよね。

 


 

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