盆は日本では祖霊供養の日。
私にも供養すべきなつかしい祖霊たちはいます。墓参はしませんが、キザにいえば、彼らの墓標は我が心中に在り。心の中の彼らの墓標には手を合わせます。
今日は、彼らとともに暮していた日々を偲んで、私の中の少年を供養しましょう。
青春歌謡ではなく、もっとあどけない話です。
昭和34年(1959年)3月17日、初の少年漫画週刊誌「少年マガジン」と「少年サンデー」が同時創刊されました。手塚治虫の「鉄腕アトム」(「少年」)や武内つなよしの「赤胴鈴之助」(「少年画報」)人気などによって少年漫画誌が小説(物語)や絵物語中心から漫画中心にシフトしてわずか数年後のことです。
小説(物語)はもちろん、初期の絵物語もまだ文字の役割が大きく、読者は文字を媒介にして想像力を作動させますが、漫画では連続的なコマ割りで展開する絵が直接に読者の視覚を刺激します。文字の間接刺激性から視覚の直接刺激性へ。視覚中心の時代が来たのです。
同時に、月刊誌から週刊誌へ。西郷輝彦「恋のGT」の項で書いたように、以後、子供たちの「体内時計」が加速されていきます。月刊誌の一カ月間隔に慣れていた子供らが、一週間を待ちきれなくなるのです。
その一月後の4月10日には皇太子と正田美智子の「ご成婚パレード」中継があって、これを機にテレビが一気に普及しました。ここでも、聴覚(音声)だけを経由して想像力を作動させるラジオの間接刺激性から、視覚を直接刺激するテレビの時代に突入します。
視覚の優位と直接刺激性の強化と「体内時計」の加速。子供文化にとどまらず、1960年代文化の基盤は、こうして昭和34年=1959年に整備されました。
その年4月、私「遊星王子」も地球の小学校に入学しました。
しかし、私の漫画はその後もずっと月刊誌中心。それも毎月購入というわけにはいかず、自分のものとして所有できるのは、冬場の出稼ぎに出ていた父親が正月に帰省する際に買って来てくれる新年号と出稼ぎを切り上げて帰る際に持参する4月号ぐらい。もちろん何種類もある雑誌のただ一種類。年に二回のハレの日でした。それ以外はもっぱら友達から見せてもらいました。
また、長くラジオの時代もつづきました。
山間の村に電波がちゃんと届いたのはNHKとTBS系列の地方民放局だけでした。NHK第一放送のドラマなら50年代以来の「一丁目一番地」や「お父さんはお人好し」。「一丁目一番地」の主題歌や「お父さんはお人好し」の花菱アチャコと浪花千栄子のやわらかい大阪弁のやりとりは、いまも私の耳の底からあざやかによみがえります。
TBS系列ならなんといっても子供向けドラマ「赤胴鈴之助」とその主題歌。
(画像下左は昭和31年に映画化された「お父さんはお人好し・かくし子騒動」の花菱アチャコと浪花千栄子。画像下右は、「少年画報」昭和33年新年号本誌の裏表紙から、ラジオで赤胴鈴之助としのぶを演じた二人が扮装した姿。鈴之助は横田毅一郎、右のしのぶ役はいまも女優活動をつづける藤田弓子。)


しかし、奇妙なもので、誰とも共有可能なそういうメジャーな作品よりも、知る人も少ないマイナーなドラマとその主題歌の記憶の方がせつなくよみがえります。振りかえる幼い日々の寄る辺なさ、それゆえのいとおしさの思いなのでしょう。
TBS系列なら、関谷ひさし原作の野球漫画のドラマ化「ジャジャ馬くん」(「冒険王」連載)や同じく少年レーサーが主人公の「少年No.1」(「少年ブック」連載)。中東の砂漠国を舞台に日本の若者・東海太郎が王政打倒を掲げる人民反乱軍を助けて活躍する益子かつみの「日本少年」(「少年ブック」連載)。(「日本少年」のラジオドラマの脚本は佐々木守が手掛けたとのこと。佐々木守は映画では大島渚の「日本春歌考」や少年殺人者・李珍宇をモデルにした「絞首刑」の脚本を担当し、テレビでは「ウルトラマン」などの脚本家として知られます。)
(画像下左は「ジャジャ馬くん」昭和36年1月号付録。右は「日本少年」の単行本第2巻。)


みんな夕方6時ぐらいから毎日(月曜から金曜だったでしょう)15分程度の「連続放送劇」でした。(「連続放送劇」、なんとなつかしい響きでしょう。)
そして、今日書くのは、NHKの少年向けドラマです。
放送時間帯は毎日(やはり月曜から金曜だったはず)夕方6時30分から45分までの15分。6時45分からは「一丁目一番地」が始まります。
まず、「緑のコタン」。
もうテレビ時代なので、記憶に残す人も少ないようです。それでも、ネット検索すると5人ぐらいの方が、このドラマの思い出を書いてくれています。一億人中の5人ほどです。
みなさん記憶は断片的なようです。私の記憶も断片的です。なにしろ、わくわくしながら聴き入っていたはずなのに、ドラマ内容はほとんど覚えていないのです。
他の方々の断片的証言を整理しておきます。(関心があるかもしれないごく少数の人々のために、リンクを貼っておきます。)
昭和37年の放送だった。(こちらの記事)
山中恒の作品(たぶん「原作」ということではなく、ラジオドラマ脚本として書き下ろされた)だった。(こちらの記事)*山中恒は戦時中の子供の体験を描いた「ボクラ小国民」シリーズでも知られる児童文学作家。
「幕末から明治初期のアイヌの少年とトーマス・ライト・ブラキストンという英国人の物語」だった。(こちらの記事)
「明治維新のときの函館戦争にまつわる話」で「北海道独立戦争の話」も出てきた。「アイヌの青年をあとにして、日本を脱出する新島襄の場面」もあった。(こちらの記事)
「「北海道独立戦争」に破れ、雪と氷の荒野に消えていくアイヌの青年の姿が印象的」だった。(こちらの記事。上のリンク先と同じ方・「田舎牧師の日記」の記事です。)
私も断片的記憶の集成に参加しましょう。(大衆の断片的知識を集積すれば知識の全貌が描けるかもしれない、というwikipediaの精神です(笑)。)
(*2015年5月31日記:以下、間違いがわかったので、元記事を【 】内に補足訂正しました。
ドラマ「緑のコタン」の詳細を知りたい方は信頼できるこちら「緑のコタン」の記事をご覧ください。
「早稲田大学演劇博物館」で「緑のコタン」の台本を閲覧し、自身でも最終回のテープを保存しておられたという方の記事です。十分信頼に値します。
主人公のアイヌ少年の名がポンション。そうそう、この名、鮮明によみがえりました。
執筆された方に感謝感謝感謝。)
(以下、元記事。)
とはいえ、私がドラマ内容で覚えているのはたった一つ。「トランネ」という名前の悪役がいたこと。
「トランネ」が何者であるか、彼が何をしたのか、わかりません。たぶん、アイヌの裏切り者だったのでしょう。しかし、なぜかカッコよかった。
「トランネ」の声を演じた声優の名もはっきり覚えています。川久保潔【*間違い。→木下秀雄でした。絶対の自信があったのに、くやしい(笑)】。
「フ、フ、フ……トランネさ」。物陰や暗闇から出現してのこの含み笑いと名乗り。悪役のカッコよさにしびれた最初でした。弟の前でしょっちゅう真似してみせたものです。(弟曰く、「ちっとも似てない」。)
鮮明に記憶しているのは主題歌です。節回しは完璧のはず。
歌詞もほぼ完璧に近いと思っていましたが、なにせ子供の記憶、ネット上に歌詞を書いている方の記憶と少し違うので、誤りがあるかもしれません。(こちら「田舎牧師の日記」は一番の歌詞、こちら「梟の独り言」さんは二番の歌詞です。【上記信頼できるページも一番の歌詞。】)
では、私の記憶する「緑のコタン」の歌詞です。
一億人中5人とちょっとの方々のために記します。
「緑のコタン」
一 波【雪】のしぶきと 氷の岩よ【氷の岩を】
風【波】も冷たい 東海の
嵐にむかい まっしぐら
緑のコタンを 夢にみて
ああ 若き勇者 勇者はすすむ
緑 ああ ああ ああ 緑のコタン
二 ほえる狼 手負いの熊よ
声も届かぬ 原始林
嵐にむかい まっしぐら
緑のコタンを 夢にみて
ああ 若き勇者 勇者はすすむ
緑 ああ ああ ああ 緑のコタン
*一番の二行目「東海の」は、物語内容を知ってしまうと、「北海の」かもしれない、という気がしてきました。しかし、わが内なる少年の記憶に忠実に、「東海の」のままとしました。【それで正しかった。】
(石川啄木の「東海の小島の磯の」の歌を北海道・函館の大森浜と解釈する説もあります。英国人やアメリカに密航する新島襄も登場したのなら、なおのこと「東海」と呼ぶ根拠はあるでしょう。日本を「東海」と呼ぶのは古代ならインド・中国中支の世界像、近代なら西洋のまなざしを意識してのことですから。上記「日本少年」の主人公の名も「東海太郎」でした。)
また、一番二番末尾行の冒頭、「みどり~」で記憶していましたが、他の方々が「ああ~」なので、自信を失って、一時期、この記事も「ああ」と書き換えていました。しかし、上記信頼できるページによれば、やっぱり「緑」でよかったのでした。
一番冒頭、「雪のしぶき」は変なので「波のしぶき」に変え、「波」は使ったので二行目を「風も冷たい」に変えましたが、「雪のしぶき」「波も冷たい」が正しかった。また、「氷の岩よ」も実は「氷の岩を」と記憶していたのですが、文法上変なので「氷の岩よ」と書いたのでした。これも記憶のままが正しかった。
子供の記憶は意外にも正しいのですね。大人の「合理的な知恵」によるつじつま合わせの方が往々にして間違っている。なんだか意味深な教訓でした(笑)。
上記信頼できるページの方は残念ながら二番の歌詞は書いてくれていません。それで付け加えておくと、二番冒頭も、記憶では「手負いの熊も」だったような。(一番と平仄を合わせれば「手負いの熊を」だったかも。意味がよく通じるのは「梟の独り言」さんの「手負いの熊の」ですが。)
*アイヌの問題については、11月5日にテレビドラマ「隠密剣士」第一部に触れて書きました。
私にも供養すべきなつかしい祖霊たちはいます。墓参はしませんが、キザにいえば、彼らの墓標は我が心中に在り。心の中の彼らの墓標には手を合わせます。
今日は、彼らとともに暮していた日々を偲んで、私の中の少年を供養しましょう。
青春歌謡ではなく、もっとあどけない話です。
昭和34年(1959年)3月17日、初の少年漫画週刊誌「少年マガジン」と「少年サンデー」が同時創刊されました。手塚治虫の「鉄腕アトム」(「少年」)や武内つなよしの「赤胴鈴之助」(「少年画報」)人気などによって少年漫画誌が小説(物語)や絵物語中心から漫画中心にシフトしてわずか数年後のことです。
小説(物語)はもちろん、初期の絵物語もまだ文字の役割が大きく、読者は文字を媒介にして想像力を作動させますが、漫画では連続的なコマ割りで展開する絵が直接に読者の視覚を刺激します。文字の間接刺激性から視覚の直接刺激性へ。視覚中心の時代が来たのです。
同時に、月刊誌から週刊誌へ。西郷輝彦「恋のGT」の項で書いたように、以後、子供たちの「体内時計」が加速されていきます。月刊誌の一カ月間隔に慣れていた子供らが、一週間を待ちきれなくなるのです。
その一月後の4月10日には皇太子と正田美智子の「ご成婚パレード」中継があって、これを機にテレビが一気に普及しました。ここでも、聴覚(音声)だけを経由して想像力を作動させるラジオの間接刺激性から、視覚を直接刺激するテレビの時代に突入します。
視覚の優位と直接刺激性の強化と「体内時計」の加速。子供文化にとどまらず、1960年代文化の基盤は、こうして昭和34年=1959年に整備されました。
その年4月、私「遊星王子」も地球の小学校に入学しました。
しかし、私の漫画はその後もずっと月刊誌中心。それも毎月購入というわけにはいかず、自分のものとして所有できるのは、冬場の出稼ぎに出ていた父親が正月に帰省する際に買って来てくれる新年号と出稼ぎを切り上げて帰る際に持参する4月号ぐらい。もちろん何種類もある雑誌のただ一種類。年に二回のハレの日でした。それ以外はもっぱら友達から見せてもらいました。
また、長くラジオの時代もつづきました。
山間の村に電波がちゃんと届いたのはNHKとTBS系列の地方民放局だけでした。NHK第一放送のドラマなら50年代以来の「一丁目一番地」や「お父さんはお人好し」。「一丁目一番地」の主題歌や「お父さんはお人好し」の花菱アチャコと浪花千栄子のやわらかい大阪弁のやりとりは、いまも私の耳の底からあざやかによみがえります。
TBS系列ならなんといっても子供向けドラマ「赤胴鈴之助」とその主題歌。
(画像下左は昭和31年に映画化された「お父さんはお人好し・かくし子騒動」の花菱アチャコと浪花千栄子。画像下右は、「少年画報」昭和33年新年号本誌の裏表紙から、ラジオで赤胴鈴之助としのぶを演じた二人が扮装した姿。鈴之助は横田毅一郎、右のしのぶ役はいまも女優活動をつづける藤田弓子。)
しかし、奇妙なもので、誰とも共有可能なそういうメジャーな作品よりも、知る人も少ないマイナーなドラマとその主題歌の記憶の方がせつなくよみがえります。振りかえる幼い日々の寄る辺なさ、それゆえのいとおしさの思いなのでしょう。
TBS系列なら、関谷ひさし原作の野球漫画のドラマ化「ジャジャ馬くん」(「冒険王」連載)や同じく少年レーサーが主人公の「少年No.1」(「少年ブック」連載)。中東の砂漠国を舞台に日本の若者・東海太郎が王政打倒を掲げる人民反乱軍を助けて活躍する益子かつみの「日本少年」(「少年ブック」連載)。(「日本少年」のラジオドラマの脚本は佐々木守が手掛けたとのこと。佐々木守は映画では大島渚の「日本春歌考」や少年殺人者・李珍宇をモデルにした「絞首刑」の脚本を担当し、テレビでは「ウルトラマン」などの脚本家として知られます。)
(画像下左は「ジャジャ馬くん」昭和36年1月号付録。右は「日本少年」の単行本第2巻。)
みんな夕方6時ぐらいから毎日(月曜から金曜だったでしょう)15分程度の「連続放送劇」でした。(「連続放送劇」、なんとなつかしい響きでしょう。)
そして、今日書くのは、NHKの少年向けドラマです。
放送時間帯は毎日(やはり月曜から金曜だったはず)夕方6時30分から45分までの15分。6時45分からは「一丁目一番地」が始まります。
まず、「緑のコタン」。
もうテレビ時代なので、記憶に残す人も少ないようです。それでも、ネット検索すると5人ぐらいの方が、このドラマの思い出を書いてくれています。一億人中の5人ほどです。
みなさん記憶は断片的なようです。私の記憶も断片的です。なにしろ、わくわくしながら聴き入っていたはずなのに、ドラマ内容はほとんど覚えていないのです。
他の方々の断片的証言を整理しておきます。(関心があるかもしれないごく少数の人々のために、リンクを貼っておきます。)
昭和37年の放送だった。(こちらの記事)
山中恒の作品(たぶん「原作」ということではなく、ラジオドラマ脚本として書き下ろされた)だった。(こちらの記事)*山中恒は戦時中の子供の体験を描いた「ボクラ小国民」シリーズでも知られる児童文学作家。
「幕末から明治初期のアイヌの少年とトーマス・ライト・ブラキストンという英国人の物語」だった。(こちらの記事)
「明治維新のときの函館戦争にまつわる話」で「北海道独立戦争の話」も出てきた。「アイヌの青年をあとにして、日本を脱出する新島襄の場面」もあった。(こちらの記事)
「「北海道独立戦争」に破れ、雪と氷の荒野に消えていくアイヌの青年の姿が印象的」だった。(こちらの記事。上のリンク先と同じ方・「田舎牧師の日記」の記事です。)
私も断片的記憶の集成に参加しましょう。(大衆の断片的知識を集積すれば知識の全貌が描けるかもしれない、というwikipediaの精神です(笑)。)
(*2015年5月31日記:以下、間違いがわかったので、元記事を【 】内に補足訂正しました。
ドラマ「緑のコタン」の詳細を知りたい方は信頼できるこちら「緑のコタン」の記事をご覧ください。
「早稲田大学演劇博物館」で「緑のコタン」の台本を閲覧し、自身でも最終回のテープを保存しておられたという方の記事です。十分信頼に値します。
主人公のアイヌ少年の名がポンション。そうそう、この名、鮮明によみがえりました。
執筆された方に感謝感謝感謝。)
(以下、元記事。)
とはいえ、私がドラマ内容で覚えているのはたった一つ。「トランネ」という名前の悪役がいたこと。
「トランネ」が何者であるか、彼が何をしたのか、わかりません。たぶん、アイヌの裏切り者だったのでしょう。しかし、なぜかカッコよかった。
「トランネ」の声を演じた声優の名もはっきり覚えています。川久保潔【*間違い。→木下秀雄でした。絶対の自信があったのに、くやしい(笑)】。
「フ、フ、フ……トランネさ」。物陰や暗闇から出現してのこの含み笑いと名乗り。悪役のカッコよさにしびれた最初でした。弟の前でしょっちゅう真似してみせたものです。(弟曰く、「ちっとも似てない」。)
鮮明に記憶しているのは主題歌です。節回しは完璧のはず。
歌詞もほぼ完璧に近いと思っていましたが、なにせ子供の記憶、ネット上に歌詞を書いている方の記憶と少し違うので、誤りがあるかもしれません。(こちら「田舎牧師の日記」は一番の歌詞、こちら「梟の独り言」さんは二番の歌詞です。【上記信頼できるページも一番の歌詞。】)
では、私の記憶する「緑のコタン」の歌詞です。
一億人中5人とちょっとの方々のために記します。
「緑のコタン」
一 波【雪】のしぶきと 氷の岩よ【氷の岩を】
風【波】も冷たい 東海の
嵐にむかい まっしぐら
緑のコタンを 夢にみて
ああ 若き勇者 勇者はすすむ
緑 ああ ああ ああ 緑のコタン
二 ほえる狼 手負いの熊よ
声も届かぬ 原始林
嵐にむかい まっしぐら
緑のコタンを 夢にみて
ああ 若き勇者 勇者はすすむ
緑 ああ ああ ああ 緑のコタン
*一番の二行目「東海の」は、物語内容を知ってしまうと、「北海の」かもしれない、という気がしてきました。しかし、わが内なる少年の記憶に忠実に、「東海の」のままとしました。【それで正しかった。】
(石川啄木の「東海の小島の磯の」の歌を北海道・函館の大森浜と解釈する説もあります。英国人やアメリカに密航する新島襄も登場したのなら、なおのこと「東海」と呼ぶ根拠はあるでしょう。日本を「東海」と呼ぶのは古代ならインド・中国中支の世界像、近代なら西洋のまなざしを意識してのことですから。上記「日本少年」の主人公の名も「東海太郎」でした。)
また、一番二番末尾行の冒頭、「みどり~」で記憶していましたが、他の方々が「ああ~」なので、自信を失って、一時期、この記事も「ああ」と書き換えていました。しかし、上記信頼できるページによれば、やっぱり「緑」でよかったのでした。
一番冒頭、「雪のしぶき」は変なので「波のしぶき」に変え、「波」は使ったので二行目を「風も冷たい」に変えましたが、「雪のしぶき」「波も冷たい」が正しかった。また、「氷の岩よ」も実は「氷の岩を」と記憶していたのですが、文法上変なので「氷の岩よ」と書いたのでした。これも記憶のままが正しかった。
子供の記憶は意外にも正しいのですね。大人の「合理的な知恵」によるつじつま合わせの方が往々にして間違っている。なんだか意味深な教訓でした(笑)。
上記信頼できるページの方は残念ながら二番の歌詞は書いてくれていません。それで付け加えておくと、二番冒頭も、記憶では「手負いの熊も」だったような。(一番と平仄を合わせれば「手負いの熊を」だったかも。意味がよく通じるのは「梟の独り言」さんの「手負いの熊の」ですが。)
*アイヌの問題については、11月5日にテレビドラマ「隠密剣士」第一部に触れて書きました。