鳩山一郎の改憲論
1952(昭和27)年9月12日、鳩山一郎は日比谷公会堂で政界復帰の第一声の演説を行った。憲法改正と、ソ連との国交回復交渉を訴えたのである。
――憲法はいうまでもなく独立国が拠って立つ根本法である。ところが現在の憲法は占拠下に占領軍の手によってつくられたものであり、しかも非武装が前提になっている。平和を追求するためには自衛の軍備を持つ必要がある。
吉田茂首相は戦力は持たないと言っているが、保安隊(後の自衛隊)がある。これはあきらかに戦力であり、この大矛盾を解消するには憲法改正が必要である――。
これが鳩山の強い主張であった。吉田茂首相はその矛盾をごまかしているのだというわけだ。
さらに、東西冷戦が厳しくなってきて、米ソ戦争が始まれば、このままでは日本は戦場になってしまう。ソ連はアメリカの基地がある日本を攻撃する。だから、ソ連との国交をなるべく早く正常化すべきだというのである。
当時シベリアには4万人以上の日本人が抑留されていた。このことも重大な問題になっていた。
鳩山一郎と吉田茂の食い違う「記憶」
ところで鳩山一郎は戦前から穏健派の政治家であった。そして戦後に自由党(結党時は日本自由党)を結成してその総裁となり、敗戦の翌年1946(昭和21)年4月10日の第1回総選挙で、自由党は141議席(進歩党94、社会党93)を獲得して第1党となった。
そこで鳩山が首相になることになったのだが、その直前にGHQが鳩山は公職追放令に該当すると政府に通達した。
鳩山が戦前に自著でヒトラーを礼賛したことや、文相時代に京都帝国大学の滝川幸辰(ゆきとき)教授の辞任要求をしたことなどが原因だとされたが、鳩山自身は、総選挙を前にして厳しい共産主義批判をしたことがソ連の横槍となり、GHQに睨まれたと捉えていたようだ。
そして、幣原喜重郎内閣の外相だった吉田茂を口説いて首相にした。鳩山は、その事情を『鳩山一郎回顧録』(文藝春秋新社)で次のように書いている。
「吉田君が総裁を引受けることになった時、四ヵ条かの書いたものを向うから持って来た。この書いたものはその後何うなったか、紛失してしまったが、あの時二人でこんな話をした。自分は政党のことは全く関係がなくて分らんから、政党の人事については一切君の方でやってくれなきゃ困る。政党は一切君の力で押えてくれ。但し内閣の人事については干渉してくれるな――とこう吉田君が私に話した。
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