太平洋戦争末期、沖縄から日向市東郷町に学童疎開した人たちが9日、疎開先の坪谷小学校(児童18人)を訪れ、子どもたちや当時の同級生らと交流した。戦後70年にちなんだ旅で、全員が80歳を超えたメンバー9人はひもじさやさびしさに耐えた思い出を語り、平和の尊さを伝えていた。

 坪谷小の校庭に立つ記念碑によると、1944(昭和19)年9月、地上戦を避けて普天間、宜野湾の両国民学校の児童や教師65人が坪谷国民学校に疎開してきた。児童たちは46年10月に沖縄へ戻るまでの約2年間、親元を離れて集団生活を送った。

 今回訪れたのは、疎開した人たちでつくる「坪谷会」のメンバー。一行は坪谷小に着くと、当時とほぼ同じ場所に立つ校舎や運動場をなつかしそうに眺めた。一行の大半は同窓会などで一度は坪谷を再訪しているが、戦後初めて訪れた喜舎場(きしゃば)節子さん(83)は「運動会でビリになったことなど、いろいろな思い出がよみがえりました」。