2015-10-08 11:19:45

LGBT差別を許容したい

テーマ:人付き合い
LGBT(エル・ジー・ビー・ティー)というキーワードが最近よく話題になる。
LGBTとは、次の人たちを指すことばだ。
・女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)
・男性同性愛者(ゲイ、Gay)
・両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)
・性同一性障害を含む性別越境者など(トランスジェンダー、Transgender)

LGBT差別反対、というメッセージを発する企業も多い。
しかしここであえて、LGBT差別を許容したい、と僕は言いたい。
ただし誤解しないでほしい、僕はLGBT差別に寛容ではない。
許容するが寛容ではない。
どういうことか、少し長くなるが説明したい。

僕は大学時代にITベンチャー企業で働いた。
2000年前後のころだ。
大学を休学し正社員として1年半ほど働いた。
今の世の中、ITベンチャーで働く人は標準的な日本人から少しはみ出している人が多いが、
あの頃はもっとはみ出していたように思う。
世の中の王道にはまることができない、そこからこぼれ落ちた人たちが集う場所だった。
その2000年のときのITベンチャーの同窓会が最近あった。
会社は既にもうないが、そのときのつながりは今でもずっと続いている。
同窓会では懐かしい思い出話に花を咲かせ、とても楽しい時間を過ごしたのだが、
ある人がニューヨークの話をした。

「ニューヨークに行ったときに思ったんだけれどさ、ここは本当に生きていくのが楽だと思ったんだ」

ニューヨークに行ったことのない僕は、それはなぜですか、と尋ねた。

「ニューヨークがすごいのは、ジャップとかイエローとか、人種差別する人がいないからじゃない。
 人種差別することも一つの個性だと認められていることがすごいんだ」


わかるような、わからないような話だった。
そのはみ出している元同僚、正確には元先輩は、続けて言った。

「ただし、人種差別するような人はそれ相応の場所でしか生きられない。いわゆるエクセレントカンパニーで昇進していくといった人生は難しい。そういったリスクリターンも含めて、あるがままを受け入れてくれる。それがニューヨークのすごさだ」


僕はその話を聞いて、学生時代に読んだ落合信彦の本「アメリカよ、あめりかよ」の話を思い出した。

・・・・・・・・・・
あるときアメリカで、ネオナチの男が、「ユダヤ人は全員収容所送りにすべきだ」と言った。
当然物議をかもし、裁判に訴えられた。
その男の弁護を買って出たのが、なんとユダヤ人の腕利き弁護士だった。
やがてその男と弁護士は裁判で勝った。
判決後のメディアインタビューで、男は弁護士にこう言った。
「今回勝たしてくれたことについて、お前に大変感謝している。
 しかしオレはお前やその家族が収容所に送られるべきだと今でも思っている」
すると弁護士はその男にこう言った。
「あなたのその意見は心から軽蔑する。
 しかしあなたがそれを言う権利は、命をかけて守る。」

・・・・・・・・・・

以上はうろ覚えなので細部は間違っているかもだが、
最近、元ネタがあるのだと教えてもらった。

ヴォルテール
 “I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it”
(私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る)



僕は2007年にレアジョブ英会話というフィリピン系オンライン英会話サービスを創業した。
創業以来、フィリピンで過ごす時間が長かった。
フィリピンでは200人以上のフルタイム・パートタイムを雇用し、4000人の講師がいる会社の創業者だ。
そしてフィリピンは日本よりもLGBTがオープンだ。
スタッフや講師から「自分はゲイだよ」と言われることは普通にある。
カミングアウト、というほどの気も彼らにはなく気軽に話してくるし、
そして僕もとくにどうとも思わない。
「ふーん。」でしかない。
僕が関心があるのは、スタッフとして、または講師として、
きっちりやるべきことをやっているかどうかだ。
これは今の社長の岳さんでも変わらないだろう。
「ふーん。」「そういえばあの件って・・・」
仕事の話をすぐあとにされてしまうのではないだろうか。

しかしそういったLGBTをもし差別的に扱う人が社内にいたらどうするか。
少なくともうちの社内でLGBTを差別する発言を僕個人は聞いたことないけれど、
もしそれが起きたときにどう対処するか。

少し考えてみたが、
LGBT差別を禁止する・・・ことは僕はしないだろうな、と思った。
しかし、LGBT差別に寛容でもないだろうな、とも思う。

そもそも差別というのは、論理的でない理由、所属する組織の目的に関係ない理由で、
人を不快にする行為だと思う。

当然、LGBT差別も論理的ではない。
しかもうちの会社の場合、そのミッション・ビジョンとは真逆ですらある。
・レアジョブ英会話のミッション 「日本人1000万人を英語が話せるようにする」
・レアジョブグループのビジョン  “Chances for everyone, everywhere”
日本人を国際化しようとする人たちが、国際的な動きに逆行してどうするのだろうか。

しかしLGBT差別を禁止するのもまた、差別する側と一緒の行動だと思う。
全ての差別感情を押し込めるのは難しい。
押し込められた感情は、変な形で出てきてしまうのがオチだ。

でも、
差別感情を持つことと、
差別感情をあらわにして人に不快感を与えることの間には、
だいぶ距離があると思うんだ。

だからこそ、差別感情をあらわにして人を不快にさせる人は、
高いリスクをとっている人のように僕には映る。

・不快になった人のぶんで落ちた生産性をカバーできる自信があるのだろう。
・同じ成果を出している人が二人いたら、不快にさせる人よりも、不快にしないよう配慮できる人の方がどう考えても早く昇進・昇給するが、それも構わないのだろう
・会社にとって大事な人Aが、会社にとって大事な人Bによって傷ついていたら、その上長や周りは傷つくに違いないが、それも構わないのだろう。

差別をするのはリスクが高い行為だ。
それに見合うだけのリターンははたしてあるのか、
差別するってそんな気持ちいいことなのか、
僕にはわからない。

うちの会社で、というよりも、グローバル化しつつある日本社会において、
冷静にリスクリターンを考えれば、人に不快感を与える行動は慎むのが合理的なように思える。
考えられうるケースとしては、不快にさせている本人がそうとは気づいていない場合もあるが、
周りからフィードバックしてもらえるかや、フィードバックを受け止められるも含めて、
本人の力量が不足しているだけなのかもしれない。

しかしいずれにせよ、他人のリスクの取り方が適切かどうかは、僕が口出しすることではない。
むしろ僕は、全ての人の生き方を許容する人でありたいと思っている。
差別をする側も、される側も同様に許容し応援したい。
Chances for everyone, everywhere というレアジョブのビジョンは、
全ての人の生き方を許容し応援する、ということだと思っている。
だから、LGBTもLGBTを差別する人も許容したい。
ただし、少なくともレアジョブという会社はLGBT差別を許容したとしても寛容ではありえないとは言っておきたい。
レアジョブは日本人の国際化を手助けする会社なので、
LGBT差別に寛容でない方が売上増大しやすく、ミッション・ビジョンも実現しやすいので、
これは合理的判断だと思っている。


だから、たとえLGBT差別が社内であったらどうするか、という空想の問いに答えるとすると、
LGBT差別をする人の合理性を僕は不思議には思いつつ、
わざわざ差別を禁止することはなく許容する、

ただし寛容にはしない。

そうするだろうと、思っている。



(以上の文章は、身の回りの数人のLGBTの人に見せ、「違和感ない」とのことで、載せました)
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