2015年10月9日
妖怪「件」の絵発見 江戸中期と推定、厄よけか
江戸時代中期の享保14(1729)年に描かれたとみられる半人半牛の姿をした妖怪「件(くだん)」の絵が、鳥取市鹿野町鹿野の雲龍寺(大井大攝住職)で見つかった。件の絵は主に江戸後期に見られ、中期のものは珍しいという。
件の絵は、横1・2メートル、縦70センチの山号額「鹿野園(ろくやおん)」の裏面左下に描かれていた。長年、本堂に掲げられていた山号額を山門に移設するために下ろした際に見つかった。体が牛で人間の顔をしており、額にもう一つの目がある。胴体にも三つ目が描かれていた。
描いたのは7代目の白妙住職で、絵とともに、鳥取藩3代目の池田吉泰藩主が、享保年間に火事など度重なる災害を鎮めてもらいたいと寺を訪れて懇願し、寺に釣り鐘と鐘楼門を寄進したことが記されていた。大井住職(59)は件の絵について「災害を鎮める厄よけにしたのではないか」と推測する。
大井住職が寺の古文書などを調べると、鐘楼門は約180年前、大風によって倒壊し、その時に山号額は本堂に移して掲げられたことが分かった。新しい山門が完成したのを機に山門額として元に戻そうとしたことが発見につながった。
件の妖怪絵は、19世紀前半から日本各地に伝わっていて、特に幕末に最も広まり、厄よけの護符として描かれた。天保年間(1830~44年)ごろからのものがよく知られるが、今回見つかったものは約100年も古いことになる。
大井住職は「件の妖怪絵が早い段階に雲龍寺で描かれていることに驚いた」と言い、鳥取県立博物館の来見田博基学芸員も「享保年間のものと確定されれば珍しいのではないか」と話している。