先日、岡田さんが図書館戦争の番宣で出演していたVS嵐と櫻井有吉アブナイ夜会を見た。リアルタイムにTwitterで「岡田」と検索をかけると「もっと寡黙でクールな人だと思ってた」「見る度にキャラが違う」「いつから筋肉キャラになったの!?」「イメージと違う」「関西弁がおかしい」「ジャニーズだよね!?」「こんなに面白い人だとは思わなかった」「自衛隊かな?」「岡田くんどうしたの!?」「いよいよやばい」というツイートしか出てこなくて最近の岡田さんの言動を見ていると世間の岡田さんに対するイメージが変わってきていることに薄々気付いてはいたが、想像以上のツイートばかりだったのでさすがに笑ってしまった。私の母親も「伊野尾くんのことを可愛いって言ってる超人的な身体能力を持っている人」と言うのが岡田さんに対するイメージだそうだ。最近の岡田さんはファンの私ですら10年前と本当に同一人物なのか疑うレベルある。
私がV6のファンになったのは2005年。岡田さんの存在を知ったのは真っ赤な背景をバックに「関係ないぜ!!!!」と叫んでいるボーダフォンのCMだった。それから学校へ行こう!を見るようになったのだが、ちょうどその時にボーダフォンのCMが流行っていたのかそこでも私は何かと「関係ないぜ!!!!」と縁があった。学生にインタビューをしている時に「関係ないぜの人の番組!?」と言う学生がいたり、膝の骨がポキポキ鳴って恥ずかしいと言う学生の元に坂本さんと岡田さんが会いに行き、車で「膝の骨がポキポキ鳴る人は○時に○○中学校の体育館に集合してください!」と呼びかけて回った結果、ざっと500名くらいが集まりみんなで一緒に膝の骨をポキポキ鳴らしながら岡田さんが「ポキポキなんて関係ない!!(ポキッ)関係ないぜ!!!!(ポキポキッ)」と叫びながらコラボレーションするという何とも斬新なロケがあり、このロケがきっかけで私はV6のファンになった。
その時はこういうテンションの人なのか!?と思っていたが、翌週以降は別人のように物静かでめちゃくちゃテンションが低かった。何なんだこの人は!?ともっと知りたくなった。それから色々調べていくと三つのことが分かった。一つ目は変人であるということだ。台本を修正テープで全部消し最終的に読めなくなって困る、ガムの包み紙で鶴を延々と折る、台本の角をテープで固定して「補強」と言い放つ、紙をクリップで延々と引っ掻く、日曜大工で熊の木彫りを作って近所の公園に「ご自由にお取りください」と書いて通行人が持って帰るか家から観察する、お風呂で瞬間移動の練習をするなどめちゃくちゃ変人だった。二つ目はやっぱりあまり喋らないクールな人であるということだ。メンバーが騒いでいても外から見ているような感じで自分からはあまり入っていこうとはしなかった。カメラが回っていても無表情が多く笑っている顔をほとんど見たことがなかった。それを示すように、坂本さんが「普段あまり笑わないだけに岡田が笑ってると“おっ!”って思う」とか、森田さんが「あまりにも喋らないから死んでんじゃないかと思って。それも含めて岡田なんだけどもっと喋った方が良いよ」「岡田を笑わすのは難しい」「岡田が笑ってると安心する」と言うようなことを言っていた。三つ目はマイペースであるということだ。その時々で気分の波が非常に激しい人だと思った。普段は物静かなのにスイッチが入ると別人のように饒舌になって騒ぎ出したかと思えば、数分後には俯いて一点を見つめていたりそんな場面を何度も見た。この三つのイメージにより私の中で岡田さんは、気分の波が激しくて突然騒ぎ出すことがあるけど基本的にはクールであまり喋らないちょっと変わった人と言うイメージが完全に出来上がった。
それからファンになって10年が経過した現在、近年の岡田さんのあまりの変わりように当然びっくりしている。10年も経てば人が成長するのは当たり前だけどあまりにも変わりすぎでは!?昔はあんなに気分の波が激しかったのに今はほぼ安定していつの間にかコミュニケーション能力も相当高くなってるしよく喋るし面白いわで全くクールじゃない!!!!!!!!!!!!何だよクールって!?!?!?!?!?!ただの変態じゃないか!!!!!!!!!!!!!体も10年前と比べると二回りほど大きくなり、ジークンドー、カリ、USA修斗の三つのインストラクターの資格も持っている。バラエティ番組に出演すればもちろんこの話に触れられるわけで、先日のVS嵐と櫻井有吉アブナイ夜会の二番組だけで「筋肉岡田」「筋肉さん」「筋肉兄妹」「震源地岡田准一」「岡田一門」「(ササミだけ食う)モンスター」「岡田メソッド」の七つのあだ名が誕生した。最近はゴリラキャラとしても認知されつつあり24時間テレビでは伊野尾くんにも「(岡田と違って)僕たち普通の人間は・・・」とゴリラ扱いされ、榮倉奈々さんにも「(撮影で)森でゴリラ(岡田)と走ってきただけだから」 と言われる始末である。本人も自分がゴリラであることは重々自覚しており、名古屋のイケメンゴリラで有名なシャバーニに対抗し自らを東のシャバーニと名乗っていた。最近も福岡の動物園でゴリラに会ってきたらしく「実家?」と井ノ原さんにいじられていた。そして、いつの間にか後輩(男)大好きペロペロおじさんにもなって口を開けば後輩や年下の俳優(男)に「可愛い♡」を連発してメンバーや後輩のお尻を四六時中追いかけ回しているが本人曰く、あくまでも「一番可愛いのは健ちゃん(三宅健)で二番目は長野くん」これだけは何があっても譲れないらしい。私が最近一番びっくりしたのは、雑誌の撮影か何かで長野さんと森田さんで岡田さんを挟んでいると「長野くん!もう、これどうにかして!」と長野さんは森田さんから助けを求められ見てみると、岡田さんが森田さんのお尻を揉み、森田さんがポケットに手を入れているとそのポケットに岡田さんが手を入れてきて森田さんの手を握ろうとしていていたらしい。更に、今度は長野さんの手を掴んだかと思えば指を絡ましてきて手を握ってきて「ええやん!ええやん!」と言ってきたそうだ。何がびっくりってカメラが回っていなくても普段からやっていると言う事実にただただ恐怖しかないのだがその反面この話がとても嬉しくもあった。
V6は来月の11月1日にデビュー20周年を迎える。20周年の節目と言うことでデビューしてからの20年間について連日色んなことを語ってくれているが、その中で一番引っかかったのは岡田さんの反抗期についてだ。本人曰く、10周年の2005年が反抗期のピークだったそうで私がファンになったのは2005年なのでどうやら一番酷かった時期にファンになったみたいだ。今となっては当時が反抗期だったと知って納得せざるを得ないくらい心当たりがたくさんある。ファンになった直後の私の中の岡田さんのイメージとして最初に書いた二つ目のあまり喋らないクールな人であるということが今の岡田さんを見ていると反抗期を表していたのではないかと思った。メンバーが騒いでいても外から見ているだけで自分からはあまり入っていこうとしなかったことや、メンバーに絡まれても面倒くさそうな素振りを見せることが多々見受けられた。後に、岡田さんはメンバーと話したくない時期があったことや、自らをアイドルの劣等生と評しアイドルであることに疑問を抱いていたことを告白している。そんな時に三宅さんから「アイドルとして誇りを持ってくれ」と言われたことがあり、メンバーに言わせてはいけない言葉だったと、そこまで思わせていたことを反省したそうだ。アカデミー賞を受賞した時にも「芝居の方に気持ちがいってしまったこともあった」と言っていた通り「岡田と一緒にいてもあいつはここにいないと感じる瞬間があった」と三宅さんが語ったことがあった。端から見ても分かるくらい本当に俳優業に傾いていたのだろう。だから、カメラが回っていなくても自分からアクションを起こしメンバーに構ってもらおうとしていることや、やたらとメンバーの家に行こうとしていること、久しぶりに坂本くんに会ったのに相手にしてくれなかったと寂しがる岡田さんがとても嬉しかった。
今でこそ表情が昔より大分柔らかくなりよく笑うようになったが私の印象では完全に表情が柔らかくなったのはつい最近の2013年頃だったと感じた。年数を重ねるごとに少しずつ表情は柔らかくなってはいたけどそれまではまだ表情が固かった気がする。本人ももうすぐ20周年だなと思ってV6をちゃんと意識し始めたのが2年前の2013年だと言っていたので本人が20周年を意識したことと、岡田さんの心がV6にはないと感じながらも何一つ変わることなく温かく見守り続けたメンバーがいたからこそここまで変わることができたのではないかと思う。岡田さんは20周年を「自分は何もしていなくてみんなにここまで連れてきてもらった」と振り返った。岡田さんがどんなに俳優として功績を残し外で丁寧な扱いを受けていようが、V6に戻れば20年前と何一つ変わることない「岡田」として扱われる。「岡田」と呼ばれこんな扱いを受けるのはV6だけだから嬉しい、みんなには頭が上がらないと嬉々として話す岡田さんの表情はいつもとても良い笑顔をしている。
坂本さんや森田さんが「岡田が笑ってると安心する」と語ってから数十年経った現在でも森田さんは「岡田が笑ってるとホッとする。本人も多分意識して楽しんでるんじゃないかな?」と言い岡田さんを“笑顔の人”と評す。同じように井ノ原さんも「岡田が笑ってると良いなと思うからこれからも笑っていて欲しい」と言っていた。また、森田さんはNHKのSONGSでも「俺は岡田の背負ってるものは分からないけど、V6にいる時は何も考えず笑ってて欲しい」と伝えると「剛くんにそんなことを言われるとは・・・(笑)今日は泣けるぜ・・・(笑)」と岡田さんは笑いに変えたが目には確かに涙が浮かんでいた。何故、ここまでメンバーが口を揃えて岡田さんの笑顔について触れるのか?と考えた時に、それはメンバーが岡田さんの長年にわたった反抗期と俳優業で重荷を背負う岡田さんを一番近くで見てきたからだろう。
今年の6月に45枚目のシングル「Timeless」の20周年イベントで、6人で作詞を担当しメンバーそれぞれが書いた詞を井ノ原さんが一つの詞にまとめて作曲を手掛けた「〜此処から〜」を初披露した。デビューしてから今までのV6を歌った楽曲であり、リアルなV6の関係性やそれぞれの色々な思いが詰め込められている。「俺は20周年も泣かないと思う。坂本くんを泣かせたい」と言っていた本人が、歌の最中に突然落ち着きがなくなり後ろの画面を振り返ったり下を向いたりして一人だけ様子がおかしかった。歌唱後、井ノ原さんに「なんで後ろ向いてたの?」と聞かれると「ぐっときた。泣けるなと思って・・・」と岡田さんが言うと井ノ原さんが「本当かよ?(笑)」と言っていたのだが恐らく岡田さんがまじだったことを察したのだろう。それ以上何も突っ込まなかった。後に、岡田さんは最近泣いたことは?という質問にこのイベントでの出来事を挙げ泣きそうになったと語っていた。
私が好きになったクールな岡田さんはもういない。 喜怒哀楽を顔に出さない無口で他人に興味がなくメンバーの背中を追いかけていた青年が、今は表情豊かでメンバーと良好な関係を築き、後輩に説教をしたり現場の雰囲気を作って指揮をとっている。“人って変われるんだ”と岡田さんを見てるとつくづくそう思った。私が好きになったあの時の岡田さんはもういないけど、今の岡田さんの方が断然好きだ。0:10で今の方が好きだ。
先日の24時間テレビで2014年に亡くなった高倉健さんに向けて岡田さんが書いた手紙に「僕が役を演じることで、僕が五人の仲間と歌うことで、その仕事は誰かの心に届いているでしょうか?」という一節があった。岡田さんは「僕が五人の仲間と歌うことで、その仕事は」と言う言葉の後に長い沈黙を挟み「誰かの心に届いているのでしょうか?」と言う言葉の途中から声を詰まらせ涙を拭った。V6よりも俳優に重きを置いたVTRだったので手紙も「僕が役を演じることで、その仕事は誰かの心に届いているのでしょうか?」だけでも良かったしそれが普通だと思った。だけど、岡田さんはその後に「五人の仲間と歌うことで」と言うフレーズをあえて加えたのだ。この言葉を加えたことで、10年前は心の中にV6がなかったという岡田さんだけど今は心の中に確かにV6がいると確信した。
岡田さんはこれからもV6と共に俳優業を続けていくと思う。しかし、V6から再び心が離れることは決してないだろう。