概ねゲスなことに使う下衆アカウント(兼捨て垢)と、ショッピングやまともな意見をいう際に使うアカウント、お絵かきアカウントを分けていたが、全く気負わない下衆アカウントの受けの良さが際立ってきた。
かっこつけてても何も得られないのがよくわかる。元々捨てきってるので何やってもいいという自由さもあるんだろう。
しかしいざ下衆アカウントがお絵かきしてる某です、なんてことがバレたら何されるかわからない、という恐怖感もある。
一回本音をぶちまけてフクロにされたこともあるので、その恐怖が心を離れない。
人格の固定は当人の立場だけの固定にとどまらず、周囲が決める当人のイメージと発言、という厄介な問題が常につきまとうからだ。
自分が意図した発言の裏側にある空気が勝手に創りられ人格を持って拡散してゆく恐怖は、筆舌しがたい。
そこにいる自分のような誰かが延々とネット生物のように造成されて行き、彼自信が雄弁に語り始めるという具合だ。その時自分は全くのゲストで、主役は彼になる。
そもそも使い捨てられる自己である下衆アカウントとは一体なんだ。それの受けがいいからそれは俺自信なのか、あるいは俺自信とは何者なのか。
id記法により羅列されるあなた方は誰だ。本当は存在していない情報なのか。
あれは俺だったはずなのだが、あれは誰だ。たぶんあれも俺だ。傷ついた俺も俺。