この度、球団や家族と話し合い、長い間考えた末に、カープを退団させて頂く道を選ぶことに決めました。
新聞などではコメントもさせて頂きましたが、ブログは球団発表を待ってからだったので、このタイミングでご報告させて頂きます。
それに加え、いつものように、文章を書くのに結構な時間が必要なので遅くなってしまいました。
すみません。
この数年は、ずっと育ててもらい、応援してもらった、球団とカープファンの方に恩返しがしたいという格好つけた理由で、カープに居座り続けてしまいました。
ただ、手術もさせてもらい、頂いた長い期間、僕のバッティングの感覚は、若い選手には負けないと思えるほど、以前の感覚をまたこの手につかめるほどになりましたし、
やっと痛みの怖さに身体が変に反応してしまうこともなくなってきました。
あとは、身体が万全になった今、2軍の試合でもたくさん打席を積み、試合勘を取り戻したいところですが、2軍でも、外国人の多さやチーム方針でそれも叶わなくなっています。
長くカープでお世話になっているからこそ、球団には気も遣わせてしまい、はっきりとは言われないままですが、
僕の中で色々と理解し、僕の自信と重なった今、カープを去る決意を伝えました。
カープでの復活を待って頂いてくださった方々、申し訳ありません。
新聞ではコメントさせて頂きましたが、
ただひとつ僕が胸を張れるのは、
必要とされている時に逃げず、不必要とされた時に別れを告げる、それほど僕はカープが、広島が好きだったという証拠になると思っています。
心からありがとうございました。
最近では打席に立つことも少なくなっていた僕の打席での大きな大きな声援は、
本当に本当に、僕の心を癒し、奮い立たせてくれました。
引退をする時は、ぱっと姿を消そうと思っていましたが、
手術後の苦しかったリハビリ生活を送ったことで、
今まで僕を支えてくださった、僕を応援してくださった方々、家族のため、
そして僕も自信がついたからこそ、
もし、僕を必要としてくださるところがあるのなら、現役を続けたいと思いました。
リハビリ中は、先がまったく見えず、もしかするともうずっとこのままかもしれない、暗くて長いトンネルがありました。
自信も何もかもなくし、どうやって生活していたのか思い出せない日々がありました。
ただ抜け出したくて、無我夢中でバットを振り続けました。
そんな時に、お世話になった方もたくさんいらっしゃいます。
そんな期間は無駄ではなかったと、お世話になった方々に、ありがとうと言えるプレーをしたい。そんな姿を見てもらいたい。
それが今の素直な気持ちです。
そこでもし僕の希望が叶わなかった時、
それは今は考えません。
16年前、カープへの入団で
プロ野球選手になるという僕の夢を叶えて頂きました。
今はまだ突き進んでる途中だと思っているので、思い返すことはしませんが、
僕はカープのユニフォームが着れて本当に幸せ者でした。
僕ひとりでは、今ここに、この僕はいません。
感謝の心を次に進むための歩みにして、これからもずっと、いつも、どんな時でも、上を目指していきます。
最後に、嫁や娘たちのことも、温かく見守っていただき、ありがとうございました。
僕の母親も凄い人ですが、嫁も凄い人なんです。
伝えるのはなかなか難しいですが、嫁なりに、ずっと僕を守ってきてくれました。
僕が家族を守っていたつもりが、守られていたのはいつも僕でした。
広島をたくさん知り、こんなにいたのはそんな広島人の嫁と出会えたからで、僕はこれからも広島と縁もゆかりもあります。
よろしければ、これからも栗原家と、末長くお付き合い頂けますよう、よろしくお願い申し上げます!