今回の国史教科書国定化論争は、どのように結論が出るにせよ、それで終わりではない。本当にやるべきことは、その時から始まる。まず韓国近現代史の認識に関して、これまで問題になってきた中心的な争点をめぐって意見を広範囲に集約する、大規模かつ連続した公聴会を開催しなければならない。1948年8月15日の大韓民国発足をどのように表現するのか、48年12月の国連総会で「唯一の合法政府」と承認された範囲はどこまでか、韓国社会が志向するのは「自由民主主義」なのか「民主主義」なのか-といった点を議題にして、激論を繰り広げなければならない。このとき、いかなる主張も既得権なしに事実と論理に立脚し、率直な締めくくりの討論を経て結論を引き出すことが必要だ。
一部には、国史教科書が国定になったり検定基準が強化されたりすると、政権が変わるたびに教科書が違うものになって混乱が生じる、という主張がある。しかしこれは杞憂(きゆう)だ。今の韓国に必要なのは、先進国のように、政権の性格とは関係なしに持続する歴史教育の枠組みを作ることだ。進歩左派政権になっても崩れない「韓国の歴史認識」を定立すべきだ。
「国定か、検定か」という枝葉に心を奪われて「歴史教育の正常化」という実を忘れてはならない。目標は、韓国の正統性と国民の自負を歴史的事実に立脚して教えることだ。全ての判断は、その目標に最も近く、最も早く到達できる方法は何なのかによって下されるべきだ。