【コラム】韓国史教科書、「国定か検定か」よりも重要なこと

 韓国史の教科書を、今のように検定でやるのか、国定に変えるのかをめぐって、論争が続いている。少し前までは、教育課程の改編に合わせて国定に変えると思われたが、今では、検定を維持しつつ基準を強化する案も並行して検討しているという。2003年に韓国現代史教科書の左派偏向問題が起こって以降、韓国社会の大きな頭痛の種になってしまった歴史教育をめぐり、「最後のカード」を切ったはずの韓国政府・与党が、決定的瞬間にたじろいだ格好になる。

 原則論的に言えば、自由主義社会において教科書は、「多様性の確保」という側面から国定よりも検定の方が望ましい。韓国の歴史教育の現実に批判的な人でも、国史教科書国定化への支持をためらうのは、こういう理由からだ。だがそれにもかかわらず、国史教科書国定化が少なからぬ共感を得ているのは、「苦肉の策」か非常措置でも講じなければならないほどに状況は深刻だと考えられるからだ。韓国近現代史教育の左派偏向を正そうとする動きは、08年の「代案教科書」編さんで中間的な結実を見せ、13年に教学社の教科書が出た。しかし、せっかく作った教科書が左派の組織的かつ執拗(しつよう)な弾圧で徹底的に無力化される様子から、韓国の歴史教育は自由主義の原理が全く働いていない、完全に偏った運動の場だという苦い現実が明らかになった。

 そもそも、歴史教育において教科書が国定か検定かというのは、本質的なことではない。発行の形式よりも、その中に書かれる内容の方が重要だ。「国定化反対」という名分論を突破する自信が政府・与党にないなら、検定基準の強化も現実的な案になり得る。しかしその場合、内容的な充実度をどのように確保するか、が鍵になるだろう。検定基準を強化すると言っておきながら、きちんとした後続措置を取らない場合、状況はむしろ悪化しかねない。

李先敏(イ・ソンミン)世論読者部長
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