昔、昭和30年代のこと、『1丁目1番地』というNHKのラジオドラマがあった。月曜日から金曜日まで、夕方6時半ごろから15分ほどのホームドラマである。
東京のサラリーマン家庭の日常を描いたドラマで、場所は杉並区や中野区を想定していたような気がする。戦前からサラリーマン世帯が多かったからだと思うのだが、子どもの私には別の理由があった。
母の姉夫婦が戦前から中野に住んでいて、東京といえばその家がすぐに頭に浮かんだからである。
ドラマは1丁目1番地の二軒の家庭の日常が展開する。一ヶ月ごとにメインの家庭が交替し、視点をひと月ごとに変えていた。だから登場人物は同じでも出て来る頻度がちがい、お隣さんとしてたまに登場する。
一軒は幼児のいる若いサラリーマン家庭。奥さんはもちろん専業主婦。ご主人の妹なる人物も同居していた。
もう一軒は成人した男兄弟とその母親、という一家。
子どもの名前は「ター坊」だったと思う。いつも家にいたから、4、5歳ぐらいか。でも幼稚園に通っていたわけではない。当時はまだ幼稚園に皆が通う時代ではなかったのである。
私は「ター坊」の家の話の方が好きだった。でもお隣さんにも親近感があったのは、家族構成が新潟にいた頃の知り合いのお宅とそっくりだったからである。
「ター坊」のお父さん役は先日亡くなった俳優の名古屋章。そして同居の妹役は黒柳徹子である。
「ター坊」にはおばあちゃんがいて、これは鈴木光枝という女優さんが演じていた。でも、孫に「御宿のおばあ」と呼ばれていたこの人物はたまにしか登場しなかった。
当時、「おんじゅく」とは何のことだかさっぱりわからなかった。ましてや「御宿」が千葉県の地名だなんて知らなかった。
大学生のとき、学校の学園寮が千葉県の館山にあり、千葉県の地図を見るうち「御宿」に行き着いたのだが、そのとき、「御宿のおばあ」を思い出した。確か、「ター坊」のおばあちゃんは千葉からたまに上京していたから、この御宿だろう。
やっと、謎が解けた。私はすごく嬉しかったが、アパートに一人で住んでいたから、誰にもそのことが言えないのが物足りなかった。
当時のわが家の夕食は、午後6時のラジオ子どもの番組とともに始まり、『1丁目1番地』を聞いて終わっていた。母は七時のニュースを聞きながら後片付けをしていたようだった。
父が帰宅するのはそれからもっと後で、ふと目をさますと襖ごしに両親の声が聞こえたりしていた。
NHKの「子どもの時間」はニュースとドラマに分かれていた。外国や日本の名作を子ども向けにアレンジしたものは、耳からだけ入るだけに想像力を刺激し、記憶に焼きついている。
『岩窟王』『にあんちゃん』『応答せよゼノン』など、番組が始まるときに流れた主題歌の一部は歌詞も覚えているくらいだ。
中学生になって岩波文庫の存在を知るや、子どもの時間に聞いたものを探して読んだものである。『ルコック探偵』は原作は推理に薀蓄を傾けた作品で、とても子どもが面白がるようなものではないらしい。そういう作品を子ども向けにと考えた当時のプロデューサーは相当な思い入れがあったのだろう。
そんな15分間のあと、軽やかなテーマ音楽で始まるホームドラマは、小学生の私でもどこかほっとするところがあったのかもしれない。
何よりも「ター坊」のお父さんの声が好きだった。バリトンの深い声だが、コミカルな響きもあり、とにかく耳に心地よい声だった。
私のイメージの中には背の高い、細面の顔つきの人物がいた。いま思うと中野の伯父の体型である。
テレビで初めて名古屋章という役者さんを見たとき、想像とまったくちがい、四角い外見だったので驚いたし、ちょっとがっかりした。
思わず母にそのことを話すと、母もまったく同じ感想だったのはもっと驚きだった。
「ター坊」のパパは伯父とちがって、ひょうきんな所もあるお父さん。ほのぼのとしたムードはそういう所からかもし出されていて、あの声がぴったりだったのではないだろうか。
風貌は想像とかけ離れていたが、だからといって嫌いにはならなかった。むしろ、「ター坊」のパパだということで注目した。そして、大好きな俳優となった。
それから時が流れ、昭和も六十年代に入ったころ、新宿の紀伊国屋ホールで井上ひさし作のお芝居を観た。
時は戦国だったろうか。戦に駆り出されたまま帰らない夫を待つ妻の所に放浪してきた男が現れる。これが亭主とそっくりなのだが、記憶喪失。この男が待ち人なのかどうかを巡る芝居だったと覚えている。
似たようなテーマの作品は古今東西めずらしくないし、フランス映画にも、イギリスのテレビドラマにもあった。
さて、井上ひさし作の芝居の主人公をこの名古屋章が演じたのである。
これも個性派俳優の小沢昭一が最初に出てきて口上を述べたが、そのムードを名古屋章がうまく引き継いでいたように覚えている。
おとぼけに本心をうまく隠しているという雰囲気である。
ところが、最後にそれまでの調子をかなぐり捨て、科白を絶叫するシーンがあった。
皆でよってたかって自分たちの都合いいように扱うな。俺は俺だ。
そういう意味の科白だったように覚えているが、私が驚いたのはその発声である。空気が振動し、劇場を揺るがし、躰にずしんと響いた。
声楽の発声法と同様、お腹から出す声は喉で出すものと雲泥の差がある。聞く者を揺さぶり、感動、恐怖、驚愕を呼び起こす。
名古屋章の声はそのくらい凄い迫力だった。
私はわけもなく感動してしまったのである。
他にも有名な女優や、劇団の若い女優、男優が出演していたが、かれらの声が何とも薄っぺらで、発声法が身についていないのだと思った。
そして、私の中では「ター坊」のパパのイメージは消え、本物を観たという思いだけが残り、ますますこの役者を好きになった。
数年前、脳梗塞で倒れたと聞いたとき、もうそういう年齢になったのか、と思った。復帰したときのことも覚えている。『1丁目1番地』で妹役を演じた黒柳徹子のトーク番組に出ていた。
だが、先日、脳腫瘍の手術の後、とうとう亡くなった。まだ七十代なのに惜しい。
名古屋章が亡くなる二週間ほど前、『1丁目1番地』のモデルだと勝手に思いこんでいた中野に住む伯母が84歳で亡くなった。昨年の秋には伯父が94歳で亡くなっている。
伯母夫婦はあの家で空襲に遭い、伯父が庭に作った防空壕で生活していたそうだ。
戦後は、伯母の弟たちが同居したり、私の父など、学会で上京するたびに宿にさせてもらい、私もよく連れて行ってもらった。
子どもの私が『1丁目1番地』をあの中野の家とオーバーラップさせたのも解るような気がする。
あの「ター坊」のパパを演じた名古屋章が亡くなったと知ったとき、『1丁目1番地』は本当に遠いものになった。伯父も伯母も死んだからなおさらそう思うのだろう。でも、名古屋章という役者の声の記憶は消えないだろうという気がしている。
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